恐喝未遂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 14:16 UTC 版)
「正寿ちゃん誘拐殺人事件」の記事における「恐喝未遂」の解説
このようにして春三の誘拐計画に失敗した直後、Kは日本国有鉄道(国鉄)王子駅付近で偶然出会った若い女性(22歳 - 23歳)を旅館に誘って強姦し、金品を要求しようと考え、その女性を「自分は興信所員だ。聞きたいことがあるから、旅館に行こう」と誘ったが、断られたため簡単に諦めた。やがて所持金が乏しくなり、数日間にわたり野宿生活を送るようになったが、同年8月21日ごろからは品川区東大井のパチンコ店に店員として住み込んだ。パチンコ店で働いていたころ、Kは女優などの誘拐計画を考えることはなく、真面目に過ごしていた。 しかし1969年(昭和44年)1月5日、Kは客からの注文のうるさいパチンコ店での仕事に嫌気が差し、無断で店を辞め、三兄の住む寮に身を寄せた。同月16日ごろ、Kは新聞の求人広告で知った石油会社に入社し、天現寺給油所(東京都港区南麻布四丁目)で店員として働き、同店の隣りにあった会社の寮に住み込むようになった。それ以降、一時は忘れていた女優などの誘拐計画を再び考えるようになったほか、同年3月ごろからは大金を得て贅沢な暮らしをするため、多くのガソリンスタンドを経営する石油会社の社長から金を脅し取ろうと考えるようになった。その方法をいろいろ考えた末、Kはガソリンスタンドの計量器の給油ホースを切断したり、駐車中の自動車のタイヤをパンクさせる方法で相手に嫌がらせをし、その後で脅迫状を送って金を脅し取ろうと決心した。 同年4月中ごろ、Kは映画館にあった職業別電話番号簿で、大きなガソリンスタンドの経営者を物色し、石油会社「夏」と同社社長宅の番号記載部分を破り取り、同社(東京都墨田区両国四丁目)の社長に脅迫文を送って恐喝する目的で以下の犯罪を犯した。 1969年4月27日1時ごろ、「夏」社の経営する給油所(品川区東五反田二丁目)で給油計量器の給油ホース3本を繰り小刀で切断し、道路下の水槽に投棄した(器物損壊罪:損害額約48,000円)。 1969年5月4日1時過ぎごろ、同社の経営する給油所(墨田区立川一丁目)で1. と同様、給油ホース3本をくり小刀で切断し、付近の川に投棄した(器物損壊罪:損害額約39,000円)。また、同給油所に駐車していた自動車6台のタイヤ計20本をくり小刀で突き刺してパンクさせるなどした(器物損壊罪:損害額約65,500円)。 1969年5月4日か5日の夜、従業員寮の自室で便箋2枚に「夏」社へ宛てた「11日に100万円を用意して東京タワーへ来い。要求に応じなければ、さらに営業上の損害を与える」などの内容の脅迫状を書き、同社社長(既に故人)へ郵送したが、手紙を読んだ社長の息子が要求に応じなかったため、喝取の目的を遂げなかった(恐喝未遂罪)。 また、このころは直ちに実行するつもりではなかったが、女優などの誘拐についても時々計画を練り、北区や品川区の地図の中の女優数名の住所や、将来大金を奪った際の預金先として、いくつかの郵便局や信用金庫の所在地に印をつけるなどしていた。それでも6月末ごろにはいったん心を入れ替え、「真面目に働こう」と考えたこともあったが、1週間くらいで元の気持ちに戻ってしまう。同年8月ごろ、Kは「会社をやめて子供を誘拐し、大金を手に入れて楽な生活をするとともに、女優などを誘拐する準備をしよう」との意思を固め、同月27日に退職した。当時、Kは給料と預金の解約金を併せ、約75,000円の現金を所持していた。
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