四十日抗争
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脚注
参考文献
- 福永文夫『大平正芳…「戦後保守」とは何か』(初版)中央公論新社〈中公新書〉(原著2008年12月20日)。ISBN 9784121019769。
- 伊藤昌哉 『自民党戦国史』 中巻 朝日文庫 (1985年、原著1982年)
関連項目
外部リンク
注釈
- ^ 福田は、総裁任期を一期つとめて大平に政権を譲るという大福密約を反故にして総裁選に現職出馬した経緯がある。また、かつて、福田を後継者に据えようとしていた佐藤栄作は、内閣改造を条件として前尾繁三郎の総裁選での支持を取り付けたが、当選後にその約束を反故にし、これにより派内の求心力を失った前尾を追って大平が宏池会の会長に就任している。
- ^ 伊藤昌哉は両院議員総会は開かれなかったとしている[10]。
- ^ 灘尾は大平退陣の受け皿の一人として浮上していたが、議長に選ばれたことで灘尾の後継は封じられることとなった。
- ^ 11月3日は祝日の文化の日、4日は日曜日で、ともに国会の休日であった。
- ^ a b c d 第1回投票では福田、決選投票では大平または無効票を投じた議員
- ^ 参議院議長とは異なり、衆議院議長は内閣総理大臣指名選挙で投票しない慣例があるというわけではない。
出典
- ^ 『大平正芳』 249頁。
- ^ 『自民党戦国史』中巻 第二部 1 戦う決意 p.117
- ^ a b 『大平正芳』 251頁。
- ^ 『大平正芳』 250頁。
- ^ 戸川猪佐武『小説吉田学校』第7巻
- ^ 『自民党戦国史』 中巻 第二部 6 調停付かず pp.242-248
- ^ [1]
- ^ 浜田幸一『YUIGON もはや最期だ。すべてを明かそう。』ポプラ社、2011年5月、61頁。ISBN 978-4-591-12446-8。
- ^ a b 昭和54年11月 中日ニュース No.1347 3「大平首相、再指名される」 - YouTube
- ^ a b 『自民党戦国史』 中巻 第二部 7 福田首班、ついにならず p.258
- ^ 『大平正芳』 254頁。
- ^ a b 衆議院議事録 第89回国会 本会議 第2号 昭和五十四年十一月六日(火曜日)
- ^ a b 参議院議事録 第89回国会 本会議 第2号 昭和五十四年十一月六日(火曜日)
- ^ 『大平正芳』 255頁。
- ^ a b 『大平正芳』 256頁。
- ^ 会派別所属議員数の変遷 (参議院関連資料集)参議院
- ^ 衆議院規則第18条第3項、参議院規則第20条第3項
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