反「相対性理論」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 12:18 UTC 版)
相対性理論は、その意味することが正しく理解されたかということを別論として、物理学を始めとする自然科学の分野のみならず、社会的現象として広く受け入れられた。 その反面として、その結論に同意できない立場などが、科学的反論ではなく、反-相対性理論(英語版)とでも言うべき一種の社会的運動となった。特に、これはアインシュタインがユダヤ系であり平和主義者であるということが、国家主義者に嫌悪され、第一次世界大戦にドイツが敗戦した後には、パウル・ヴァイラント(ドイツ語版)による、反相対性理論キャンペーンがはられたりもした。 物理学者の世界においても、ユダヤ的であるという理由でアインシュタインの業績を認めない、フィリップ・レーナルトやヨハネス・シュタルクらの「ドイツ物理学(ドイツ語版、英語版)」の一派があった。彼らは、相対性理論の結果は認めるがそれをアインシュタインの成果としないという立場のゆえに、E=mc²の発見はフリードリヒ・ハーゼノールに帰せられるなどの主張を行い、アインシュタインを「ユダヤ物理学」として攻撃した 。 1921年にアインシュタインはノーベル物理学賞を受賞するが、これは光電効果の発見を理由としており、相対性理論を対象としての授与ではなかった。この理由の一つは、ノーベル物理学賞は、それによって人類が非常に大きな利用価値を得るような物理学の最近の発見に対して与えられるべきものとされるが、相対性理論は当初、新しい現象を主張するものではなく、それまでに知られていた多くの現象を統一的に、より簡単に理解する一つの原理を与えるものであり、これが「発見」と言えるか、また、利用価値があるものかは未知であった(「核分裂反応」の発見は1938年)。もう一つの理由として、相対性理論は、純粋物理学の理論であるにもかかわらず、すでに政治的論争の対象になっており、もしスウェーデン科学アカデミーが、相対性理論に対してノーベル物理学賞を与えるとなれば、同アカデミーも、その論争に巻き込まれる危険があったためとされる。 ドイツ物理学の一派は、ナチス政権が成立するとそれに同調したが、政権崩壊とともに勢力を失った。
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