フセイン政権崩壊後のイラクバアス党とは? わかりやすく解説

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フセイン政権崩壊後のイラク・バアス党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 18:21 UTC 版)

バアス党」の記事における「フセイン政権崩壊後のイラク・バアス党」の解説

2003年4月アメリカ侵攻によりフセイン政権崩壊すると、大半党幹部隣国シリア逃亡した5月にはアメリカ軍によりバアス党解党宣言連合国暫定当局により「非バアス化指令」が出されバアス党元幹部党員対す公職追放が行われた。これにより、旧政権下で働いてきた公務員教師大学教授裁判官警察官医師らが一斉に失職した。 この「非バアス化」政策については、国務省CPA前身である復興人道支援室(ORHA)の関係者などから「戦後イラク統治困難にする」として反対する意見出されていたが、国防総省ホワイトハウス内のいわゆるネオコン」に近いグループ、そのネオコン接近していた反体制派組織イラク国民会議」(INC)のアフマド・チャラビー強硬にこの「非バアス化」政策推進した。この措置は後に、イラク復興必要な人材一掃してしまったとして、イラク軍解体と共にアメリカの占領政策の失敗として批判された。 このことから、元党員でもあったイヤード・アッラーウィー暫定政府首相によって一部限って党員公職追放緩和措置が行なわれた。しかし、バアス党に対して強硬なイブラーヒーム・アル=ジャアファリー移行政府首相の下では、より厳し全てのバアス党員に対す公職追放罰則設けた「非バアス化法」が議会によって可決され、これにより、議会内に元党員公職復帰阻止するための監視機関「非バアス化委員会」が設置された。 しかし、この措置には多く元幹部党員輩出したスンナ派アラブ人猛反発し、その結果ヌーリー・マーリキー政権下で、旧政権下で犯罪行為手を染めなかった幹部党員下級党員限って公職追放全面解除年金支給社会復帰サポートが行なわれるという『責任正義』法が議会可決された。これにより、多くの元党員公職復帰認められることになったまた、イラク政府国外で活動しているイラク・バアス党との間で、和解向けた交渉行われるようになった。 しかし、2009年下半期イラク国内テロ続発すると、シーア派主導イラク政府からテロ背後バアス党がいると非難し、元党員対する対応が硬化した2010年1月、「正義責任追及委員会」(非バアス化委員会後身組織)は3月開かれる議会選挙立候補している候補者に「サッダーム旧政権支持者紛れている」として、元バアス党員と旧政権情報機関出身立候補者の選挙参加禁止する発表した。この措置については、スンナ派政党世俗派政党反発して裁判所上訴しイラク上級裁判所も「正義責任追及委員会」の決定無効判断したが、この決定今度イラク政府シーア派政党反発示し判断最高裁判所委ねた。これにより最高裁は「正義責任追及委員会」の決定認め、元党員立候補禁止された。 現在のイラク共和国新憲法では、バアス党とそれに連なる組織犯罪組織指定されており、再結党思想普及、同党に対す支持礼讃禁じられている。また、イラク当局起訴され逮捕されている元バアス党幹部資産没収などが決定されている。 現在のバアス党指導者RC書記長)は、イッザト・イブラーヒーム革命指導評議会副議長であり、イブラーヒームはサッダームの処刑を受け、この役職就いた。しかし、サッダームの死によって党内路線対立には歯止めが利かなくなり一部党幹部イブラーヒームの下を離脱シリア東部ハサカにて会議行い、元党軍事メンバーであった若手のバアス幹部党員ムハンマド・ユーニス・アル=アフマド新たな指導者に任命したこの後ユーニスイブラーヒームを党より追放する宣言、これに対抗してイブラーヒームユーニスとそれに連なる党員追放行った。この結果、イラク・バアス党は主流イブラーヒーム派と傍流ユーニス派に分裂した当初、両派はシリア拠点活動しており、実質シリア政府庇護受けていると見られていたが、その支援一様でなく、イラク・バアス党側においてもシリア政府対す姿勢派閥によって異なる。二つ派閥のうちイブラーヒームおよびその派閥は、イラン同盟関係にあるシリア対し深い不信感抱いており、提携にも消極であったとされる。またイブラーヒームは、ユーニス派との内訌による党分裂に際して声明発しており、イラク・バアス党に対すアメリカ陰謀支援しているとして、シリア政府非難したイブラーヒームシリア政府敵視して、同政府への懐疑的姿勢崩さずシリア内戦勃発後には最終的にシリア政府決別シリア国内活動するスンニ派反体制勢力との連帯表明するなど対立関係にある。対照的にユーニスシリア政府良好な関係を構築したイラク政府は旧バアス党幹部身柄引渡し同国政府求めている。 イラク・バアス党は、イラク国内シリアだけでなく、ヨルダンイエメンなどの近隣アラブ諸国フランスなどの欧州にも在外指導部を置き、資金工作地下刊行物発行通じてイラク国内旧政権残党勢力支援しているともされる。特にバアス党幹部結成させた反帝国主義掲げた統一戦線イラク愛国同盟(Iraqi Patriotic Alliance)は共産主義者からイスラーム主義者といった多く反米テロ組織集めており、サッダームの公認だったと言われる2008年12月18日ニューヨーク・タイムズイラク治安担当者の話として、内務省対テロ部隊隊員35人がバアス党政権復活のためにクーデター企てた報じた一方イラク内務省逮捕されたのは同省の交通警察副部長などの幹部下級職員で、バアス党系の武装組織アルアウダ」のメンバーであるという容疑逮捕され尋問受けていると発表し対テロ部隊とは関係が無いとした。