STS-82
名称:STS-82
オービター名称:ディスカバリー
打ち上げ国名・機関:アメリカ/アメリカ航空宇宙局(NASA)
打ち上げ年月日:1997年2月11日
着陸年月日:1997年2月21日
宇宙飛行士:ケネス・D・ボワソックス/スコット・J・ホロウィッツ/マーク・C・リー/スティーブン・A・ハウレイ/グレゴリー・J・ハーバウ/スチーブン・L・スミス/ジョセフ・R・ターナー
飛行時間:239時間38分
STS-82ディスカバリーの任務は、ハッブル宇宙望遠鏡の補修をすることでした。
ハッブル宇宙望遠鏡は、1990年4月打ち上げのSTS-31ディスカバリーによって軌道上に乗せられた天体観測衛星です。宇宙の画像をきれいに撮影しつづけるためには、ハッブルの古くなった部品を新しいものと取り替えなければなりません。STS-82ディスカバリーの宇宙飛行士たちは船外活動によってハッブルの補修を行ない、より高い分解度の分光計やスペクトル写真帰赤外線カメラなどをハッブルに取り付けました。
このときの補修は、1993年12月打ち上げのSTS-61エンデバーが行なった補修に続いて2回目のものでした。約11日間の飛行のあと、ディスカバリーは地球に戻りました。
2度目のサービスミッションで新しく取り付けられた主な装置は、近赤外線波長を使うことによって高い感度で宇宙を観測することができる「NICMOS (近赤外カメラ及び多天体分光器)」や、紫外線領域の感度の高いスペクトル観測装置「STIS(宇宙望遠鏡撮像分光器)」です。その他にも、10臆ビットものデータを蓄積する装置や、より鮮明でにじみのない映像を記録できる装置などを取り付けました。新たに装置を取り付けたハッブル宇宙望遠鏡は、最新の宇宙の映像を地球に送り続けています。
1.どんな形をして、どのような性能を持っているの
スペースシャトル・ディスカバリーは、オービター(軌道船)と呼ばれる有人宇宙船(ディスカバリー)と、それを打ち上げるための固体燃料ブースターロケット2基、液体燃料を入れてある外部タンクからなっています。全体の長さは56m、高さ23m、重さ2,000tで、オービターだけの長さは37メートル、高さ17m、重さ85tです。外部タンクは使い捨てですが、オービターとブースターロケットはくりかえし使われます。
2.打ち上げや飛行の順序はどうなっているの?
ブースターロケットの噴射と、外部タンクの液体燃料を使うオービターの噴射で打ち上げます。2分後に、燃料の燃えつきたブースターロケットが切り離され、パラシュートで落下します。8分後、高度250kmから400kmに達したとき外部タンクが切り離され、オービターは軌道修正用エンジンで地球周回軌道に乗ります。オービターが地球に戻るときは、グライダーのように滑空しながら着陸します。
4.宇宙でどんな活動をし、どのような成果をおさめたの?
船外活動によってハッブル宇宙望遠鏡の補修を行ないました。
※参考文献:「Newton CollectionII 宇宙開発」竹内 均・監修(教育社)1992年発行「SPACE ATLAS 宇宙のすべてがわかる本」河島信樹・監修/三品隆司・著(PHP研究所)1995年発行
STS-82
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/05 22:11 UTC 版)
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ディスカバリーのペイロードベイから見たハッブル宇宙望遠鏡
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任務種別 | ハッブル宇宙望遠鏡サービス |
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運用者 | NASA |
COSPAR ID | 1997-004A |
SATCAT № | 24719 |
任務期間 | 9日23時間38分09秒 |
飛行距離 | 6,100,000 km |
周回数 | 149 |
特性 | |
宇宙機 | スペースシャトル・ディスカバリー |
打ち上げ時重量 | 116,884 kg |
ペイロード重量 | 83,122 kg |
乗員 | |
乗員数 | 7 |
乗員 | ケネス・バウアーソックス スコット・ホロウィッツ ジョセフ・タナー スティーヴン・ホーリー グレゴリー・ハーボー マーク・リー スティーヴン・スミス |
任務開始 | |
打ち上げ日 | 1997年2月11日 08:55:17(UTC) |
打上げ場所 | ケネディ宇宙センター第39発射施設 |
任務終了 | |
着陸日 | 1997年2月21日 08:32(UTC) |
