STS-41-C
名称:STS-41-C
オービター名称:チャレンジャー
打ち上げ国名・機関:アメリカ/アメリカ航空宇宙局(NASA)
打ち上げ年月日:1984年4月6日
着陸年月日:1984年4月13日
宇宙飛行士:ロバート・クリッペン/フランシス・スコビー/ジョージ・ネルソン/ジェームス・バン・ホフテン/テリー・ハート
飛行時間:167時間40分
STS-41-Cのチャレンジャーは、史上初めて宇宙空間で人工衛星を修理することに成功しました。
修理されたのは、高度約490kmの軌道をまわっていた故障中の太陽活動観測衛星ソーラー・マキシマムです。シャトルから伸びた長さ15mのロボット・アームが衛星をつかまえ、荷物室に回収したあと、ジョージ・ネルソン飛行士とジェームス・バン・ホフテン飛行士が船外活動によって修理作業を行ないました。故障の直った衛星は前と同じ高度の軌道に再び乗せられました。
この成功によって、それまで使い捨てだった人工衛星をくりかえして利用できるようになったばかりでなく、将来の宇宙基地建設の可能性も高まりました。
チャレンジャーは地球のまわりを92周してエドワーズ空軍基地に着陸しました。
1.どんな形をして、どのような性能を持っているの
スペースシャトル・チャレンジャーは、オービター(軌道船)と呼ばれる有人宇宙船(チャレンジャー)と、それを打上げるための固体燃料ブースターロケット2基と、液体燃料を入れてある外部タンクからなっています。全長さ56m、高さ23m、重さ2,000tで、オービターだけの長さは37m、高さ17m、重さ85tです。外部タンクは使い捨てですが、オービターとブースターロケットはくりかえし使われます。
2.打ち上げや飛行の順序はどうなっているの?
ブースターロケットの噴射と、外部タンクの液体燃料を使うオービターの噴射で打上げます。2分後に、燃料の燃えつきたブースターロケットが切り離され、パラシュートで落下します。8分後、高度250キロメートルから400キロメートルに達したとき外部タンクが切り離され、オービターは軌道修正用エンジンで地球周回軌道に乗ります。オービターが地球に戻るときは、グライダーのように滑空しながら着陸します。
3.宇宙飛行の目的は?
太陽活動観測衛星ソーラー・マキシマムの修理です。
4.宇宙でどんな活動をし、どのような成果をおさめたの?
宇宙での人工衛星の修理に史上初めて成功し、使い捨てだった衛星を再利用できるようにしました。
※参考文献:「Newton Collection II 宇宙開発」竹内 均・監修(教育社)、「SPACE ATLAS 宇宙のすべてがわかる本」河島信樹・監修/三品隆司・著(PHP研究所)、朝日新聞縮刷版 昭和59年4月
STS-41-C
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/30 19:04 UTC 版)
STS-41-C | |||||
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徽章
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ミッションの情報 | |||||
ミッション名 | STS-41-C | ||||
シャトル | チャレンジャー | ||||
発射台 | 39-A | ||||
打上げ日時 | 1984年4月6日 13:58:00 UTC | ||||
着陸または着水日時 | 1984年4月13日 13:38:07 UTC エドワーズ空軍基地 |
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ミッション期間 | 6日23時間40分7秒 | ||||
周回数 | 108 | ||||
高度 | 580 km | ||||
軌道傾斜角 | 28.5° | ||||
航行距離 | 4,620,000 km | ||||
乗員写真 | |||||
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年表 | |||||
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STS-41-Cは、アメリカ航空宇宙局の11度目のスペースシャトルのミッションであり、チャレンジャーの5度目のミッションである。1984年4月6日の打上げは、スペースシャトルとして初めて、直接上昇軌道に乗せるものであった。STS-41-Cは、ソーラーマックスの捕獲に問題が生じたことから、1日延長され、4月13日に、計画されたケネディ宇宙センターではなくエドワーズ空軍基地に着陸した。この飛行は、当初はSTS-13とされていた[1][2]。
乗組員
- ロバート・クリッペン(機長、3度目)
- ディック・スコビー(パイロット、1度目)
- ジョージ・ネルソン(ミッションスペシャリスト、1度目)
- ジェームズ・ファン・ホーフェン(ミッションスペシャリスト、1度目)
- テリー・ハート(ミッションスペシャリスト、1度目)
パラメータ
- 質量:
- 離陸時:115,328 kg
- 着陸時:89,346 kg
- ペイロード:25,981 kg
- 近点:222 km
- 遠点:468 km
- 軌道傾斜角:28.5°
- 軌道周期:91.4分
宇宙遊泳
- 1度目 - ネルソンとファン・ホーフェン
- 開始:1984年4月8日 14時18分UTC
- 終了:1984年4月8日 16時56分UTC
- 時間:2時間38分
- 2度目 - ネルソンとファン・ホーフェン
- 開始:1984年4月11日 08時58分UTC
- 終了:1984年4月11日 15時42分UTC
- 時間:6時間44分
ミッションの概要




1984年4月6日8時58分ESTに打ち上げられた。このミッションは、スペースシャトルを初めて直接上昇軌道に乗せるもので、オービタル・マニューバリング・システム・エンジンを1度起動しただけで、533㎞の軌道に達し、周回軌道に入った。
この飛行には2つの主要な目的があった。1つは、長期曝露実験施設をすることであった。この施設は、回収可能であり、質量は9,700㎏、長さは4.3m、直径は9.1mで、側面に12個のシリンダーをつけ、57の科学実験を行うことができた。2つ目の目的は、1980年に打ち上げられ、故障したソーラーマックスを捕獲し、回収、再投入することであった。
