闇塩担当とは? わかりやすく解説

闇塩担当

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 23:41 UTC 版)

大水滸シリーズの登場人物」の記事における「闇塩担当」の解説

梁山泊は独自の糧道確保している点で他の賊徒たちと決定的に異なる。その最大糧道が闇塩の道である。塩を国家専売するよりも安い値段大量に流通させることで莫大な資金梁山泊もたらし、宋との長期的な戦いを可能としている。だが闇塩は重罪であり、さらには青蓮寺執拗な捜査追跡を受けるため任務には非常に危険が伴う。闇塩の道複数の道が存在し、時がたつにつれて道の潰す・開くを行うため、全貌を知る者は元締めのみである。また闇塩について機密事項であり、頭領晁蓋宋江でさえ殆ど知らされていない盧俊義玉麒麟) 闇塩の統轄担当、後に副頭領1061年生まれ身長 - 198cm、体重 - 130kg。 (水滸伝) ‹章タイトル第1巻第1章 盧俊義自身登場せず› 表の顔北京大名府大商人真の顔は重罪として禁じられている闇塩の密造密売手がける元締めである。昔から(少なくとも燕青盧俊義買い取られ時点で)闇塩の道開いており、晁蓋同志として来るべき蜂起のための軍資金蓄えていた。梁山泊設立後も闇塩の元締めとして資金源確保する。そのネットワーク膨大かつ緻密であり、全貌把握する唯一の人物でもある。 底知れない圧倒感と国家対する強い憎悪持ち主晁蓋死んだ際は一時憔悴していたが、より積極的な面を見せるようになる青蓮寺正体発覚して捕らえられる燕青救出されそのまま梁山泊入山、副頭領的な立場宋江達の相談役務めるようになる捕縛時に沈機から受けた拷問原因心身衰弱し死期が近いことを悟る。自らの命を交渉材料にした偽装和平工作成功させた後に兵たちに別れ演説行い死亡遺体梁山湖に葬られた。 従者燕青全幅の信頼寄せ自身後継者として闇塩の全て伝授、そして死の間際我が子呼んだ謎めいた過去と、ある秘密(明確な時期不明だが、二十四、五以前役人以外の誰かによって、男根だけを切り落とされるという腐刑受けている)を有しており、過去については遂に語られる事はなかった。 盧俊義蓄えた闇塩の銀は大甕百個分という膨大な物だった。梁山泊陥落前に梁山湖に隠された銀を燕青李俊たちが回収するころから楊令伝』の物語が始まる。燕青盧俊義死後、彼を父と呼んでいる。また李富は廬俊義を取り逃がしたことで宋という国家回復不能な病に陥った振り返っている。 (楊令伝) ‹章タイトル第1巻第1章 廬俊義の塩の道によって蓄えられた銀を、燕青らが引き揚げる燕青浪子) 闇塩の管理流通担当1079年生まれ身長 - 170cm、体重 - 60kg。 (水滸伝盧俊義従者で、護衛務め美青年彼の秘密を知る数少ない人物で、幼い頃実の父親思われる男と旅をし、古着行商をしていたが、男が病に侵され動けなくなったために盧俊義売られることとなった以来、彼を父と思い定め忠誠を尽くす。その献身ぶりから周囲からは男色の関係と思われているが、廬俊義の体の秘密カモフラージュできるため否定はしなかった。 体術達人で、腕前武松と並ぶ。また、笛の演奏も得意で竹製の笛を持ち歩く博識な面もあり、湯隆阮小二発明アイディア提供したこともある。盧俊義青蓮寺捕縛された際は王英援護得て救出し一人盧俊義担いで北京大名府から梁山泊まで歩くという超人的な活躍見せる。後に死を予感した盧俊義から闇塩に関する全ての知識伝授され、闇塩の道司るうになる特殊任務にも係わり致死軍による青蓮寺襲撃時には袁明護衛洪清死闘繰り広げ勝利する李富同志李師師とは互いに惹かれあうものを感じていた。最終決戦時は公孫勝らと撹乱担当する。 (楊令伝引き続き塩の道担当盧俊義から受け継いだ闇塩ルート再開し武松侯真楊令探索の旅に出て、その最中侯真体術伝授する方臘の乱勃発後は孟康に闇塩の道任せ江南開封府諜報活動担当する北宋崩壊直前開封府において李師師振られたことに気づく。 宋崩壊後青蓮寺追い続けていたが罠に嵌り、臨安周炳包囲される辛くも周炳を斃し致死軍助け脱出するも、彼の最後の攻撃原因失明山中隠棲することを選び梁山泊を去る。自分慕いついて来た郝嬌結婚子午山に庵を構えて暮らす。その多く老い自覚し第一線退きつつある他の百八星メンバー異なり復帰考え、既に盲目ながら光を知覚出来るまでになっている盲目ながら、王進との稽古中に棒を折る、を倒すなどその強さ衰えみえない子午山隠棲後、楊令意を受けた公孫勝から趙昚正統性覆す証拠となる宋太祖系の印璽短剣託される。 (岳飛伝子午山での鍛錬により僅かだが視力回復無明拳(むみょうけん)と称する体術遣う楊令亡き後梁山泊については「志があればいい」という態度取っている。何度梁山泊訪問して聚義庁意思決定関わる呉用死後子午山降り、主に致死軍連携しながら江南隠密行動をとる。 秦檜との抗争敗れた青蓮寺終焉察知し臨安府宮中潜入李師師殺害のために送り込まれ劉正を倒すも、燕青致命傷を負う。