着陸地点 | ケネディ宇宙センター 15番滑走路 |
軌道特性 | |
参照座標 | 地球周回軌道 |
体制 | 低軌道 |
近点高度 | 475 km |
遠点高度 | 574 km |
傾斜角 | 28.4698° |
軌道周期 | 95.2分 |
ハッブル宇宙望遠鏡のドッキング(捕捉) | |
RMSの捕捉 | 1997年2月13日 08:34(UTC) |
RMS切り離し | 1997年2月19日 06:41(UTC) |
![]() ![]() 左から:(前列)バウアーソックス、ホーリー、ホロウィッツ、(後列)タナー、ハーボ―、リー、スミス |
STS-82は、スペースシャトルディスカバリーの22回目の飛行、スペースシャトル計画の82回目のミッションである。アメリカ航空宇宙局が行うハッブル宇宙望遠鏡(HST)関係の2回目のサービスミッションで、望遠鏡の科学機器の修理や更新が行われた。オービタとしては最高の高度620kmに到達した。1997年2月11日にフロリダ州のケネディ宇宙センターから打ち上げられ、1997年2月21日にケネディ宇宙センターに帰還した[1]。
乗組員
- 船長:ケネス・バウアーソックス (4度目)
- 操縦士:スコット・ホロウィッツ (2度目)
- ミッションスペシャリスト1:ジョセフ・タナー (2度目)
- ミッションスペシャリスト2:スティーヴン・ホーリー (4度目)
- ミッションスペシャリスト3:グレゴリー・ハーボー(4度目)
- ミッションスペシャリスト4:マーク・リー (4度目)
- ミッションスペシャリスト5:スティーヴン・スミス (2度目)
ミッションの目的

HSTは、1990年4月24日のSTS-31で軌道上に送られ、STS-61で1回目のサービスミッションが行われた。科学機器の能力向上が行われ、また1999年のSTS-103と2002年のSTS-109で次に予定されるサービスミッションまでの間機能をスムーズに保つようメンテナンスが行われた[1]。
ミッションの3日目、2つの古い機器を回収し、2つの新しい機器を設置するための最初の宇宙遊泳が行われた。2つの古い機器は、ゴダード高解像度分光器と微光天体分光器であり、それぞれ宇宙望遠鏡撮像分光器(STIS)と近赤外線カメラ・多天体分光器(NICMOS)に置き換えられた[2]。
新しい機器の設置に加え、他の既存のハードウェアの更新や修理も行われた。ファイン・ガイダンス・センサーが修理され[1]、オープンリールはソリッドステートレコーダ(SSR)に置き換えられた。SSRはより柔軟性があり、オープンリールの10倍以上のデータを収録できる[1][2]。4つのリアクションホイール(RWA)のうちの1つはスペアと取り換えられた[3]。RWAは角モーメントを利用して、望遠鏡を望む方向に動かし、維持する。必要に応じて、3つの車輪のみを作動させて観測できるように、車軸の向きが決められる[1]。持ち帰られた機器の研究は、宇宙に長期滞在(7年間)した機器という滅多にない研究材料を提供し、特に真空中での潤滑油が「素晴らしい状態」にあるということが発見された[3]。
ミッションの結果

STS-82は、軌道上を周回する宇宙船にサービスするというスペースシャトルの新たな能力を実証した。このミッションでは、4度の計画された宇宙遊泳でHSTの機器を更新し、最後に計画外の5度目の宇宙遊泳で機器の修理を行った[2]。HSTは、15年間の予定運用期間のうちに定期的に更新することを前提に設計され、1993年12月のSTS-61ではその第一回が行われた。STS-31で望遠鏡の展開にも携わったスティーヴン・ホーリーは、STS-82でリモート・マニピュレーター・システムを操作して、2月13日3:34(EST)にHSTを回収し、30分後にはディスカバリーのペイロードベイ上空に位置させた[2]。
150以上の道具と他の乗組員の支援を得て、リーとスミスは1回目、3回目と5回目の、ハーボーとタナーは2回目と4回目の宇宙遊泳を行った。1回目の宇宙遊泳は2月13日11:34(EST)に始まり、6時間42分行われた。ディスカバリーのエアロックを開ける際の減圧の突風でHSTの太陽電池の1つが予期せず揺れたが、損傷はなかった[2]。リーとスミスは2つの機器を取り外し、新しい機器と取り換えた。STISは、超大質量ブラックホールについてさらに光を当てること、NICMOSは0.8-2.5μmの近赤外線領域で初めてのクリアな宇宙像を提供することが期待された。
2回目の宇宙遊泳は2月14日10:25(EST)に始まり、7時間27分行われた。ハーボーとタナーは、損傷したファイン・ガイダンス・センサーと失敗したテープレコーダーを新しいスペアと取り換えた。また、ファイン・ガイダンス・センサーの機能を向上させるOptical Control Electronics Enhancement Kitと呼ばれる新しい装置を設置した[2]。この宇宙遊泳の間に、HSTの太陽側進行方向の側面の断熱材にひびや擦切れがあるのが発見された[2]。
