STS-43
名称:STS-43
オービター名称:アトランティス
打ち上げ国名・機関:アメリカ/アメリカ航空宇宙局(NASA)
打ち上げ年月日:1991年8月2日
着陸年月日:1991年8月11日
宇宙飛行士:ジョン・ブラハ/マイケル・A・ベーカー/ジェームス・アダムソン/デビッド・ロウ/シャノン・W・ルシッド
飛行時間:213時間21分
STS-43のアトランティスは、宇宙通信を補助するための追跡・データ中継衛星TDRSを軌道上に運びました。ほかにも、宇宙ステーションを作るときのための、さまざまな技術のテストや、地球のオゾン層の観測などを行ないました。
また、このときの飛行で乗組員たちは「地球がこれまでにない煙にかすんでいる」と報告しています。「煙は中央アフリカの上空でとくに濃く、ほとんど地面が見えなかった」と述べました。当時はフィリピンのピナトゥボ火山が噴火し、大変な被害をもたらしていました。中近東のクゥエートで油田火災もおこっていました。それらの大規模な煙が地球をかすませて見せたのかもしれませんが、原因ははっきりしていません。
1.どんな形をして、どのような性能を持っているの
スペースシャトル・アトランティスは、オービター(軌道船)と呼ばれる有人宇宙船(アトランティス)と、それを打上げるための固体燃料ブースターロケット2基、液体燃料を入れてある外部タンクからなっています。全体の長さは56m、高さ23m、重さ2,000tで、オービターだけの長さは37m、高さ17m、重さ85tです。外部タンクは使い捨てですが、オービターとブースターロケットはくりかえし使われます。
2.打ち上げや飛行の順序はどうなっているの?
ブースターロケットの噴射と、外部タンクの液体燃料を使うオービターの噴射で打上げます。2分後に、燃料の燃えつきたブースターロケットが切り離され、パラシュートで落下します。8分後、高度250kmから400kmに達したとき外部タンクが切り離され、オービターは軌道修正用エンジンで地球周回軌道に乗ります。オービターが地球に戻るときは、グライダーのように滑空しながら着陸します。
3.宇宙飛行の目的は?
人工衛星の打上げや、宇宙ステーション用の技術テストなどです。
4.宇宙でどんな活動をし、どのような成果をおさめたの?
追跡・データ中継衛星TDRSを軌道上に乗せました。
※参考文献:「Newton Collection II 宇宙開発」竹内 均・監修(教育社)、「SPACE ATLAS 宇宙のすべてがわかる本」河島信樹・監修/三品隆司・著(PHP研究所)、朝日新聞縮刷版 平成3年8月
STS-43
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/29 04:14 UTC 版)
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TDRS-Eを放出するアトランティス
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任務種別 | 衛星放出 |
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運用者 | NASA |
COSPAR ID | 1991-054A |
SATCAT № | 21638 |
任務期間 | 8日21時間21分25秒 |
飛行距離 | 5,955,217 km |
周回数 | 142 |
特性 | |
宇宙機 | アトランティス |
着陸時重量 | 89,239 kg |
ペイロード重量 | 21,067 kg |
乗員 | |
乗員数 | 5 |
乗員 | ジョン・ブラハ マイケル・A・ベイカー シャノン・ルシッド デヴィッド・ロー ジェームズ・アダムソン |
任務開始 | |
打ち上げ日 | 1991年8月2日 15:01:59(UTC) |
打上げ場所 | ケネディ宇宙センター第39発射施設A |
任務終了 | |
着陸日 | 1991年8月11日 12:23:25(UTC) |
着陸地点 | ケネディ宇宙センター第15滑走路 |
軌道特性 | |
参照座標 | 地球周回軌道 |
体制 | 低軌道 |
近点高度 | 301 km |
遠点高度 | 306 km |
傾斜角 | 28.45° |
軌道周期 | 90.6分 |
![]() ![]() Left to right: Lucid, Adamson, Blaha, Low, Baker |
STS-43は、4機目のTDRSであるTDRS-Eの打上げを主目的とした、アトランティスの9回目のミッションである。将来の宇宙ステーションで用いられる可能性のあるヒートパイプラジエータの試験や医学実験、材料実験等が行われた。
乗組員
- 船長 - ジョン・ブラハ (3)
- 操縦手 - マイケル・A・ベーカー (1)
- ミッションスペシャリスト1 - シャノン・ルシッド (3)
- ミッションスペシャリスト2 - デヴィッド・ロー (2)
- ミッションスペシャリスト3 - ジェームズ・アダムソン (2)
準備と打上げ
