闇塩担当
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「大水滸シリーズの登場人物」の記事における「闇塩担当」の解説
梁山泊は独自の糧道を確保している点で他の賊徒たちと決定的に異なる。その最大の糧道が闇塩の道である。塩を国家が専売するよりも安い値段で大量に流通させることで莫大な資金を梁山泊にもたらし、宋との長期的な戦いを可能としている。だが闇塩は重罪であり、さらには青蓮寺の執拗な捜査・追跡を受けるため任務には非常に危険が伴う。闇塩の道は複数の道が存在し、時がたつにつれて道の潰す・開くを行うため、全貌を知る者は元締めのみである。また闇塩については機密事項であり、頭領の晁蓋・宋江でさえ殆ど知らされていない。 盧俊義(玉麒麟) 闇塩の統轄担当、後に副頭領。1061年生まれ。身長 - 198cm、体重 - 130kg。 (水滸伝) ‹章タイトル―第1巻第1章 盧俊義自身は登場せず› 表の顔は北京大名府の大商人。真の顔は重罪として禁じられている闇塩の密造・密売を手がける元締めである。昔から(少なくとも燕青が盧俊義に買い取られた時点で)闇塩の道を開いており、晁蓋の同志として来るべき蜂起のための軍資金を蓄えていた。梁山泊設立後も闇塩の元締めとして資金源を確保する。そのネットワークは膨大かつ緻密であり、全貌を把握する唯一の人物でもある。 底知れない圧倒感と国家に対する強い憎悪の持ち主。晁蓋が死んだ際は一時憔悴していたが、より積極的な面を見せるようになる。青蓮寺に正体が発覚して捕らえられるも燕青に救出され、そのまま梁山泊へ入山、副頭領的な立場で宋江達の相談役も務めるようになる。捕縛時に沈機から受けた拷問が原因で心身が衰弱し、死期が近いことを悟る。自らの命を交渉材料にした偽装和平工作を成功させた後に兵たちに別れの演説を行い、死亡。遺体は梁山湖に葬られた。 従者の燕青に全幅の信頼を寄せ、自身の後継者として闇塩の全てを伝授、そして死の間際に我が子と呼んだ。謎めいた過去と、ある秘密(明確な時期は不明だが、二十四、五歳以前に役人以外の誰かによって、男根だけを切り落とされるという腐刑を受けている)を有しており、過去については遂に語られる事はなかった。 盧俊義が蓄えた闇塩の銀は大甕百個分という膨大な物だった。梁山泊陥落前に梁山湖に隠された銀を燕青や李俊たちが回収するところから『楊令伝』の物語が始まる。燕青は盧俊義の死後、彼を父と呼んでいる。また李富は廬俊義を取り逃がしたことで宋という国家が回復不能な病に陥ったと振り返っている。 (楊令伝) ‹章タイトル―第1巻第1章 廬俊義の塩の道によって蓄えられた銀を、燕青らが引き揚げる› 燕青(浪子) 闇塩の管理・流通担当。1079年生まれ。身長 - 170cm、体重 - 60kg。 (水滸伝)盧俊義の従者で、護衛も務める美青年。彼の秘密を知る数少ない人物で、幼い頃は実の父親と思われる男と旅をし、古着の行商をしていたが、男が病に侵され動けなくなったために盧俊義に売られることとなった。以来、彼を父と思い定め忠誠を尽くす。その献身ぶりから周囲からは男色の関係と思われているが、廬俊義の体の秘密をカモフラージュできるため否定はしなかった。 体術の達人で、腕前は武松と並ぶ。また、笛の演奏も得意で竹製の笛を持ち歩く。博識な面もあり、湯隆や阮小二に発明のアイディアを提供したこともある。盧俊義が青蓮寺に捕縛された際は王英の援護を得て救出し、一人で盧俊義を担いで北京大名府から梁山泊まで歩くという超人的な活躍を見せる。後に死を予感した盧俊義から闇塩に関する全ての知識を伝授され、闇塩の道を司るようになる。 