チャレンジャー号爆発事故 1月28日、発射および事故発生

チャレンジャー号爆発事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/16 08:45 UTC 版)

1月28日、発射および事故発生

発射および上昇初期

右側のSRBから漏れ出す黒煙

以下の記述は、逐次テレメトリーによって得られたデータと画像を分析、および空中-地上間と管制室で交わされた交信記録に基づいている[7]。すべての時間は発射の瞬間からの経過秒数を表し、詳細な計測事象から発生した出来事までがテレメトリーのタイムコードに対応している[8]

機体が発射台から離れる前であれば、必要があればスペースシャトルのメインエンジンを安全に停止して発射を中止することができた。発射の瞬間(T=0:米国東部標準時午前11時38分)に3基のメインエンジンは設計性能値に対して100%に達しており、コンピュータの制御によって104%まで推力が増されはじめていた。 この瞬間に2基のSRBが点火され、同時に発射台に繋ぎ止めていたボルトが爆薬によって切断されて、機体は発射台から自由になった。機体が最初に垂直に動きはじめると、気化水素排気アームが外部燃料タンク(ET)から引き離されたが、戻り止めラッチが機能しなかった。発射台のカメラ映像を検証すると、このアームは機体には再び接触してはおらず、今回の事故に関係する要素からは除外された[8]。発射後に行われた発射台の検査においても機体を固定していたボルトの4つのキック・スプリングが見つけられなかったが、これも同様に原因となった可能性は否定された[9]

チャレンジャー号の打ち上げから爆発の動画
SRB連結部分の断面図。Bで指示されている丸がメインのOリング、Cで指示されている丸がバックアップのOリングである

後に発射時の画像を分析すると、T+0.678(発射から0.678秒後)に右側SRBの、外部燃料タンクとSRB間を連結する後部接続支柱部近くからひと吹きの黒煙が吹き出ていることが確認された。煙のわずかな噴出は、最後はT+2.733に発生していた。最後に接続支柱周辺で煙が見えたのは T+3.375 であった。後にこれらの現象は右側SRBの後部の現場接続部が開閉したことで起きたと結論づけられた。点火の圧力によってSRBの外殻が膨張し、その結果として外殻のこの金属部分が両側から曲がって分離し、開いた隙間から高温のガス(5,000°F、2,800)が漏れたものである。この現象はそれ以前の発射時にも発生していたが、そのたびに第一O-リングが溝から外れることによって密閉性を確保していた。SRBは元々そのように設計されてはいなかったが、結果的にうまく機能していたことになる。そのためサイオコール社は後に設計を変更し、押し出し加工と呼ばれる加工法を採用してこの機能を取り入れることにした。

だが、押し出されたリングが漏洩箇所を塞ぐまでの間、高温のガスが漏れ続け、塞がれるまでにO-リングが損傷を受ける「ブロー・バイ」(blow-by)と呼ばれる現象が起きていた。サイオコール社の技術者達によってこの現象は調査され、O-リングが受ける総損傷量は押し出しが起きるまでの時間が直接関係しているとして、当日の寒い気象条件によってO-リングが硬くなり押し出しまでの時間が延びたと結論付けた(このチャレンジャー事故以後に使用される改良型SRBの現場接続部には、ブロー・バイを緩和するために追加の噛み合い式ほぞ穴と中子、それに3番目のO-リングが設けられるようになった)。

事故当日の朝、第一O-リングは寒さによってとても硬くなっていたため密閉が間に合わなかった。第二O-リングは金属が曲がったことで正しい位置に収まってはいなかった。これによって燃焼ガスを食い止める手段は失われ、2つのO-リングは70度の角度にわたって蒸発してしまったが、固体燃料の燃焼残留物である酸化アルミニウムが損傷した結合部の穴を塞いだので、本物の炎が結合部を襲うまではこれがO-リングの機能を代行していた。

機体が発射整備塔を離れメインエンジン(SSME)の推力が104%に達すると、ケネディ宇宙センターの発射コントロール・センター(Launch Control Center, LCC)から、テキサス州ヒューストンジョンソン宇宙センター内のミッション・コントロール・センター(Mission Control Center, MCC)に管制が引き継がれた。空力が軌道船の構造に過負荷を与えないよう、T+28 になると通常の操作手順に従って、濃密な下層大気圏内でのシャトルの限界速度までメインエンジン(SSME)の推力が下げられ始めた。T+35.379 になるとメインエンジンの推力は少しだけ戻されて予定通りの65%になった。その5秒後に高度約5,800m(約19,000フィート)で機体の速度はマッハ1を超えた。T+51.860 には動圧が最大となるマックスQ(最大動圧点)を超え、SSMEの推力は再び最大104%にまで上げられ始めた。

