首里防衛線の崩壊とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 首里防衛線の崩壊の意味・解説 

首里防衛線の崩壊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 06:17 UTC 版)

沖縄戦」の記事における「首里防衛線の崩壊」の解説

詳細は「シュガーローフの戦い」を参照 バックナー司令官は、日本軍予備隊を使い果たした状況であるのを踏まえ5月中が首里向けて総攻撃を行う好機判断した。第6海兵師団中心とする第3水陸両用軍団は、島北部掃討任務を第27歩兵師団交代して5月11日までに南へ転進した。これによりアメリカ軍は、西から順に第6海兵師団第1海兵師団第3水陸両用軍団、第77歩兵師団・第96歩兵師団第24軍団を並べ、第7歩兵師団予備隊に控えた態勢総攻撃開始した。 バックナー司令官日本軍精鋭部隊のほとんどを総攻撃失敗失ってしまった、という前提の上で「今度攻勢では、特に変わった戦闘はない。新鋭師団十分だから、1個師団は常に休養取れる」と考え幕僚らも「新鋭海兵師団をもってすれば、迅速に日本軍陣地突破できる」と楽観的な見通し持っていた。 しかし、日本軍牛島司令官が、総攻撃の失敗教訓として「首里包含し両翼東西海岸委託する陣地拠りアメリカ軍出血強要しつつ、あくまでも持久し」 と徹底した持久作戦指示、八原高級参謀も「我々はひたすら陣地内に潜み、可能な限り沢山の米兵を殺すべし」 と徹底しており、バックナーらの見通し通りはならず戦いこれまで遙かに上回る激戦となった。 バックナーの作戦は、首里防衛線の右翼第3水陸両用軍団第1海兵師団と第6海兵師団左翼第24軍団の第96歩兵師団と第77歩兵師団突破し中央の首里城にある第32軍の司令部包囲しようというものであった5月11日に第6海兵師団日本軍激し抵抗を受けながらも安謝川渡河し、首里西方安里付近に進出したが、そこの三つ高地シュガーローフハーフムーン、ホースショア)の日本軍陣地進撃止められた。この三つの丘はシュガーローフ頂点、他の二つ底辺とする三角形構成し侵攻軍に矛先を向け、三つの丘は相互に相補って強固な防衛線を構築していた。シュガーローフ一帯海兵隊史上最大激戦となり、反斜面陣地を軸とした強固な陣地を守る日本軍独立混成第44旅団配下の部隊独立混成第15連隊と第6海兵師団激し攻防戦繰り広げたシュガーローフの戦い)。 シュガーローフで一番の激戦となったのは5月16日であり、第6海兵師団は、2個連隊をつぎ込んでシュガーローフ対す最大規模攻撃仕掛けた。第29海兵連隊ハーフムーン攻略して、シュガーローフへの側面からの砲撃遮断しその後に第22海兵連隊シュガーローフ攻略するという作戦であったシュガーローフ防衛していた独立混成第44旅団は8門の105mm野砲と4門の75mm山砲装備し、他にも多数速射砲対戦車砲)や迫撃砲擲弾筒などの火砲併せて進撃してくるアメリカ軍激し砲撃加えている。激し砲撃射撃の中で、海兵隊シュガーローフハーフムーン中々近づく事ができず、支援の戦車次々撃破された。シュガーローフの戦いでは主に対戦車地雷一式機動四十七粍砲によって多数M4中戦車撃破された。M4中戦車太平洋戦域では日本軍対戦車装備貧弱さもあり、理想的な働きをしてきたが、沖縄日本軍速射砲巧みに擬装し、戦車を一旦やりすごした後に装甲の薄い後方から攻撃する戦法とり、M4中戦車側面後面装甲薄さや、日本軍陣地対す主砲威力不足などの弱点露呈した海兵隊M4中戦車はその弱点を補うため、ほぼ全部車両に、鋼板ワイヤーロープ溶接したり、土嚢貼りつけたり、縦列進行するときは、最後尾戦車砲塔後ろ向きにして警戒するなどの対策講じていた。 日本軍からの激し攻撃の中で、海兵隊1個中隊がシュガーローフ山頂達したが、反斜面陣地激しい砲爆撃をやり過ごした日本軍迫撃砲浴びせ手榴弾投擲してきた。他の部隊はほとんど前進できていなかった為に海兵中隊孤立状態となり、周囲日本軍から激し射撃砲撃浴び山頂そのまま確保することが困難となり退却余儀なくされた。