彼らはクーデターでは無く内務省ビル放火しようとした容疑掛けられているとした。 ただ、本当に彼らが容疑企てたのかについては疑問出ており、事件発端が同省の腐敗告発にある、あるいは逮捕され職員互いに面識も無いとの報道もある。その後イラク政府自身クーデター疑惑自体否定する発表行なった2009年8月26日イラク軍8月19日財務省外務省狙った爆弾テロ事件首謀者として、元バアス党員のウィサーム・アリー・カーズィム・イブラーヒーム(Wissam Ali Kadhem Ibrahim )という人物逮捕した発表し供述模様ビデオ映像記者団公開した映像では、ウィサームと名乗る人物は、自分1975年バアス党入党し1995年までディヤーラー県警察官をしており、2002年まで弁護士をしていたこと、旧政権崩壊まで同県のムクダーディーヤ市のバアス党指導者であり、2005年イラクからシリアへと亡命し、そこでイラク・バアス党のユーニス派に加わり2007年8月イラク戻ったことなどを語った。 ウィサームは、テロ一ヶ月前に彼の上司に当たり、シリア在住のイラク・バアス党ユーニス幹部のサッターム・ファルハーンという人物が、「イラク混乱させるよう」テロ計画の実行命じられたことを明らかにした。 10月25日には、司法省バグダード県庁を狙った同時テロ起きイラク政府前回同様にシリア拠点を置くバアス党残党勢力が、アル=カーイダ連携して今回テロ実行した発表再度テロ関与したとして逮捕された、元バアス党員と名乗る男の供述公開している。 パリ拠点を置く「Intelligence Online」のウェブサイトは、中央情報局ダマスカスにおいてイラク・バアス党指導者会合開いた報じた会合バアス党側は、武装闘争停止する条件としてバアス党政治参加認めることや、バアス党武装勢力イラク軍への編入、非バアス化法廃止求めたという。会合ヨルダン総合情報部斡旋により09年夏から始まったアメリカ目的は、シーア派主導イラク政府バアス党との和解仲介することであるとされ、Intelligence Onlineは「CIA戦略失敗すれば米軍内戦下最中にある国から撤収することになるだろう」と警告している。 2010年4月28日、サッダームの誕生日合わせてシリア首都ダマスカスで、フセイン政権崩壊後初のイラク・バアス党の集会開かれた集会演説したバアス党幹部のガズワーン・アル=クバイスィー(Ghazwan al-Qubaisi)は、アメリカの「占領」を非難しイラク国民団結呼びかけた。また、イラク政府に対しても「全てのバアス党員とナショナリスト政治参加妨害し国民融和から離れた」と批判したバアス党内の分裂についても否定し、サッダームを「英雄であり殉教者」と認定しイラク国民的抵抗支持し続けるとした。集会には約500人が参加しシリア文化省所管するホール行われた2011年10月イラク政府国内でのテロ企てていたとして旧イラク軍将校を含む620人もの元バアス党員を拘束し加えて350人の元党員に対して逮捕状公布した明らかにした。 内務省幹部のアドナーン・アル=アサディーによれば実際逮捕者リストには800人以上のバアス党員が含まれているとして、バアス党員が2011年末の米軍撤退後暴動暗殺シーア派狙った爆弾テロを等を計画していたという。アサディーによればバアス党イラク・イスラム国通じてイラクの聖戦アル=カーイダ組織協力しており、資金提供情報提供兵站支援などがバアス党役目であるという。 イブラーヒームと彼が率い聖戦解放の最高司令部およびナクシュバンディー軍などの武装集団ISIL協調しており、2014年にはモースル攻略などにも参加してISILイラク北西部における勢力拡大助けた。しかし、イブラーヒーム派の支持基盤一部スーフィー信者であり、ISIL急速な勢力拡大に対して警戒感強め同盟関係2014年末には決裂したとされる。しかし、スーフィー属さない関係者にはISILとの協働継続している者やISIL構成員となっている者もおり、同盟関係決裂の際、これらの元党関係者ISILによるイブラーヒーム攻撃加担した。またイブラーヒーム率い武装組織イラク政府との戦闘継続しており苦境陥った。そして、2015年4月18日イラク軍17日行った掃討作戦によりイブラーヒーム死亡した発表された。イラク軍当局は「遺体イブラーヒームであることは95%確実」とし、遺体検視のためバグダード移送するとしている。シーア派民兵組織によって行われたDNA鑑定結果遺体イブラーヒーム本人であることが確認され20日遺体イラク政府引き渡された。また、同年6月5日にはフセイン政権時代副首相外相歴任したターリク・アズィーズ獄中心臓発作起こし病院搬送されたが、間もなく死亡したフセイン政権崩壊後イブラーヒム及びアズィーズ両名イラク情勢対す実際影響力限定的であった考えられているが、2003年イラク戦争によるフセイン政権崩壊直前まで最高幹部としてイラク国民認知され長年渡り政権支えていた二人の死旧体制の完全な終焉象徴し残党勢力益々弱体化に繋がると考えられるイブラーヒーム派がISIL対す協力停止しイブラーヒーム戦死するなか、イラク政府はイラク・バアス党との政治的和解模索しているとされる。しかし、当事者であるイラク・バアス党は両派に分裂したまま派閥対立がまったく収束していない。イブラーヒーム派はムハンマド・ユーニス・アル=アフマドイラク政府との交渉から排除することを望みユーニス派はイラク国内破壊および占領に関するイブラーヒーム派の責任非難しイブラーヒーム派の政治的復権拒否している。

※この「フセイン政権崩壊後のイラク・バアス党」の解説は、「バアス党」の解説の一部です。
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