特殊任務にも係わり、致死軍による青蓮寺襲撃時には袁明の護衛、洪清と死闘を繰り広げ、勝利する。李富の同志、李師師とは互いに惹かれあうものを感じていた。最終決戦時は公孫勝らと撹乱を担当する。 (楊令伝)引き続き闇塩の道を担当。盧俊義から受け継いだ闇塩ルートを再開し、武松・侯真と楊令探索の旅に出て、その最中に侯真に体術を伝授する。方臘の乱勃発後は孟康に闇塩の道を任せ、江南や開封府で諜報活動を担当する。北宋崩壊直前の開封府において李師師に振られたことに気づく。 宋崩壊後は青蓮寺を追い続けていたが罠に嵌り、臨安で周炳に包囲される。辛くも周炳を斃し致死軍の助けで脱出するも、彼の最後の攻撃が原因で失明。山中へ隠棲することを選び、梁山泊を去る。自分を慕いついて来た郝嬌と結婚、子午山に庵を構えて暮らす。その多くが老いを自覚し第一線を退きつつある他の百八星メンバーと異なり、復帰を考え、既に盲目ながら光を知覚出来るまでになっている。盲目ながら、王進との稽古中に棒を折る、猪を倒すなどその強さに衰えはみえない。 子午山に隠棲後、楊令の意を受けた公孫勝から趙昚の正統性を覆す証拠となる宋太祖系の印璽と短剣を託される。 (岳飛伝)子午山での鍛錬により僅かだが視力を回復、無明拳(むみょうけん)と称する体術を遣う。楊令亡き後の梁山泊については「志があればいい」という態度を取っている。何度か梁山泊を訪問して聚義庁の意思決定に関わる。呉用の死後に子午山を降り、主に致死軍と連携しながら江南で隠密行動をとる。 秦檜との抗争に敗れた青蓮寺の終焉を察知し、臨安府の宮中に潜入。李師師殺害のために送り込まれた劉正を倒すも、燕青も致命傷を負う。李師師の最期を看取って脱出した直後に案内役として同行していた風玄に愛用の笛を郝嬌に届けるよう遺言し、息を引き取った。 柴進(小旋風) 闇塩の管理・流通担当。後に梁山泊の兵站統括。1068年生まれ。身長 - 165cm、体重 - 65kg。 (水滸伝)宋が禅譲を受けた王朝、後周の第2代皇帝・世宗(柴栄)の子孫。一族は代々宋王朝から保護を受け、その滄州の邸宅は一種の治外法権を認められている。そのため様々な食客が養われていた。恵まれた生活に飽きたらず、また宋王朝の腐敗に反感を抱き叛乱を志し、晁蓋・盧俊義らと交流。貴族の特権を利用することで、闇塩の道の北の拠点として大きな役割を果たす。 自分の高貴な血筋を疎ましく思い、名も無き兵士として闘いの中で雄々しく死ぬ事に憧れている。塩の道への関与が発覚した後は梁山泊に入り物資管理、兵站を担当。物資調達に奔走するが、それゆえ周囲からはケチと謗られる事もあった。済州で史文恭に毒を盛られて死亡するが、本人は病で死ぬと信じながら逝った。 『楊令伝』では臨安で罠に嵌って盲目となり洞庭山へ運ばれた燕青に孫二娘が、自分のせいで柴進を死なせたことと柴進が生きていれば帝をやれば良かったと語っている。 孟康(玉旛竿) 闇塩の売買担当。1080年生まれ。身長 - 185cm、体重 - 75kg。 (水滸伝)元飲馬川の賊徒で、鄧飛の弟分。鄧飛に引っ張られる形で入山する。宋清と共に双頭山の兵站を担当していたが、盧俊義の要請を受けて闇塩担当へ異動する。臆病なほどに慎重だが、商談となると非常に粘り強い交渉力を発揮する。また遼の地理に詳しく、女真族とも太いパイプを持つため交易でも活躍する。官軍を離脱した唐昇への補給も担当し、最終決戦の際は煮え切らない彼に立腹、本隊への馬の輸送に駆り出した。 (楊令伝)引き続き、北方を中心とした闇塩の交易や呼延灼らへの補給を担当。闇塩の仕事で培った危険を嗅ぎわける嗅覚で任務を遂行する。