多数負傷兵出たため、戦車LVT搬出ようとしたが、戦車LVT次々と撃破されていった。この日は深夜まで日本軍砲撃止まず、第22海兵連隊戦力40%まで落ち込み、第6海兵師団戦史では、この日を「師団史上もっとも打ちのめされた日」と表現している。しかし日本軍の損害多大で、この日は海軍山口大隊が、大隊長以下ほとんどが戦死し生存者がわずか22名という状況になったこの後シュガーローフ強攻続けた海兵隊損害甚大であったが、日本軍の損害大きく日に日に日本軍抵抗弱まっていき、ついに5月19日11回目攻撃陥落した。しかしアメリカ軍払った代償大きく死傷者は2,622名にも及び、他1,289名の神経症患者も出すこととなった。特に将校死傷率が高く3名の大隊長戦死11名の中隊長死傷するなど死傷率は70%にも及んだ海兵隊将校多大な出血強いたのは日本軍狙撃兵であり、階級を示す微章や拳銃ホルスターなどの装備品将校認識すると、優先して眉間や胸の真ん中といった致死率の高い箇所正確に狙撃してきた。特に中尉死傷率が高く次から次に交代となるので、兵士からは『トイレットペーパー』と揶揄されていたが、その内狙撃されないよう将校は微章や装備品を身につけないようになった中には着任してわずか15分戦死した将校もいて、兵士が名前を覚える暇もなかったという。シュガーローフ大損害を被った第6海兵師団29海兵連隊沖縄戦における死傷者累計は2,821人と連隊定員数を上回る甚大なものとなったが、これは第二次世界大戦中におけるアメリカ軍歩兵連隊戦闘消耗人数では最悪なものとなっている。圧倒的なアメリカ軍相手に、シュガーローフ10日間も足止めした日本軍戦術は、戦後に第6海兵師団教本で「教科書通り陣地防御戦術」と称賛された。 第6海兵師団の隣を進撃していた第1海兵師団進撃行く手には、安羽地区沢岻高地沢岻大名高地大名があったが、これらは全て堅く陣地化され互いに支援しあえる様に緻密に設計され縦深防御精巧な防衛システム構築されていた。第1海兵師団5月6日に安羽地区ナン高地日本軍呼称50閉鎖曲線高地)に達したが、日本軍陣地立て籠もり抵抗一式機動四十七粍砲により3両の戦車撃破されるなどで2回撃退されたが、9日にはアメリカ軍は得意の「ブロートーチ(溶接バーナー)と栓抜き作戦」で陣地ごと爆破しナン高地制圧した第1海兵師団14日大名高地達したが、大名高地とそれに隣接する高地首里直前位置し首里防衛線の中核成しており、その堅牢さはそれまでとは比較にならなかった 17日から大名高地に対して攻撃開始したアメリカ軍は、艦砲爆撃から野砲迫撃砲戦車による火炎放射に至るまであらゆる火器集中し大名高地日本軍陣地攻撃したが、日本軍からの応射も凄まじかった。第1海兵師団ペリリューの戦い激戦潜り抜けてきたが、大名戦いペリリューとは別次元激しさだったと海兵隊員らは感じたという。 20日第1海兵師団は2個大隊により二手から大名高地攻撃その内第3大隊一つ一つ陣地を「ブロートーチ(溶接バーナー)と栓抜き作戦」で撃破しながら進撃ナパーム高地焼き払い日本兵炙り出し掃討しつつ一日でようやく60m進んだが、その後丘陵部を25m前進すると、日本軍猛烈な反撃でまた元の陣地押し返された。 その後5月21日から、沖縄には10日間に渡って降った地面ぬかるみアメリカ軍車両運用が困難となった為に大名高地含みアメリカ軍攻撃一時停滞した縦深防御システム陸軍師団進撃路にも構築されており、陸軍海兵隊同様にもがき苦しんだ。第77歩兵師団首里へ続く曲がりくねった道を前進したが、数メートルおきに日本軍陣地があり、同師団の第305歩兵連隊損害構わず押し進んだ結果5月11日15日の間に戦力が1/4まで落ち込んでしまった。 アメリカ軍通常午前中に進撃して、午後から陣地構築して夜間陣地籠り日本軍夜襲警戒するというスケジュールであったが、第77歩兵師団は少しでも前進速度上げ為に夜間攻撃強行し日本軍激し白兵戦演じている。