フセイン政権崩壊後のダアワ党
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「イスラーム・ダアワ党」の記事における「フセイン政権崩壊後のダアワ党」の解説
暫定政府が2005年1月30日にイラクで初めての国民議会選挙に、シーア派政党連合・統一イラク同盟(UIA)の一員として参加した。選挙の結果統一イラク同盟(UIA)は最大勢力となり、与党の一員となった。そして、ダアワ党のジャアファリーが移行政府の首相に選出された。2005年12月15日に実施された新憲法に基づいた国民議会選挙でも統一イラク同盟(UIA)の一員として勝利した。2006年5月20日に正式な政府が発足したが、サドル派を支持するジャアファリー首相がアメリカから警戒され、クルド人やスンニ派からの反発も起きたことから、書記長のマーリキーが首相に就任した。2010年3月7日の国民議会選挙では、統一イラク同盟(UIA)は分裂し、ダアワ党は政党連合・法治国家連合を結成し、他のシーア派政党は残留し、イラク国民同盟(INA)となった。選挙の結果、法治国家連合は、イヤード・アッラーウィー率いるイラキーヤに次ぐ、第2番目の勢力に留まったが、3番目に議席を獲得したイラク国民同盟(INA)と連立を組み、マーリキーが首相を続投した。2014年4月30日の国民議会選挙では、第一党となったが、過半数は取れず、連立を巡って対立した。イスラーム・スンナ派過激派組織ISILの急速な台頭を前に内外の圧力が強まり、マーリキー首相は退陣した。9月8日、ダアワ党副書記長のアバーディが首相に就任し、挙国一致内閣を形成した。2018年5月12日の国民議会選挙の結果、新首相に無所属のアーディル・アブドゥルマフディーが指名され、ダアワ党以外の首相が就任した。
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