北方の地を自分の庭と豪語するが、そのために杜興の涙に騙されて重労働の屑鉄集めを引き受けた事がある。童貫との決戦や南宋との戦いにおいて、李立と共に本隊の補給を担当する。生き残った百八星でも高齢となったが、死んでいった兄弟分の鄧飛や楊林の事を忘れずにいる。蔣敬が中原各地での自由市場開催を提案した際は、李立と一緒に賛成した。 (岳飛伝)兵站部隊の将軍格として李立と軍への兵站を担当。自分の行動原理は志ではなく、補給を受け取る仲間の喜ぶ顔が見たいからだと考えている。宣凱が金・南宋に対して実施した物流の掌握による穀物価格の操作に携わり、主に南宋で米の物流を担当する。だが、米の流れを見極めようとした秦檜の策を見抜けず、蔡豹に米の売却を禁じたために彼と陳麗華を死なせてしまう。 蔡福(鉄臂膊) 闇塩と女真族の交渉担当。1068年生まれ。身長 - 180cm、体重 - 65kg。 (水滸伝)元北京大名府の牢役人。弟の蔡慶と共に孤児だったところを柴進に拾われ、屋敷で働きつつ教育を受ける。やがて盧俊義に引き合わされ、牢役人として闇塩の運搬・防衛を担当する。剣の腕はそこそこで、弟以外には無口で暗い印象を持たれる。 入山後に遼へ常駐して女真族との交易に係わり、やがて阿骨打の蜂起に関与するようになる。志よりも自分たちを拾ってくれた盧俊義と柴進への恩義で行動しており、同じような境遇の燕青とは通じ合うものがあった。蔡慶の死後はその妻子や女真の村の者たちを連れて山中で集落を作る。 (楊令伝)梁山泊陥落後も女真の地に残っていたが、半ば忘れられていたため梁山泊と距離を置いた存在となる。阿骨打の下で金の廷臣として働き、政務以外に阿骨打と幻王となった楊令との唯一の連絡役も務める。女真の風習に従い真婉と結婚するが、彼女と義理の息子たる蔡豹に憎しみを向けられる。二人の扱いに苦慮するも、真婉の自殺と蔡豹の旅立ちにより一応の解決をみる。その後、妾として入ってきた馬嫖との間に一人娘の蔡曄をもうける。 粘罕とは友人同士で、長年集めた資料を武器に皇太子の跡目争いを助けた。阿骨打の最期の言葉を受けたこともあり、妻子のいる金を自らの国と思い定めつつも、危険が及ばない限りは梁山泊にも協力すると決めている。病により金の朝廷を致仕し、その後静かに金の地にてその生涯を閉じた。死後、粘罕は深い喪失感を覚えた。息子の蔡豹について、その粘罕に遺品を託していた。 『岳飛伝』でも蔡豹は蔡福の死を知ってなお彼への憎しみを残している。撻懶は前作で斉建国の構想を粘罕に横取りされた裏に蔡福と許貫忠の影があったことを兀朮に語り、統治における漢人の能力を評価している。 蔡慶(一枝花) 闇塩と女真族の交渉担当。1070年生まれ。身長 - 170cm、体重 - 60kg。 (水滸伝)元北京大名府の牢役人で、蔡福の弟。闇塩の運搬・防衛を担当する。無口な兄とは逆に陽気でお喋りだが、一人の兵士として宋軍と戦うことを望んでいる。梁山泊と女真族のパイプ作りに従事し、女真族の妻・真婉との間に息子・蔡豹をもうける。 阿骨打の蜂起に際しては兄弟で語らい、梁山泊から預かっていた銀を阿骨打に軍資金として提供した。兄と比べて剣は上手くなかったが、阿骨打・蔡福らの留守中に起きた遼軍の攻撃から女真の村を身を挺して守り、戦死。 『楊令伝』では蔡福が蔡慶のことをお喋りで跳ね上がり、自信を持ちすぎるところがあったと回想している。その一方で花が好きで妻もそれで口説いた事、宋軍と戦いたがっていたことを武松に語っている。
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