第307歩兵連隊日本軍の重要拠点石嶺丘陵陣地夜襲をかけ、頂上から日本軍洞窟陣地攻撃し就寝していた日本兵多数殺傷したが、その後日本軍激し反撃浴び3日間山頂に孤立し救出され時には夜間攻撃参加した204名の内156名が死傷していた。 石嶺丘陵の内でもっとも頑強な陣地は「チョコレート・ドロップ」山(日本軍呼称西部130高地であったが、チョコレート・ドロップを攻撃してきたアメリカ軍77歩兵師団の第306歩兵連隊は、激し砲火歩兵死傷増大し死傷者471名にも上ったことから、第307歩兵連隊交代させられることになった。この攻防戦では戦車第27連隊奮戦しており、同連隊総攻撃でほとんどの戦車失ってはいたが、残った6輌の戦車はすべて車体埋めてトーチカとして使用した戦車第27連隊機動部隊反撃戦闘想定した特殊な編成で、戦車連隊ながら重機関銃速射砲装備した歩兵中隊九〇式野砲装備した砲兵中隊配備されていたため、進攻してきたM4戦車速射砲野砲次々と撃破擱座させ、その数は10-20輌にも上った攻撃してきたアメリカ軍多数死傷者出して撃退されて、戦車第27連隊アメリカ軍残していったバズーカ重機関銃など多数兵器鹵獲した。戦車第27連隊沖縄戦開始よりこの攻防戦までに敵戦車30輌を撃破敵兵員2,200人を死傷させたと記録しているが、5月26日までにすべての戦車失い27日未明には連隊長村上乙中佐戦死して、他の日本軍部隊撤退した最初に首里戦線突破口開いたのは一番端を進んでいた第96歩兵師団であった第24軍団長ジョン・リード・ホッジ少将は、首里により近い高地攻撃し一気首里近づく作戦主張していたが、第96歩兵師団ブラッドリー少将地形偵察の上で、より高いコニカルヒル(運玉)の攻略優先させた方がよいという意見であった強力な艦砲射撃の後、5月10日に第96歩兵師団の第383歩兵連隊がコニカルヒルに対して攻撃開始したが、第24師団金山大佐率い歩兵第89連隊主力として布陣し日本軍陣地は、他の戦場同様に爆撃では破壊できなかった。第383歩兵連隊前進する日本軍から激し砲撃浴び容易に前進できなかった。しかし大きな損害被りながらも、同連隊13日までにはコニカルヒルの頂上望める点まで進撃してきた。その報告受けたホッジ軍団長は「これが成功した首里鍵を握ることができる」と喜び、バックナー司令官も自ら連隊長の元を訪れ激励している。 この頃台湾の第10方面軍から、傍受したアメリカラジオ・ニュース内容知らされたが「天久台での海兵隊損害甚大で、250名の中隊炊事兵まで繰り出して戦いついには8名になった」というもので、第32軍は予想以上にアメリカ軍苦戦させていることが判り狂喜したが、八原高級参謀は「あのバカげた総攻撃さえなければ今こそ米軍甚大な損害与え撃退できたのに」と悔やんだ。 以上の通り首里防衛全線アメリカ軍日本軍防衛線を突破した損害甚大であった首里戦線の2ヵ月弱の戦闘で、第24軍団と第3水陸両用軍団死傷者合計26,044名であったが、他に戦闘ストレス反応による傷病兵海兵隊6,315名、陸軍7,762名の膨大な数に及んだM4中戦車だけで陸軍221両、海兵隊51両が撃破されたが、これは沖縄戦投入されアメリカ軍戦車57%にも上り、またその内には貴重で補充ができなかった火炎放射戦車12含まれていた。

※この「首里防衛線の崩壊」の解説は、「沖縄戦」の解説の一部です。
「首里防衛線の崩壊」を含む「沖縄戦」の記事については、「沖縄戦」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「首里防衛線の崩壊」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「首里防衛線の崩壊」の関連用語

首里防衛線の崩壊のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



首里防衛線の崩壊のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの沖縄戦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS