シャトル計画の続行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 06:44 UTC 版)
「チャレンジャー号爆発事故」の記事における「シャトル計画の続行」の解説
事故の後、NASAの全スペース・シャトルはほぼ3年間にわたって地上での待機を余儀なくされ、この間に調査・事情聴取・SRBの再設計、またその他にも裏方の技術面や管理面の見直し、変更、および準備が行われた。1988年9月29日午前11時37分、スペース・シャトルディスカバリーが5人の飛行士を乗せてケネディ宇宙センター39B発射台から打ち上げられた。これはチャレンジャーで打ち上げられて失われた追跡およびデータ中継衛星B(Tracking and Data Relay Satellite-B, TDRS-B)を代替するTDRS-Cを積んでいた(軌道投入後、TDRS-3と改名された)。この「飛行への帰還」(Return to Flight)としてのディスカバリーの打ち上げは、再設計されたSRBの試験であり、安全に対するより保守的なスタンスへの移行であり(例えば乗員は与圧服を着用していたが、これは最初から4回目の試験飛行だったSTS-4以来のことだった)、そしてアメリカの宇宙計画、特に有人宇宙飛行に対する国家的な誇りを取り戻す機会でもあった。飛行計画STS-26はわずかに二つの小さな故障(一つは乗員室の冷却システムのもので、もう一つはKu-帯アンテナのものだった)に見舞われただけで成功し、以後は通常のSTSスケジュールが継続して、2003年にコロンビアの惨事が発生するまで大きな中断もなく進行した。 マコーリフの予備飛行士であり、宇宙授業計画で一緒に訓練を受け、1986年1月28日にはケネディ宇宙センターでマコーリフの打ち上げを見ていたバーバラ・モーガンは、2007年8月8日に打ち上げられたSTS-118でミッション・スペシャリストとして宇宙に行った。
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