球場にまつわる出来事とは? わかりやすく解説

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球場にまつわる出来事

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 20:48 UTC 版)

ナゴヤ球場」の記事における「球場にまつわる出来事」の解説

1950年・日本ワールドシリーズ第5戦 当時はまだフランチャイズの定義曖昧だったこともあり、この年日本シリーズ当時の名称は日本ワールドシリーズ)は全国各地行われた中日球場は第5戦において使用された。 1953年・プロボクシングの試合 8月10日日本バンタム級堀口宏堀口VS横井義春(松田)、ライト級秋山政司極東VS米津利治(岡崎)のダブルタイトルマッチが行われ、堀口判定5度目秋山が7回TKO12度目の王座防衛それぞれ成功1954年・中日初の日本一 同年日本シリーズ西鉄ライオンズ対戦。3勝3敗で迎えた中日球場での第7戦では杉下茂西鉄完封し中日は初の日本一監督天知俊一は顔を涙でくしゃくしゃしながら選手たち胴上げをされた。中日次の日本一この後53年待たされることになるが、中日球場ナゴヤ球場時代では唯一の日本一瞬間でもあった。 1959年・伊勢湾台風 9月下旬超大型台風東海地方直撃した影響中日スタヂアムグラウンド冠水しスコアボード大破するなど大きな被害受けた9月26日から予定されていた巨人との3連戦中止となる。この試合後日川崎球場などに振り替え開催された。また水没から復旧した同年9月30日10月1日後者ダブルヘッダー)の3連戦を同台風被災地への義援金募集するシリーズとして開催したほか、10月10-12日(11・12日はダブルヘッダー。また12日は本来中日主管である試合広島市民球場会場変更したもの)の5連戦同様に被災地復興支援シリーズとして開催している 1967年・大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオスに登場 大映特撮映画大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」にて、夜に名古屋現れ街を破壊するギャオスからの避難場所としてナゴヤ球場登場するシーンがある。ギャオスが光に弱いという特性のため照明設備のある球場避難場所となった1972年・爆破予告電話で試合中断 8月24日中日巨人戦試合中球場に「三塁内野スタンド爆弾仕掛けた午後7時45分爆発する」という内容電話があり試合午後7時38分に中断三塁ベンチ内の巨人選手三塁内野席観客緊急避難させスタンド調べたが、不審物は見つからず午後8時3分に試合再開した1973年・「10・20」 阪神優勝中日阻んだ一戦のことを指す。阪神はこの試合含めたシーズン残り2試合のうち1試合を勝つか引き分ければ優勝であったが、この試合最終の対巨人戦連敗した結果巨人セ・リーグ9連覇達成した敗れた阪神12年後1985年まで優勝から遠ざかることとなる。 試合中日星野仙一阪神江夏豊先発2-2迎えた4回裏に中日木俣達彦本塁打3-2勝ち越し8回裏にも1点加え4-2勝利したデーゲーム行われたこの試合中新幹線移動していた巨人選手達は、試合経過を知るために車窓から中日球場スコアボード見ようとしたがはっきり確認できず、名古屋駅到着した時にファンから中日勝ち越していることを知らされた。この知らせによって、車中雰囲気一気明るくなったと言われている。巨人の9連覇テーマにしたテレビアニメ侍ジャイアンツ』にも、この試合モチーフとした試合登場する。そこでは、主人公番場蛮の乗車した新幹線中日球場の側を通過中に、蛮の親友である中日大砲万作ホームラン打っている。 1974年・中日20年ぶりの優勝 前年までV9続けていた巨人代わりこの年中日優勝した同年10月12日の対大洋第二試合最後打者山下大輔をサードライナーに打ち取った星野仙一木俣達彦バッテリーマウンド上で抱き合った直後興奮した観衆グラウンドになだれ込んだその後表彰式は、なだれ込んだ観客外野グラウンド隔離した上で行われている。 同日巨人長嶋茂雄引退発表し、翌14日引退試合行ったこの年当時大学生山本正之によって作られ応援歌燃えよドラゴンズ!』