1978年死刑確定囚とは? わかりやすく解説

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1978年死刑確定囚(4人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:37 UTC 版)

日本における死刑囚の一覧 (1970-1999)」の記事における「1978年死刑確定囚(4人)」の解説

事件名死刑囚名)判決確定事件発生備考執行日など)正寿ちゃん誘拐殺人事件 (K) 1977年12月20日 1969年9月10日 1950年昭和25年8月28日生まれ犯行19歳少年死刑囚。金のある質屋の子供を誘拐して身代金得よう考え東京都渋谷区内で当時6歳男児広尾小学校1年生渋谷区恵比寿在住)を身代金目的誘拐し渋谷区東三丁目の公衆便所内にて繰り小刀刺殺した。その後男児死体オープンケース詰め、これを駅構内携帯品一時預かりところに預けて遺棄したほか、男児実家質屋)に電話掛けて身代金500万円要求した殺人死体遺棄身代金目的拐取および要求)。このほか身代金目的拐取予備1件・器物損壊2件・恐喝未遂1件・現住建造物放火未遂1件の余罪あり。1972年昭和47年4月8日東京地裁刑事第12部死刑判決を受け、1976年昭和51年7月20日東京高裁第8刑事部控訴棄却判決受けた1977年昭和52年12月20日最高裁第三小法廷上告棄却判決受けて死刑確定1979年東京拘置所死刑執行29歳没)。 東京連続少年誘拐殺人事件 (K) 1978年1月26日 1965年1月22日1970年10月17日 1925年大正14年5月31日生まれ(2. の事件当時45歳)。海軍軍楽隊当時上官から求められ同性愛行為間柄となったことを契機に、終戦後にはバンド仲間家出少年勤務先工場付近遊んでいた中学生などと同性愛行為繰り返し1962年昭和37年6月には中学生裸体写真撮影したことが発覚して警察署取り調べ受けたこともあった。1965年昭和40年1月22日19時ごろ、東京都小金井市中町帰宅途中に偶然見かけ小学校6年生男児12歳)を「いずれ将来同性愛行為対象にしよう」と考え男児親しくなるつもりで連れ出した。しかし1930分ごろ、自身経営していた工場事務室東京都三鷹市井口)に男児連れ込んだところ、不安を感じた男児逃げ出そうしたため抱きかかえて工場材料置き場に連れ込もうとしたが、さらに逃げようとした上に大声騒いだため、これを従業員に気づかれたり男児連れ込んだことが警察露見したりすることを恐れ男児殺害を決意男児の首を荷造り用の紙紐縛り同工場または埼玉県狭山市大字根岸山林内(もしくはその山林に向かう途中自動車内)で絞殺した犯行後自分工場空き地犯行使用した紙紐被害者着衣・鞄などを焼却した。 1.事件後、経営していた工場経営不振倒産したため、台東区内の土木建築業者手配師として働き山谷労働者集めていた。そのような中、小学校3年生男児当時8歳)と自身趣味の話がきっかけ親しくなっていた。1970年昭和45年10月17日13時ごろ、男児から頼まれ自身運転する自動車同乗させたが、男児自身信用しきっていることにつけ込み荒川河川敷に連れ込んで同性愛行為をしようと決意荒川河川敷埼玉県和光市大字下新倉)までわいせつ目的男児誘拐し駐車中の社内男児の体を触ったが、男児から拒絶され両親言いつける」などと言ったり、付近自動車教習所見て助け求めようとする素振り見せたため、口封じのため殺害を決意14時30分ごろ、男児の首を強く絞め、鼻を塞いで気絶させたが、男児死亡した思って遺棄しようとしたところ、急に男児起きておじさん、僕を殺すのか」と言ったため、車から持ってきた電工ナイフ1丁(刃体長さ8.5 cm)で首を切りつけ、左胸(心臓)を2回刺して殺害事件後、警察庁は同じ誘拐であっても営利目的比べわいせつ目的は罪が軽いとして罰則強化向けた検討行った結果的に変わらず)。1973年1月31日東京地裁刑事第11部死刑判決を受け、1976年10月7日東京高裁第8刑事部控訴棄却判決受けた1978年1月26日最高裁第一小法廷上告棄却判決を受け死刑確定1981年1月東京拘置所死刑執行55歳没)。 愛知県武豊町一家3人強盗殺人事件 (O) 1978年4月17日 1971年5月1日 事業失敗し新たに砂利採取業を始めようとした1971年春、愛知県知多郡武豊町冨貴男性当時61歳)が山林30,600平方メートル当時時価総額約2億5,000万円)を売り出したことを知り男性殺害して財産を奪うことを決意同年5月1日19時ごろ、土地売買装って男性宅を訪れ男性彼の内妻当時44歳)を金槌撲殺。偶然遊び来ていた内妻のいとこの女性(当時24歳)も居間絞め殺し、3人の遺体全裸にした上で庭の下水用水投げ込み、上からセメント流し込んでコンクリート詰めにした。その後男性にあった現金187,000円、預金通帳残高43万円余)、不動産権利書16通、実印株券指輪などを盗み預金全額下ろしたまた、自らの経営する共和電解工業男性との間で山林売買契約成立したように装い移転登記済ませた被害者3人の遺体は約8か月後に発見された。強盗殺人死体遺棄詐欺などの罪に問われた。逮捕当時から「主犯別人」と主張し公判中にも逃亡図ったが、1974年5月20日名古屋地裁刑事第2部藤本忠雄裁判長)でOの単独犯と認定され求刑通り死刑判決受けた1978年4月17日最高裁第一小法廷岸盛一裁判長)で上告棄却判決を受け、一・二審の死刑判決確定1985年5月31日名古屋拘置所死刑執行53歳没)。 群馬2女性強盗殺人事件 (N) 1978年6月22日 1968年9月9日1971年3月11日 1930年昭和5年10月3日生まれ1.事件当時37歳)。過去詐欺1回強盗および窃盗1回前科あり。強盗および窃盗の罪で服役後1967年12月仮出所したが、群馬県碓氷郡松井田町(現:安中市)で以下の2事件強盗殺人死体遺棄死体損壊)を起こしたほか、群馬県安中市高崎市)および埼玉県熊谷市詐欺4件を犯した仮釈放中の1968年9月9日、前刑(窃盗)の被害者である44歳女性宅を訪れ謝罪したところ、女性から罵られ相手にされなかったことに逆上当時金銭窮していたこともあって、仕返し兼ねて女性宅に押し入り女性の腹を拳で殴るなどの暴行加えたが、激しく抵抗されたために持っていた手拭い絞殺女性がま口現金18,000円入り)1個を奪い死体を畑に埋めて遺棄した。 1. から約2年6か月後の1971年3月11日発生服役中習得したミシン技能生かして生計立てようとしたが、その資金金策苦慮していたところ、偶然付近土地売って1,000万円上の大金得た者がいる旨の話を聞きその人物から金を奪おう企てた事件当日その人物の家を下見し、翌12日深夜覆面をして侵入したところ、留守番をしていた女性当時48歳)と鉢合わせしたため、女性を手および細紐で絞殺し現金28,400円・定預金証書4通などを強取した。さらに翌13日0時ごろ、死体山林運び出して放置し同日夜にのこぎり死体両足切断し15日夜には畑に埋めて遺棄した。 1974年昭和49年7月26日前橋地裁高崎支部死刑判決を受け、1975年昭和50年10月8日東京高裁第9刑事部控訴棄却判決受けた1978年6月22日最高裁第一小法廷上告棄却判決を受け死刑確定1984年10月30日東京拘置所死刑執行54歳没)。

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