李師師最期看取って脱出した直後案内役として同行していた風玄愛用の笛を郝嬌届けるよう遺言し息を引き取った柴進小旋風) 闇塩の管理流通担当。後に梁山泊兵站統括1068年生まれ身長 - 165cm、体重 - 65kg。 (水滸伝)宋が禅譲受けた王朝後周第2代皇帝世宗柴栄)の子孫。一族代々宋王朝から保護を受け、その滄州邸宅一種治外法権認められている。そのため様々な食客養われていた。恵まれた生活に飽きたらず、また宋王朝腐敗反感抱き叛乱志し晁蓋盧俊義らと交流貴族特権利用することで、闇塩の道の北の拠点として大きな役割を果たす自分高貴な血筋を疎ましく思い、名も無き兵士として闘いの中で雄々しく死ぬ事に憧れている。塩の道への関与発覚した後は梁山泊入り物資管理兵站担当物資調達奔走するが、それゆえ周囲からはケチと謗られる事もあった。済州史文恭に毒を盛られ死亡するが、本人は病で死ぬと信じながら逝った。 『楊令伝』では臨安で罠に嵌って盲目となり洞庭山運ばれ燕青孫二娘が、自分のせいで柴進死なせたことと柴進生きていれば帝をやれば良かった語っている。 孟康玉旛竿) 闇塩の売買担当1080年生まれ身長 - 185cm、体重 - 75kg。 (水滸伝)元飲馬川賊徒で、鄧飛弟分鄧飛引っ張られる形で入山する。宋清と共に双頭山兵站担当していたが、盧俊義要請受けて闇塩担当へ異動する臆病なほどに慎重だが、商談となると非常に粘り強い交渉力発揮する。また遼の地理詳しく女真族とも太いパイプを持つため交易でも活躍する官軍離脱した唐昇への補給担当し最終決戦の際は煮え切らない彼に立腹本隊への馬の輸送駆り出した。 (楊令伝引き続き北方中心とした闇塩の交易呼延灼らへの補給担当。闇塩の仕事培った危険を嗅ぎわける嗅覚任務遂行する北方の地を自分の庭と豪語するが、そのために杜興の涙に騙され重労働屑鉄集め引き受けた事がある童貫との決戦南宋との戦いにおいて、李立と共に本隊補給担当する生き残った百八星でも高齢となったが、死んでいった兄弟分鄧飛楊林の事を忘れずにいる。蔣敬中原各地での自由市場開催提案した際は、李立一緒に賛成した。 (岳飛伝兵站部隊の将軍格として李立と軍への兵站担当自分行動原理は志ではなく補給受け取仲間の喜ぶ顔が見たいからだと考えている。宣凱が金・南宋に対して実施した物流掌握による穀物価格操作携わり、主に南宋で米の物流担当する。だが、米の流れ見極めようとした秦檜の策を見抜けず、蔡豹に米の売却禁じたために彼と陳麗華死なせてしまう。 蔡福臂膊) 闇塩と女真族交渉担当1068年生まれ身長 - 180cm、体重 - 65kg。 (水滸伝)元北京大名府牢役人。弟の蔡慶と共に孤児だったところを柴進拾われ屋敷働きつつ教育を受ける。やがて盧俊義に引き合わされ牢役人として闇塩の運搬防衛担当する。剣の腕はそこそこで、弟以外には無口で暗い印象持たれる入山後に遼へ常駐して女真族との交易係わり、やがて阿骨打蜂起関与するうになる。志よりも自分たちを拾ってくれた盧俊義柴進への恩義行動しており、同じよう境遇燕青とは通じ合うものがあった。蔡慶死後はその妻子女真の者たちを連れて山中集落作る。 (楊令伝梁山泊陥落後も女真の地に残っていたが、半ば忘れられていたため梁山泊と距離を置いた存在となる。阿骨打の下で金の廷臣として働き政務以外に阿骨打と幻王となった楊令との唯一の連絡役も務める。女真風習従い真婉結婚するが、彼女と義理の息子たる蔡豹憎しみ向けられる二人扱い苦慮するも、真婉自殺蔡豹旅立ちにより一応の解決をみる。その後、妾として入ってきた馬嫖との間に一人娘の蔡曄をもうける。 粘罕とは友人同士で、長年集めた資料武器皇太子跡目争い助けた阿骨打最期の言葉受けたこともあり、妻子のいる金を自らの国と思い定めつつも、危険が及ばない限り梁山泊にも協力する決めている。病により金朝廷致仕し、その後静かに金の地にてその生涯閉じた死後粘罕は深い喪失感覚えた息子蔡豹について、その粘罕遺品託していた。 『岳飛伝』でも蔡豹蔡福の死を知ってなお彼への憎しみ残している。撻懶前作で斉建国構想粘罕横取りされた裏に蔡福許貫忠の影があったことを兀朮語り統治における漢人能力評価している。 蔡慶一枝花) 闇塩と女真族交渉担当1070年生まれ身長 - 170cm、体重 - 60kg。 (水滸伝)元北京大名府牢役人で、蔡福の弟。闇塩の運搬防衛担当する無口な兄とは逆に陽気でお喋りだが、一人兵士として宋軍と戦うことを望んでいる。梁山泊女真族パイプ作り従事し女真族の妻・真婉との間に息子蔡豹をもうける。 阿骨打蜂起に際して兄弟語らい梁山泊から預かっていた銀を阿骨打軍資金として提供した。兄と比べて剣は上手くなかったが、阿骨打蔡福らの留守中に起きた遼軍の攻撃から女真身を挺して守り戦死。 『楊令伝』では蔡福蔡慶のことをお喋り跳ね上がり自信持ちすぎるところがあったと回想している。その一方で花が好きで妻もそれで口説いた事、宋軍と戦いたがっていたことを武松語っている。

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