打上げは、1991年8月2日午前11時1分59秒(EDT)に行われた。当初は7月23日の予定であったが、オービタとスペースシャトル外部燃料タンクの分離を制御する電子系の故障を交換するため、7月24日に延期された。さらに7月24日の打上げ5時間前には、3番目のメインエンジンの制御装置の故障のため、再び延期された。制御装置は交換、試験され、打上げは8月1日に再設定された。午前11時1分の予定だった打上げはキャビンの圧力通気弁の指示値の異常のため午後12時28分に延期され、打上げ地点の悪天候のためにさらに延期された。打上げはこれ以上遅れず、最終的に1991年8月2日に行われた。打上げ時の重量は、117,650kgであった。
ハイライト




このミッションの主目的のペイロードであるTracking and Data Relay Satellite-5(TDRS-E)には慣性上段ロケットがつけられ、飛行約6時間目に放出され、慣性上段ロケットによって対地同期軌道まで運ばれた。TDRS-Eは、TDRSクラスターの4番目の衛星となった。このミッションの副次的なペイロードは、Space Station Heat Pipe Advanced Radiator Element II (SHARE II)、Shuttle Solar Backscatter Ultra-Violet (SSBUV) instrument、Tank Pressure Control Equipment (TPCE)、Optical Communications Through Windows (OCTW)であった。その他の実験には、Auroral Photography Experiment (APE-B)、Protein Crystal Growth Ill (PCG Ill)、Bioserve / Instrumentation Technology Associates Materials Dispersion Apparatus (BIMDA)、Investigations Into Polymer Membrane Processing (IPMP)、Space Acceleration Measurement System (SAMS)、Solid Surface Combustion Experiment (SSCE)、Ultraviolet Plume imager (UVPI)、Air Force Maui Optical Site (AMOS)があった。
軌道上でTDRS-5となったTDRS-Eは、慣性上段ロケットの2度の点火によって、地球上空22,000マイル以上の対地同期軌道に投入された。2度目の点火は、ミッションが始まって約12時間後に行われた。TDRSはその後アンテナと太陽電池パネルを展開し、45分以内に慣性上段ロケットから切り離された。
TDRSの衛星ネットワークは、スペースシャトル等の低軌道上の宇宙船と地球の間の通信リンクを提供する。STS-43で4機目が展開されるまで、3機のTDRSが赤道上空の軌道上に存在し、2機は太平洋西部、ハワイ南西部、1機はブラジルの北東部の上空にあった。TDRS-Bは、1986年のチャレンジャー号爆発事故で喪失した。STS-43後、西の2機の衛星は起動上の予備となり、起動、校正後のTDRS-5は、1991年10月7日から公式に、西部域の主要な通信衛星となった。この衛星は、西経175°に配置された。
それまで、軌道上の宇宙船は、周回の約15%の間、地上局が直接の視野の範囲にある間だけ、地上と通信を行うことができた。TDRSネットワークによって、宇宙船の高度に応じて周回の85%から100%で地上との通信が可能となった。
9日間のミッションで、乗組員は常に様々な実験を行った。Space Station Heat Pipe Advanced Radiator Element II (SHARE-II)実験では、フリーダム宇宙ステーションの冷却系として用いられる可能性がある熱エネルギー移転による自然冷却過程の試験が行われた。Solid Surface Combustion Experimentでは、微小重力において炎がどのような振る舞いを見せるかについてのある程度の答えが得られた。また、以前のミッションで設置された材料科学の実験装置が起動され、長期滞在に向けた医学試験も行われた。ある試験では、光ファイバーによってフライトデッキとペイロードベイの間の動画と音声のリンクが実証された。
乗組員はいくつかの小さな問題に遭遇したが、ミッションの安全性や成功に脅威を与えるようなものはなかった。Auxiliary Power Unit (APU) 2の冷却系の故障が故障したが、APU 2は再突入、着陸時のオービタのステアリング装置の水圧系の3つの冗長系のうちの1つであり、着陸の際に用いることもできた。
アトランティスは、1991年8月11日午前8時23分25秒(EDT)にケネディ宇宙センター第15滑走路に着陸した。ロールアウト距離は9,890フィート、ロールアウト時間は60秒間であった。これは、1986年1月のSTS-61-Cの着陸(結局、エドワーズ空軍基地に変更された)以来初めてのケネディ宇宙センターへの着陸計画であった。着陸時の重量は、88,944kgであった。
ミッションの徽章
左上の4つと右上の3つの星は、このミッションの番号がSTS-43であることを象徴している。この徽章は、エルレンマイヤーフラスコの形を象っている。
外部リンク
- STS-43のページへのリンク