漏洩

右側SRBのガスの漏出。引火している。
SRBからの炎が追跡用カメラによって捉えられている映像。

この機体は T+37 頃から始まりその後の27秒間に、今日までのシャトル計画中に記録された最大のウインドシア(縦、または横方向の強風= ジェット気流によるもの)を何度かにわたって受けた[10]

T+58.788、追跡カメラが右側SRBの尾部接続部から煙が漏れ出し始めたのを捉えた。チャレンジャー側もヒューストン側も知らなかったが、右側のSRBの接続部の1つで大きくなった穴から高温のガスが漏れ始めていた。損傷したO-リングに代わって酸化アルミニウムが一時的に穴を塞いでいたのを、ウインドシアの力が痛めつけて、接続部を通じて噴き出る炎に対する最後の守りが奪われてしまった。もしもウインドシアが無ければ、偶然に生じた酸化物による封印はSRBの燃焼終了まで持ち堪えたかも知れない。

1秒の内に煙ははっきりと激しくなった。右側SRBの内部圧力は壊れた接続部の穴が急速に拡大したために低下し始め、T+60.238 には接続部から出てくる炎とそれが外部タンクに悪影響を及ぼす様子が見えるようになった[7]

T+64.660 には煙が突然形を変えて、外部タンクの尾部側に位置する液体水素タンクからも漏洩が始まったことを窺わせた。SRBの焼損によって崩れた推力のバランスを補償するために、メインエンジンのノズルがコンピュータ制御によって向きを変えた。シャトルの外部液体水素タンク内の圧力は、漏洩の結果 T+66.764 に低下し始めた[7]

この段階でもまだ、飛行士達や地上管制官達には状況は正常に見えていた。T+68 になると宇宙船通信担当官(Capsule Communicator, CAPCOM)のリチャード・コービー(Richard Covey)が「推力上昇を許可」すると乗員に指示して、船長のディック・スコビーがこれを確認した。彼が「(こちら)チャレンジャー、推力上昇を許可」と応えたのが、空中-地上間回線におけるチャレンジャー号からの最後の交信となった。

機体の分解

チャレンジャー爆発の動画(346KB, ogg/Theora format

T+72.284、右側SRBが外部燃料タンクの尾部接続部から明らかに引きちぎられた。後のテレメトリーデータ分析によると、T+72.525に右方向への突然の加速が生じており、これは乗組員にも感じられたかも知れない。この加速の0.5秒後にはマイケル・J・スミス(Michael J. Smith)飛行士が「おや(Uh, oh.)」と言い、これが乗員室の会話録音機が捉えた最後の発言となっている[11]。あるいはスミスは機内の計器に示されたメイン・エンジンの出力状態か、または外部燃料タンクの圧力低下に反応したのかも知れない。

T+73.124、液体水素タンクの尾部ドームが破損し、液体水素タンクを外部燃料タンクの前部にある液体酸素タンクの方向に押し上げる力が働いた。同時に、右側SRBは前部接続部を中心に回転し、タンク間構造体と衝突した。

T+73.162、高度14,600mで機体の分解が始まった[12]。外部燃料タンクが分解しつつあったため(中途半端に分離する形となった右側SRBが不規則な方向と強さで推力を与えたことも影響した)、チャレンジャー号は局所的な気流に対する正しい姿勢から外れてしまい、設計上の限界値の5Gをはるかに超える20Gもの空力負荷を受けたことにより軌道船は瞬時に引き裂かれた。それよりも大きな空力負荷に耐えられる2機のSRBは外部燃料タンクから外れ、その後37秒間にわたって無制御の動力飛行を続けた。SRBの外殻は厚さ12.7mmの鋼鉄でできており、軌道船や外部燃料タンクよりもはるかに頑丈だった。かくして、特に右側SRBはチャレンジャー号の破壊を招いた接続部の焼損による影響を依然として受けていたにも関わらず、2機のSRBはシャトル全体の分解の後も持ち堪えた[9]