5人の乗組員は、全員男性で、機長のロバート・クリッペンは唯一の宇宙飛行経験者で3度目の飛行であった。パイロットはディック・スコビー、ミッションスペシャリストは、ジョージ・ネルソン、ジェームズ・ファン・ホーフェン及びテリー・ハートであった。
打上げの段階で、ミッションコントロールセンターのメインコンピュータが故障し、バックアップのコンピュータを用いた。約1時間の間、コントロールセンターにはスペースシャトルからのデータが届かなかった[4]。
飛行2日目、シャトル・リモート・マニピュレータ・システムを用いて長期曝露実験施設の軌道への投入に成功した。57の実験は、8つの国から来た200人の研究者によって行われた。長期曝露実験施設の改修は1985年に予定されていたが、計画は延長し、1986年のチャレンジャー号爆発事故の影響によって1990年1月12日のSTS-32まで延期された。
飛行3日目、飛行高度を約560kmまで上昇させ、ソーラーマックスのから61mの距離まで近づいた。ネルソンとファン・ホーフェンは、船外活動用推進装置を用いて船外活動を行い、Trunnion Pin Acquisition Deviceという装置を用いて衛星を捕獲しようと試みたが、3度の挑戦は失敗に終わった。ネルソンが手で掴もうとした時にソーラーマックスは多軸で回転を始め、掴むことはできなかった。クリッペンは、2人をシャトル上に留めるために過度の操作を行い、燃料が尽きそうになった。
夜間には、ゴダード宇宙飛行センターから磁気トルクを制御する指令を送ることができ、回転を安定させることができた。
翌日、クリッペンは再びチャレンジャーをソーラーマックスに近づけ、ハートがシャトル・リモート・マニピュレータ・システムでソーラーマックスを捕獲することに成功した。ソーラーマックスはそのままペイロードベイに格納され、高度制御システムとコロナグラフ観測システムの電子回路の修理が行われた。最終的には、2度の船外活動で修理が完了し、ソーラーマックスは翌日、軌道に再投入された。ゴダード宇宙飛行センターによる30日間の監視を終えて、この衛星は運用を再開した。
その他の活動としては、学生教育用の実験として、ミツバチは微小重力環境でもハニカム構造を作れるのか確認する実験があった。ミツバチは、地球にいる時と同じようにハニカム構造を作るのに成功した。
長期曝露実験施設の投入やソーラーマックスの修理を含むこのミッションのハイライトはIMAXで撮影され、The Dream is Aliveという映画に使われた。
6日間と23時間40分7秒のミッションは、1984年4月13日5時38分PSTに、チャレンジャーがエドワーズ空軍基地の第17滑走路に着陸して終了した。チャレンジャーは、1984年4月18日にケネディ宇宙センターに戻った。
起床コール
NASAでは、ジェミニ計画の時から、宇宙飛行士のために音楽をかけ始め、アポロ15号から、乗組員の起床のために音楽を使うようになった。それぞれの曲は、宇宙飛行士の家族等が選んだもので、それぞれの乗組員にとって特別な意味を持つものや、日々の活動に適したものである[5]。
日程 | 曲 | 歌手/作曲家 |
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2日目 | "A Boy Named Sue" | ジョニー・キャッシュ |
3日目 | "Lehigh University Fight Song" | |
4日目 | 不明 | |
5日目 | "ロッキーのテーマ" | |
6日目 | 不明 | |
7日目 | 無し | |
8日目 | "University of Texas Fight Song" |
出典
- ^ "James D. A. van Hoften", NASA Johnson Space Center Oral History Project, 5 December 2007.
- ^ "Terry J. Hart", NASA Johnson Space Center Oral History Project, 10 April 2003.
- ^ Space Shuttle Challenger: Ten Journeys into the Unknown by Ben Evans. Google Books. Retrieved 2012-05-30.
- ^ Hale, Wayne. “Ground Up Rendezvous”. 2012年7月5日閲覧。
- ^ Fries, Colin (2007年6月25日). “Chronology of Wakeup Calls” (PDF). NASA 2007年8月13日閲覧。
外部リンク
- NASA mission summary
- STS-41C Video Highlights
- The Dream is Alive IMAX film with footage from STS-41-C
- STS-41C NST Program Mission Report
- Fixing Solar Max: 30 Years Since Mission 41C (Part 1) 2014年4月5日 AmericaSpace.com
- Fixing Solar Max: 30 Years Since Mission 41C (Part 2) 2014年4月6日 AmericaSpace.com
STS-41-C
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 18:58 UTC 版)
「ジョージ・ネルソン (宇宙飛行士)」の記事における「STS-41-C」の解説
1984年4月6日から13日にチャレンジャーで行われた7日間のミッションで、長期露出実験装置の展開、ソーラーマックスの回収、修理、放出を行った。また、2度の宇宙遊泳で船外活動ユニットやIMAXシステムのテストも行われた。
※この「STS-41-C」の解説は、「ジョージ・ネルソン (宇宙飛行士)」の解説の一部です。
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