STS-61-C
名称:STS-61-C
オービター名称:コロンビア
打ち上げ国名/機関:アメリカ/アメリカ航空宇宙局(NASA)
打ち上げ年月日:1986年1月12日
着陸年月日:1986年1月18日
宇宙飛行士:ロバート・L・ギブソン/チャールズ・F・ボールデン/フランクリン・R・チャン−ディアズ/スティーブン・A・ホウリー/ジョージ・D・ネルソン/ロバート・J・センカー/C・ビル・ネルソン
飛行時間:146時間3分
61-Cのコロンビアでは、通信衛星SATCOM KU-Iの放出や、ハレー彗星の撮影などが行われました。
ハレー彗星は約76.03年の公転周期で太陽のまわりを回っている彗星です。1986年当時、ひさしぶりに地球に接近してきたため、その姿を宇宙から写真撮影しようと計画されました。しかし、61-Cコロンビアに搭載された35ミリ・カメラのバッテリーに問題が生じたため、きちんと撮影することはできませんでした。そのほかにも61-Cでは、赤外線画像の実験や、血液の貯蔵実験、タンパク質の結晶が成長していくさまを調べる実験など、さまざまな科学実験が行われました。
約6日間の飛行を終え、コロンビア号は無事に地球へ帰還しました。
1.どんな形をして、どのような性能を持っているの
スペースシャトル・コロンビアは、オービター(軌道船)と呼ばれる有人宇宙船(コロンビア)と、それを打ち上げるための固体燃料ブースターロケット2基と、液体燃料を入れてある外部タンクからなっています。全体の長さは56メートル、高さ23m、重さ2,000tで、オービターだけの長さは37m、高さ17m、重さ85tです。外部タンクは使い捨てですが、オービターとブースターロケットはくりかえし使われます。
2.打ち上げや飛行の順序はどうなっているの?
ブースターロケットの噴射と、外部タンクの液体燃料を使うオービターの噴射で打ち上げます。2分後に、燃料の燃えつきたブースターロケットが切り離され、パラシュートで落下します。8分後、高度250kmから400kmに達したとき外部タンクが切り離され、オービターは軌道修正用エンジンで地球周回軌道に乗ります。オービターが地球に戻るときは、グライダーのように滑空しながら着陸します。
3.宇宙飛行の目的は?
通信衛星SATCOM KU-Iの放出、ハレー彗星の写真撮影、さまざまな科学実験を行うことです。
4.宇宙でどんな活動をし、どのような成果をおさめたの?
通信衛星の放出には成功しましたが、ハレー彗星の写真撮影のために用意した35ミリ・カメラのバッテリーに問題が生じて、きちんと撮影することができませんでした。
※参考文献
「Newton Collection II 宇宙開発」竹内 均・監修(教育社)1992年発行
「SPACE ATLAS 宇宙のすべてがわかる本」河島信樹・監修/三品隆司・著(PHP研究所)1995年発行
STS-61-C
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/08 07:26 UTC 版)
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1986年1月12日のコロンビアの打上げ
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任務種別 | 衛星放出 微小重力実験 |
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運用者 | NASA |
COSPAR ID | 1986-003A |
SATCAT № | 16481 |
任務期間 | 6日2時間3分51秒 |
飛行距離 | 4,069,481 km |
周回数 | 98 |
特性 | |
宇宙機 | コロンビア |
打ち上げ時重量 | 116,121 kg |
着陸時重量 | 95,325 kg |
ペイロード重量 | 14,724 kg |
乗員 | |
乗員数 | 7 |
乗員 | ロバート・ギブソン チャールズ・ボールデン ジョージ・ネルソン スティーヴン・ホーリー フランクリン・チャン=ディアス ビル・ネルソン ロバート・センカー |
任務開始 | |
打ち上げ日 | 1986年1月12日 11:55:00(UTC) |
打上げ場所 | ケネディ宇宙センター第39発射施設 |
任務終了 | |
着陸日 | 1986年1月18日 13:58:51(UTC) |
着陸地点 | エドワーズ空軍基地 |
軌道特性 | |
参照座標 | 地球周回軌道 |
体制 | 低軌道 |
近点高度 | 331 km |
遠点高度 | 338 km |
傾斜角 | 28.5° |
軌道周期 | 91.2分 |
![]() ![]() 後列:左から、ビル・ネルソン、ホーリー、ジョージ・ネルソン 前列:左から、センカー、ボールデン、ギブソン、チャン=ディアス |
STS-61-Cは、アメリカ航空宇宙局(NASA)のスペースシャトル計画の24回目のミッションであり、コロンビアの7回目となる、STS-9以来の飛行である。1986年1月12日にフロリダ州のケネディ宇宙センターから打ち上げられ、6日後の1月18日に着陸した。7人の乗組員の中には、2人目のアフリカ系アメリカ人宇宙飛行士であり、後のNASA長官となるチャールズ・ボールデンや、初のコスタリカ出身の宇宙飛行士であるフランクリン・チャン=ディアス、宇宙を訪れた2人目の現職政治家となったビル・ネルソンがいた。着陸の10日後に起こったチャレンジャー号爆発事故の前の最後のミッションとなった。
乗組員
- 船長 - ロバート・ギブソン (2)
- 操縦手 - チャールズ・ボールデン (1)
- ミッションスペシャリスト1 - ジョージ・ネルソン (2)
- ミッションスペシャリスト2 - スティーヴン・ホーリー (2)
- ミッションスペシャリスト3 - フランクリン・チャン=ディアス (1)
- ペイロードスペシャリスト1 - ビル・ネルソン (1)
- ペイロードスペシャリスト2 - ロバート・センカー(1)
ミッションの背景
