STS-51-B
名称:STS-51-B
オービター名称:チャレンジャー
打ち上げ国名・機関:アメリカ/アメリカ航空宇宙局(NASA)
打ち上げ年月日:1985年4月29日
着陸年月日:1985年5月6日
宇宙飛行士:ロバート・オーバーマイヤー/フレデリック・グレゴリー/ドン・リンド/ノーマン・サガード/ウィリアム・ソーントン/ロデウィク・バン・デン・バーグ/テイラー・ワン
飛行時間:168時間8分
STS-51-Bのチャレンジャーにはスペースラブ(宇宙実験室)3号が積まれていました。7日間にわたって行われた科学実験のなかには、戦略防衛構想(SDI、スターウォーズ計画)のための研究もふくまれていました。
当時のアメリカはソ連(いまのロシア)と冷戦状態にあり、核戦争の行われる危険がありました。戦略防衛構想はそのために考えだされたもので、敵の核ミサイルを宇宙から打ち落とす計画です。
戦略防衛構想のための研究として、無重力を利用し、硫酸三グリシン塩の大きな結晶を作る実験などがされています。この結晶は赤外線に敏感で、宇宙から敵ミサイルを探知するのに役立つものでした。
またチャレンジャーには、宇宙酔いの治療法を研究するためのリスザルや白ネズミなど、それままでもっとも多い数の実験動物が積まれていました。
1.どんな形をして、どのような性能を持っているの
スペースシャトル・チャレンジャーは、オービター(軌道船)と呼ばれる有人宇宙船(チャレンジャー)と、それを打ち上げるための固体燃料ブースターロケット2基と、液体燃料を入れてある外部タンクからなっています。全長56m、高さ23m、重さ2,000tで、オービターだけの長さは37m、高さ17m、重さ85tです。外部タンクは使い捨てですが、オービターとブースターロケットはくりかえし使われます。
2.打ち上げや飛行の順序はどうなっているの?
ブースターロケットの噴射と、外部タンクの液体燃料を使うオービターの噴射で打上げます。2分後に、燃料の燃えつきたブースターロケットが切り離され、パラシュートで落下します。8分後、高度250kmから400kmに達したとき外部タンクが切り離され、オービターは軌道修正用エンジンで地球周回軌道に乗ります。オービターが地球に戻るときは、グライダーのように滑空しながら着陸します。
3.宇宙飛行の目的は?
スペースラブ3号を使って科学実験をすることです。
4.宇宙でどんな活動をし、どのような成果をおさめたの?
さまざまな科学実験が行われ、そのなかには軍事目的のものもふくまれていました。
※参考文献:「Newton Collection II 宇宙開発」竹内 均・監修(教育社)、「SPACE ATLAS 宇宙のすべてがわかる本」河島信樹・監修/三品隆司・著(PHP研究所)、朝日新聞縮刷版 昭和60年4月・5月
STS-51-B
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/07 02:11 UTC 版)
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STS-51-Bでのチャレンジャーの打上げ
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任務種別 | 微小重力実験 |
---|---|
運用者 | NASA |
COSPAR ID | 1985-034A |
SATCAT № | 15665 |
任務期間 | 7日8分46秒 |
飛行距離 | 4,651,621 km |
周回数 | 111 |
特性 | |
宇宙機 | チャレンジャー |
打ち上げ時重量 | 111,980 kg |
着陸時重量 | 96,373 kg |
ペイロード重量 | 15,610 kg |
乗員 | |
乗員数 | 7 |
乗員 | ロバート・オーバーマイヤー フレデリック・グレゴリー ドン・リンド ノーマン・サガード ウィリアム・ソーントン ロデウェイク・ファン・デン・バーグ 王贛駿 |
任務開始 | |
打ち上げ日 | 1985年4月29日 16:02:18(UTC) |
打上げ場所 | ケネディ宇宙センター第39発射施設 |
任務終了 | |
着陸日 | 1985年5月6日 16:11:04(UTC) |
着陸地点 | エドワーズ空軍基地第17滑走路 |
軌道特性 | |
参照座標 | 地球周回軌道 |
体制 | 低軌道 |
近点高度 | 346 km |
遠点高度 | 352 km |
傾斜角 | 57.0° |
軌道周期 | 91.5分 |
![]() ![]() 前列:左から、オーバーマイヤー、グレゴリー 後列:左から、リンド、王、サガード、ソーントン、ファン・デン・バーグ |
STS-51-Bは、アメリカ航空宇宙局(NASA)のスペースシャトル計画の17回目の飛行であり、チャレンジャーにとって7回目の飛行である。1985年4月29日のチャレンジャーの打上げは、打上げ作業管理上の不具合のため、2分18秒遅れた。チャレンジャーは、当初STS-51-Eのミッションで用いられる予定で発射台に運ばれたが、TDRS-B衛星のタイミングの問題が発生し、戻された。STS-51-Eが中止になると、チャレンジャーはSTS-51-Bのペイロードを積み直した。シャトルは、1週間のミッションの後、1985年5月6日に帰還した。
