南北戦争 戦後

南北戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/16 03:36 UTC 版)

戦後

1860年(開戦時)と1864年(戦争終盤)の南北両国支配地の比較[15]
アメリカ合衆国 アメリカ連合国
人口 1860 22,100,000 (71%) 9,100,000 (29%)
1864 28,800,000 (90%) 3,000,000 (10%)[16]
自由市民 1860 21,700,000 (81%) 5,600,000 (19%)
奴隷 1860 400,000 (11%) 3,500,000 (89%)
1864 ほとんどなし 1,900,000
兵士 1860–64 2,100,000 (67%) 1,064,000 (33%)
鉄道マイル数 1860 21,800 (71%) 8,800 (29%)
1864 29,100 (98%)[17] ほとんどなし
工業生産 1860 90% 10%
1864 98% ほとんどなし
兵器生産 1860 97% 3%
1864 98% ほとんどなし
綿花(梱) 1860 ほとんどなし 4,500,000
1864 300,000 ほとんどなし
輸出 1860 30% 70%
1864 98% ほとんどなし

奴隷制が崩壊したことは、南部諸州から安い労働力を失うことを意味した。テキサス州では深刻な不況に陥った[18]

南部諸州は北部による軍事占領下におかれ、そのもとで黒人に投票権が与えられた。しかし1877年以降南部の白人が州内において主導権を取り戻すと、激しい揺り戻しが起きた。1890年代以降、南部各州では相次いで有色人種に対する隔離政策(ジム・クロウ法)が立法化され、奴隷こそいなくなったものの人種差別 (厳密には人種隔離)はふたたび強化された。この人種差別状況が改善されるのは、1950年代の公民権運動を待たなければならなかった。

「奴隷解放宣言」により、南部の州で奴隷の扱いを受けていた黒人は解放された。しかし、南部における黒人に対する差別や偏見はその後も潜在的に残り、KKKなどの活動を生み出す土壌となった。南部では現在もなお、南北戦争は「北部による侵略戦争」(The War of Northern Aggression:アメリカにおける南北戦争の別名)であったと主張する者もいる。

南部の黒人差別は、後に南部から北部への、黒人の大移動が起こる原因となる。


注釈

  1. ^ 米墨戦争の結果アメリカ合衆国はメキシコ割譲地と呼ばれる広大な領土を収得した。
  2. ^ リンカーンは新たに合衆国に加わる州に奴隷制を広めるのに反対だったため、南部は徐々に自由州が増えて議会でのバランスが崩れる事によって最終的に奴隷制が廃止される事を怖れたのだろう。
  3. ^ 合衆国の首都であるワシントンD.C.はちょうどバージニア州(連合国)とメリーランド州(合衆国)の間にあるため、メリーランド州が南部連合国に寝返った場合は首都が北部州から完全に切り離される危険性があった。
  4. ^ 北部に残った士官より南部に去った士官たちの方が、全体的に質が高かったと言われている。
  5. ^ 軍の名称としては南軍の北バージニア軍と酷似し混乱の元なので、この戦いの後に廃止されている。ただし、更に紛らわしいテネシー軍の呼称は、なぜか両軍で使われ続けた。なお、英語で書いた場合、北部のそれはArmy of the Tennesseeである。これはテネシー川にちなんでおり、テネシー川(流域)軍を意味する。南部のそれはArmy of Tennesseeである。こちらはテネシー州からきており、正確にはテネシー州(の)軍となる。
  6. ^ 上記のように南部で徴兵適齢期に達していた市民は約100万人だった。つまり南部は動員可能な兵力をほとんど全て招集したと言う事がわかる。
  7. ^ 北部の通貨制度は伊藤博文の現地調査によって日本に影響を与え、1872年に明治政府は国立銀行条例を制定した。
  8. ^ ドイツが北部国債に投資したのは、ドイツからの移民が北部を中心としていた点にあるとされる。

出典

  1. ^ The Belligerent Rights of the Rebels at an End. All Nations Warned Against Harboring Their Privateers. If They Do Their Ships Will be Excluded from Our Ports. Restoration of Law in the State of Virginia. The Machinery of Government to be Put in Motion There.”. The New York Times (1865年5月10日). 2013年12月23日閲覧。
  2. ^ a b Total number that served
  3. ^ a b c Facts”. National Park Service. 2016年2月8日閲覧。
  4. ^ "Size of the Union Army in the American Civil War": Of which 131,000 were in the Navy and Marines, 140,000 were garrison troops and home defense militia, and 427,000 were in the field army.
  5. ^ Long, E. B. The Civil War Day by Day: An Almanac, 1861–1865. Garden City, NY: Doubleday, 1971. OCLC 68283123. p. 705.
  6. ^ "The war of the rebellion: a compilation of the official records of the Union and Confederate armies. ; Series 4 - Volume 2", United States. War Dept 1900.
  7. ^ a b c Fox, William F. Regimental losses in the American Civil War (1889)
  8. ^ a b c Official DOD data Archived 2014年2月28日, at the Wayback Machine.
  9. ^ Chambers & Anderson 1999, p. 849.
  10. ^ Nofi, Al (2001年6月13日). “Statistics on the War's Costs”. Louisiana State University. 2007年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年10月14日閲覧。
  11. ^ Recounting the dead, Associate Professor J. David Hacker, "estimates, based on Census data, indicate that the death toll was approximately 750,000, and may have been as high as 850,000"
  12. ^ “19世紀後半、黒船、地震、台風、疫病などの災禍をくぐり抜け、明治維新に向かう(福和伸夫)”. Yahoo!ニュース. (2020年8月24日). https://news.yahoo.co.jp/byline/fukuwanobuo/20200824-00194508 2020年12月3日閲覧。 
  13. ^ Elekund, R.B., Jackson J.D., and Thornton M., "The 'Unintended Consequences' of Confederate Trade Legislation." Eastern Economic Journal, Spring 2004
  14. ^ “米国の戦争、犠牲者数ワースト10”. ウォール・ストリート・ジャーナル. http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702304357604579587040231253978.html 2014年5月27日閲覧。 
  15. ^ http://www2.census.gov/prod2/decennial/documents/1860c-01.pdf
  16. ^ Martis, Kenneth C., "The Historical Atlas of the Congresses of the Confederate States of America: 1861–1865" Simon & Schuster (1994) ISBN 0-13-389115-1 pp.27.
  17. ^ Digital History Reader, U.S. Railroad Construction, 1860–1880 Virginia Tech, Retrieved August 21, 2012.
  18. ^ 建設現場で黒人とみられる95人の遺体、奴隷解放後も強制労働か”. CNN (2018年7月20日). 2018年7月21日閲覧。
  19. ^ a b 富田 2006, p. 182.
  20. ^ a b 富田 2006, p. 186.
  21. ^ 富田 2006, p. 181, 186.
  22. ^ 富田 2006, p. 191.






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