STS-61-Cは、1983年11月のSTS-9の後、ロックウェル・インターナショナルで18ヵ月に及ぶ大規模な改修を受けた後、初めてのコロンビアの飛行となった。この改修の主なものは、大気圏再突入時の、シャトルの左翼及び胴体の一部の加熱を観測するための赤外線カメラであるSILTS(Shuttle Infrared Leeside Temperature Sensing)ポッドをコロンビアのスタビライザーの上に追加設置することであった。このカメラは、STS-61-Cの後のもう1つのミッションでも使われたが、ポッドは、コロンビアが運用を終了するまで機体の上に残ったままであった。
打上げは、当初1985年12月18日に予定されていたが、オービタの船尾の区画の完了が遅れ、翌日に延期された。しかし、12月19日には、右の固体ロケットブースターの油圧装置の不具合のため、打上げ14秒前にカウントダウンが停止した。
1986年1月6日に行われた打上げの試みは、液体酸素システムのバルブの問題により、打上げ31秒前に中断した。同日に行われた2度目の試みでは20分前からやり直されたが、9分前に中断され、打上げウィンドウの関係から延期された[1]。1月7日にも打上げが試みられたが、悪天候のため延期された。1月9日の打上げは、メインエンジンのプレバルブの不調で延期され、1月10日は打上げ場付近が大雨であったため、再び延期された。
ミッションの概要

コロンビアは、1986年1月12日午前6時55分(EST)にケネディ宇宙センターから打ち上げられた。打上げにおいて、重大な異常は起こらなかったと報告されている。
このミッションの主目的は、RCAの所有、運営する2機目の衛星となるSatcom K1通信衛星の放出であり、成功した。また、材料の処理や種子の発芽、化学反応、卵の孵化等に対する微小重力の影響や天文学、大気物理学の調査や、Ellery KurtzとHoward Wishnowにより企画された、宇宙環境が画材や油絵に与える影響を測定する実験等を行うための13個のGetaway Special(GAS)のキャニスターが積まれた。さらに、音波による液体の泡の懸濁、金属サンプルの溶融や再固化等の実験を行うMaterials Science Laboratory-2も積んでいた。ペイロードベイには、Hitchiker G-1(HHG-1)というもう1つの小さな実験キャリアが置かれ、3つの実験が行われた。キャビンでも4つの実験が行われ、そのうち3つはShuttle Student Involvement Programの実験であった。
さらに、船尾のフライトデッキの窓からハレー彗星を撮影するための35mmカメラ等から構成されるComet Halley Active Monitoring Program(CHAMP)実験の機器が運ばれた。この実験は、バッテリーの問題のためにうまくいかなかった。
STS-61-Cは、地球への帰還の際に問題が発生した。当初は1月17日に着陸する予定であったが、STS-61-Cの遅れが次のSTS-51-Lの打上げの遅れに繋がるため、1日繰り上げられることとなった。しかし、1月16日の着陸の試みは、エドワーズ空軍基地の悪天候のため、中止され、その翌日の悪天候が続き、着陸はさらに延期された。エドワーズ空軍基地からケネディ宇宙センターへの回送の時間を節約するため、1月18日にケネディ宇宙センターに着陸することとなり、飛行はさらに1日伸びることとなったが、ケネディ宇宙センターの悪天候により、さらに着陸は延期することとなった。
コロンビアは最終的に、1月18日午前5時59分(PST)にエドワーズ空軍基地に着陸した。このミッションの期間は、合計で6日間と2時間3分51秒であった。STS-61-Cは、コロンビアの帰還からわずか10日後の1986年1月28日に発生したチャレンジャー号爆発事故の前に成功した最後のスペースシャトルのミッションとなった。
起床コール
NASAは、ジェミニ計画の際に、宇宙飛行士のために音楽をかけることを始め、アポロ15号の時に初めて起床のために音楽を使った。それぞれの曲は、しばしば宇宙飛行士の家族が特別に選んだもので、乗組員に個人的な特別な意味のあるものや日々の活動に適したものである[2]。
日 | 曲 | 歌手/作曲家 |
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2日目 | 『自由の鐘』 | ジョン・フィリップ・スーザ |
3日目 | "Heart of Gold" | ニール・ヤング |
4日目 | 『星条旗よ永遠なれ』 | ジョン・フィリップ・スーザ |
ジョーク写真

このミッションの乗組員の公式写真を撮影する際、NASAの写真家は、STS-61-Cの乗組員が頭と顔をヘルメットで完全に隠したジョーク写真を撮影した。
出典
- ^ Some Trust in Chariots: The Space Shuttle Challenger Experience
- ^ Fries, Colin (2007年6月25日). “Chronology of Wakeup Calls” (PDF). NASA 2007年8月13日閲覧。
外部リンク
- NASA mission summary
- STS-61C Video Highlights
- Mission 61C: The Original‘Mission Impossible’(Part 1) 2014/1/11 Americaspace
- Mission 61C: The Original‘Mission Impossible’(Part 2) 2014/1/12 Americaspace
STS-61-C
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 18:58 UTC 版)
「ジョージ・ネルソン (宇宙飛行士)」の記事における「STS-61-C」の解説
1986年1月12日から18日にコロンビアで行われた6日間のミッションで、SATCOM衛星の展開が行われた他、天体物理学や材料科学の実験が行われた。
※この「STS-61-C」の解説は、「ジョージ・ネルソン (宇宙飛行士)」の解説の一部です。
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