事故後の管制官の会話

自身の管制席に座るジェイ・グリーン(Jay Greene)管制官(事故直後に撮影)

管制室では、チャレンジャー号の空中分解に伴い空中-地上間回線から静電雑音のバーストが流れた。モニターはチャレンジャー号がそれまでいた場所に煙と水蒸気(水素の燃焼により生じた)の雲が発生し、多数の破片が海に向けて落下する光景を映していた。T+89頃、飛行主任のジェイ・グリーン(Jay Greene)は飛行力学担当官(Flight Dynamics Officer, FIDO)に報告を促した。これに対するFIDOの返答は「…(レーダーの)フィルターにはバラバラの反応源があります」というもので、これもまたチャレンジャー号が多数の破片に分解したことを示していた。1分後、地上管制官は音声通話とテレメトリーの「通信途絶、(および)ダウンリンク喪失」を報告した。グリーンは部下たちに「各自のデータを詳しく見て軌道船が脱出した何らかの形跡がないか」と調べるように命じた。

T+110.250、ケープカナベラル空軍基地の周辺保安担当官(RSO)が無線信号を送り、周辺保安システムが保有する両固体燃料補助ロケット(SRB)の自爆装置を作動させた。これはRSOが制御を失ったSRBを地上や海上に対する脅威と見なしたためであり、正規の非常時手順だった。未だ空中分解していなければ同じ破壊信号で外部燃料タンクも破壊されたはずである[13]

広報担当官のスティーブ・ネスビット(Steve Nesbitt)は「飛行管制官は事態を注意深く見守っています」と報告した。彼は「明らかに大きな事故です。ダウンリンクがありません」と言い、沈黙の後、「飛行力学担当官より、機体が爆発したとの報告がありました」と伝えた。

グリーンは管制室に非常時手順の発動を命じた。これには管制センターのすべての扉の施錠、外部との電話連絡の遮断、およびチェックリストに従い関連するすべてのデータを記録し保全することが含まれた。

「爆発」ではなかった

分解し始めたチャレンジャーの機体

飛行力学担当官の最初の発言とは異なり、シャトルと外部燃料タンクは「爆発」したのではなかった。実際には最大動圧点(マックスQ)をわずかに過ぎた後の極めて高い空力負荷によって急速に空中分解したのである(この場合の『過ぎた』とは、一般に大気圏外まで飛翔するロケット等の飛行プロファイルにおいては、最大動圧点を過ぎれば動圧は下がることを示唆している(詳細は最大動圧点の記事を参照))。外部燃料タンクが分解した際、内部の燃料と酸化剤が放出され、巨大な火球を生じた。しかしながら事故後にNASAが分析した結果によれば、推進剤の「燃焼は限定的」なものだった[9]。写真や動画などで見える雲は、主に放出された液体酸素や液体水素推進剤によって生じた水蒸気とガスである。極低温で保存された状態では、液体水素は通常の爆轟の意味で「爆発」するほど急速に発火できたはずはない(実際に起きたことは爆燃である)。もし本当に爆発していたら、シャトル全体が一瞬で破壊され飛行士は即死していたはずである。比較的堅牢に出来ていた乗員室とSRBは機体が分解する中を持ち堪えた。SRBはその後遠隔操作で爆破されたが、分離した乗員室は弾道に沿って飛び続け、T+75.237にガス雲を抜け出るのを観測された[9]。高度14.6kmで機体が分解してから25秒後、乗員室の飛翔経路は最高高度19.8kmに達した[12]

追跡カメラによって、ガス雲の中を飛ぶ無傷の乗員室が捉えられている。

乗員の死因と死亡時刻

シャトルは3Gまでの負荷に耐えられるように設計されており、さらに1.5G分の安全係数が組み込まれていた[14]。特に乗員室は、強化アルミニウムを使用していることとその設計から、シャトルの中でも大変頑丈な区画である[14]。機体が分解していく間、乗員室はまるごと分離し、ゆっくりと砲外弾道に転がり込んだ。NASAは分離の際にかかった負荷を12Gから20Gの間と推定した。しかしながら、2秒以内には既に4Gを下回っており、10秒以内には乗員室は自由落下していた。この段階でかかった負荷では大きな負傷の原因になったとは考えにくい。