乗組員
- 船長 - ロバート・オーバーマイヤー (2)
- 操縦手 - フレデリック・グレゴリー (1)
- ミッションスペシャリスト1 - ドン・リンド (1)
- ミッションスペシャリスト2 - ノーマン・サガード (2)
- ミッションスペシャリスト3 - ウィリアム・ソーントン (2)
- ペイロードスペシャリスト1 - ロデウェイク・ファン・デン・バーグ (1)
- ペイロードスペシャリスト2 - 王赣骏 (1)
バックアップ
- ペイロードスペシャリスト1 - マリー・ジョンストン
- ペイロードスペシャリスト2 - ユージン・トリン
ミッションの概要
チャレンジャーは、1985年4月29日午後0時2分(EDT)にケネディ宇宙センターの第39発射施設Aから打ち上げられた。乗組員は、船長のロバート・オーバーマイヤー、操縦手のフレデリック・グレゴリー、ミッションスペシャリストのドン・リンド、ノーマン・サガード、ウィリアム・ソーントン、そしてペイロードスペシャリストのロデウェイク・ファン・デン・バーグ、王?駿であった[1]。以前のスペースラブのミッション(STS-9)と同様に、乗組員は12時間毎のシフトの2組に分かれ、オーバーマイヤー、リンド、ソーントン、王はゴールドチーム、グレゴリー、サガード、ファン・デン・バーグがシルバーチームとなった。
STS-51-Bは、欧州宇宙機関のスペースラブの2回目の飛行であり、スペースラブモジュールが完全な形態となって初めてのミッションとなった。スペースラブでは、複数の微小重力実験が可能であることが示された。オービタの高度は非常に安定で、デリケートな材料実験や流体力学の実験を行うことができた。乗組員は、12時間毎のシフトで運営を行った。2匹のリスザルと24匹のラットが檻に入れられて宇宙を飛び[2]、これはアメリカ合衆国にとって、ヒト以外の哺乳類をスペースシャトルに乗せた2回目の飛行となった。軌道上の乗組員は、ジョンソン宇宙センターに置かれた管制センターから24時間のサポートを受けた。
このミッションで、スペースラブでは15個の実験が行われ、そのうち14個は成功した。2つのGetaway Special実験では、この計画で初めて、キャニスターから放出される必要があった。これらは、NUSAT(Northern Utah Satellite)とGLOMR(Global Low Orbiting Message Relay Satellite)であり、NUSATの放出には成功したが、GLOMRは放出されず、そのまま地球に帰還した。
チャレンジャーは、1985年5月6日午後0時11分に、7日間と8分46秒のミッションを終え、無事エドワーズ空軍基地に着陸した。
チャレンジャー号爆発事故との関係
1986年のチャレンジャー号爆発事故の調査に参加した際、オーバーマイヤーは、STS-51-Bの打上げの際にも、事故に繋がったものと同様のOリングの問題が発生していたことを知った。ATKランチ・システムズ・グループの技術者は、このミッションの後、リンデに対し、「あなたたちは死まで0.3秒のところにいた。左側の固体燃料ロケットのOリングには問題が発生していた」と語っていた[3]。
出典
- ^ Fichtl, George H.; Theon, John S.; Hill, Charles K.; Vaughan, Otha H.. “Spacelab 3 Mission Science Review”. NASA. Marshall Space Flight Center. 2011年9月27日閲覧。
- ^ PROGRAMS, MISSIONS, AND PAYLOADS STS-51B/Spacelab 3, NASA
- ^ “NASA Johnson Space Center Oral History Project”. Don L. Lind oral history transcript (2005年5月27日). 2013年10月29日閲覧。
外部リンク
STS-51-B
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/07 15:28 UTC 版)
「フレデリック・グレゴリー」の記事における「STS-51-B」の解説
STS-51-Bは、1985年4月29日にケネディ宇宙センターから打ち上げられた。グレゴリーはパイロットを務めた。欧州宇宙機関が開発した研究室の2度目の飛行で、宇宙物理学から動物実験まで、幅広い科学実験が行われた。また、Nothern Utah Satellite (NURAT)の展開も行われた。7日間のミッションの後、5月6日にエドワーズ空軍基地の乾湖底に着陸した。ミッション期間は、168時間8分47秒であった。
※この「STS-51-B」の解説は、「フレデリック・グレゴリー」の解説の一部です。
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