3回目の宇宙遊泳は2月15日9:53(EST)に始まり、7時間11分行われた。リーとスミスはData Interface Unitを好感し、さらにテープレコーダーをSSRに交換した。これによりデータの記録と再生が同時にできるようになった[2]。さらに、リアクションホイールの1つが交換された。この宇宙遊泳の後、ミッションマネージャーは、5度目の宇宙遊泳を行って断熱材を修理することを決断した。
4回目の宇宙遊泳は2月16日10:45(EST)に始まり、6時間34分行われた。ハーボーとタナーは、太陽電池の位置を制御しているSolar Array Drive Electronicsを交換した。また、磁力計のカバーを交換し、望遠鏡の頂点下の遮光部分の周囲の2つの断熱領域に多層材料のサーマルブランケットを置きました。また、彼はHubbleの磁力計上のカバーを交換し、天板のすぐ下の望遠鏡の遮光部分の周囲の2つの断熱領域に多層材料の断熱ブランケットを設置した。この間、ホロウィッツとリーは、ミッドデッキで新しい断熱ブランケットを組み立てていた。
5回目の宇宙遊泳は5時間17分行われた。リーとスミスは、いくつかの断熱ブランケットを望遠鏡のサポートシステムモジュールセクションの上部にある3つの機器区画に取り付けた。この機器区画には、主要なデータ処理、電子機器、及び遠隔測定装置等が含まれていた。STS-82での宇宙遊泳は、合計33時間11分に及んだ。
ミッションの間、HSTの軌道を8マイル持ち上げるために操縦用ジェットが何度か点火された。2月19日1:41には、これまで最高となる620km×594kmの高度に置かれた。このミッションの間に行われた新しい機器や装置の当初のチェックでは、全てが名目通り動いていることが確認された。2つの新しい機器の校正に数週間かかり、最初の画像やデータが取得されたのは8-10週間後と予測された。
起床コール
NASAは、ジェミニ計画の頃から宇宙飛行士のために音楽をかけてきた。アポロ15号では、宇宙飛行士の起床のために初めて用いられた[4]。曲は、しばしば家族によって特別に選ばれたもので、乗組員個人にとって特別な意味を持ったものか日々の活動にふさわしいものである[4]。
日 | 曲 | 歌手/作曲家 |
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2日目 | "Magic Carpet Ride" | ステッペンウルフ |
3日目 | "These Are Days" | 10,000 Maniacs |
4日目 | "Two Princes" | スピン・ドクターズ |
5日目 | "ハイヤー・ラヴ" | スティーヴ・ウィンウッド |
6日目 | "The Packerena" | WMYX-FM |
7日目 | "Shiny Happy People" | R.E.M. |
8日目 | "Dreams" | クランベリーズ |
9日目 | "That Thing You Do" | The Wonders |
10日目 | "Five Hundred Miles Away From Home" | リーバ・マッキンタイア |
11日目 | "Born to Be Wild" | ステッペンウルフ |
出典
- ^ a b c d e “STS-82 (82)”. National Aeronautics and Space Administration. 2011年12月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “Nasa - STS-82”. National Aeronautics and Space Administration. 2011年12月25日閲覧。
- ^ a b Carre, D. J.; Bertrand, P. A. (1999). “Analysis of Hubble Space Telescope Reaction Wheel Lubricant”. Journal of Spacecraft and Rockets 36 (1): 109?113. Bibcode: 1999JSpRo..36..109C. doi:10.2514/2.3422 .
- ^ a b Fries, Colin (2007年6月25日). “Chronology of Wakeup Calls” (PDF). NASA 2007年8月13日閲覧。
外部リンク
- STS-82のページへのリンク