分解直後、少なくとも一部の飛行士は生存しまだ意識があったものと考えられる。というのはフライト・デッキにある4個の個人用空気供給パック(PEAP)のうち3個が作動状態になっていたからである。調査官が空気の残量を調べたところ、機体が分解した後の飛翔経路に要した2分45秒分の予想消費量とおおむね整合していた。

残骸の分析において、調査官たちはマイケル・スミス飛行士の右手側パネルにある電力系統のスイッチのうちのいくつかが、通常の打ち上げ用位置から動かされていることを発見した。これらのスイッチはレバー・ロックで防護されており、別の位置に動かすためにはいったんバネの力に逆らって外向けに引っ張らなければならないようになっていた。後の試験では爆発や海面との衝突で生じた力ではスイッチは動かないことが確認されたことから、スイッチを動かしたのはスミス飛行士であり、乗員室が軌道船の他の部分から分離した後で何とか操縦室の電力を取り戻そうと試みたのだろうと推定される[15]

飛行士たちが機体の分解後も長時間意識があったのかは不明であり、主に乗員室の与圧が維持されていたかどうかに依存する。もし維持されていなければ、あの高度では意識を保っていられるのは数秒間しかない。個人用空気供給パックは与圧されていない空気を供給するだけだったので、乗員の意識を保つ役には立たなかっただろう。乗員室が海面に衝突した時の速度は約333km/h、制動力は200Gを大きく上回ったと推定され、乗員区画の構造的強度限界や乗員の生存可能レベルをはるかに超えていた[12]

「スコビー船長は生き残るためにあらゆる努力をした。彼は落下する間ずっと翼も持たずにあの船を飛ばしていた…彼らは生きていたんだ」
— NASA主任調査官ロバート・オーバーマイヤー[14]

1986年7月28日、宇宙飛行士出身でありNASAの宇宙飛行準管理官を務めるリチャード・H・トゥルーリー海軍少将は、ヒューストンにあるジョンソン宇宙センターの医科学専門家ジョセフ・P・カーウィン英語版によるチャレンジャー号事故における乗員の死因に関する調査報告書を発表した。カーウィン博士はスカイラブ2号に搭乗したことのあるベテランで、事故から間もなく調査を委任された。彼の報告によれば:

死因は特定できない。乗員区画が海面に激突した際の衝撃が非常に激しかったため、シャトルが分解した直後の数秒間に生じた被害の証拠は覆い隠されてしまった。我々の最終的な結論は以下の通り:
  • チャレンジャー号の乗員の死因は特定できない。
  • 機体が分解した際に乗員が受けた衝撃では、恐らく死亡や重傷には至らなかった。
  • 確実ではないが、飛行士たちは、機体が分解してから数秒以内に乗員区画の減圧により意識を失った可能性がある[12]

これに対してNASAの主任調査官であるロバート・オーバーマイヤー英語版など一部の専門家は、全員とは言わずともほとんどの乗員は海面に激突するまでの落下中ずっと生存し意識があっただろうと信じている[14]

脱出装置の不備

シャトルが動力飛行を行っている間は、乗員の脱出は不可能だった。シャトルの開発中に乗員の脱出装置について何度か検討されたが、NASAの結論は、シャトルには高い信頼性が期待できるので脱出装置は必要ないというものであった。試験飛行とみなされていた最初の4回の飛行では、SR-71に使用されていたものを改良した射出座席と完全与圧服が使用されたが、それ以降の「実用飛行」では取り除かれた。(コロンビア号の空中分解事故の後、同事故の調査委員会(CAIB)は、安全が確立された商用航空機に比べ限られた飛行回数しか持たないスペース・シャトルは本質的に『実験機』であり、決して実用機と見なすべきではなかったと宣告した)。さらに人数が増えた乗員用に脱出装置を取りつけることは「有益性に乏しく、技術的に複雑であり、費用や重量の超過またはスケジュールの遅延をもたらす」として望ましくないとされた[16]

チャレンジャー号の喪失後、NASAは再度脱出装置についての検討を始め、射出座席・緊急脱出用ロケット・軌道船底部からの脱出などいくつかの案が提出された。しかしながらNASAが改めて出した結論は、脱出装置を装備するには設計の全面的な変更が必要で、乗員数をも制約することから実用的でないというものであった。オービタ滑空飛行している際に機体から脱出するための脱出装置は設計された。しかしながらこれはチャレンジャー号のような状況では役に立たなかっただろう[17]




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