には当時球場名(通称)である「中日球場」が1番の歌詞登場するその後、'77年バージョンから'93年の『平成FIVE』までは「ナゴヤ球場」、'98年以降バージョンには「ナゴヤドーム」と、球場名や選手名部分時代合わせて変更されながら歌い継がれている。 1975年・照明故障で試合が中止に 7月26日中日-広島戦の2回表、広島攻撃中に三塁内野席裏の照明塔の照明全てが突然消灯試合中断して復旧当たった復旧せず、審判員と両監督協議した結果試合ノーゲームとなった。 同カード折り返し9月10日広島市民球場試合では試合中選手ファン乱闘起こした影響選手けが人出たことや警備上の問題から9月11日開催予定試合取り消されたことがあり、自然災害以外のトラブルで同じカード2度中止になる珍しいケースとなった 1982年・「9・28」逆転サヨナラ 優勝争いをしていた巨人との最後直接対決3連戦当時中日先発江川卓を苦手にしていたが2-6迎えた9回裏、大学時代から江川キラーといわれた代打豊田誠佑ヒット皮切りに中尾孝義タイムリー同点追いつく延長10回裏に満塁とし、大島康徳江川の後を継いだ角からタイムリーヒット打ってサヨナラ勝ち中日はこの時点巨人よりも残り試合数が多かったためマジック12点灯中日レギュラーシーズン最終戦横浜スタジアムでの対横浜大洋ホエールズ戦で優勝決めた1987年・初登板でノーヒットノーラン 1987年8月9日巨人戦ドラフト1位指名入団した新人近藤真一先発抜擢される。2四球1失策のみに抑え日本プロ野球史上初となる初登ノーヒットノーランデビュー飾った1988年・ナゴヤ球場での最後の優勝 監督就任2年目星野仙一初め優勝勝ち取った年でもある。立浪和義球団史唯一人の「高卒新人として開幕戦フルイニング出場」。10月7日の対ヤクルトスワローズ戦、この年2年連続最多セーブ投手セ・リーグMVPとなった郭源治が目を真っ赤にしながら最終回抑え中村武志抱き合った直後興奮したファングラウンドになだれ込んだ星野胴上げが終わると同時に選手コーチ一目散にベンチ裏に避難し監督インタビュー中止された。何者かが乱入する際にペンチフェンス切ったため、そこで指を怪我する観客もいた。 1989年8月12日ノーヒットノーラン寸前から逆転 巨人先発斎藤雅樹相手無安打だった中日0-3迎えた9回裏一死代打音重鎮右翼線へヒット、2死後川又米利四球出塁3番仁村徹タイムリー放ち1-3とする。さらに4番落合博満右中間スタンド逆転サヨナラ3ランホームランを放ち4-3中日勝利を収めた1990年・再度の球場火災 1990年9月11日中日大洋22回戦の試合開始前17時56分頃、スコアボード右横の照明塔下付近にあるごみ集積場から出火一時は10m近く火柱上がり黒煙グラウンド立ち込め、ライトスタンドにいたファングラウンド避難させた。火は1811分に消し止められたが、竹製くずかご50個のうち約30個が焼失集積場の扉や屋根焼けた普段火の気がないことから、出火原因タバコの火の不始末とみられている。なお試合通常から23分遅れの1846分に開始し11-2中日大勝している。この試合3日前に巨人優勝決まっていたため、事実上消化試合となっていた。 1991年7月19日8点差からの逆転 0-8迎えた7回裏、巨人先発槙原寛己から落合がソロホームラン、8回裏マーク・ライアル2点タイムリー3-8、代わった木田優夫から落合四球川又押し出し四球4-8代打中村武志左翼最上段へ満塁ホームラン放ち8-8同点追いつく延長10回裏、そのまま守備入った中村水野雄仁から2打席連続ホームランとなるサヨナラホームラン放ち9-8逆転勝利収めた1994年・「10.8決戦」 中日巨人同率首位決戦のことを指す。 この日は廃止決まったJRナゴヤ球場正門前駅最終営業日となった1996年・「10・6」 「メークドラマ」も参照 ナゴヤドームへの本拠地移転に伴う、ナゴヤ球場一軍公式戦使用最後となった一戦のことを指す。 カードは「10・8」と同じくまたも中日巨人巨人この年首位広島最大11.5差の大差つけられるなど、リーグ優勝はほぼ絶望視されていた。しかし巨人監督である長嶋メークドラマ発言によってチーム息を吹き返し8月後半には首位に。その後勢い衰えずマジック1でこの試合迎えていた巨人勝利2年ぶりのリーグ優勝果たし長嶋ナゴヤ球場最後胴上げ監督となった。なおナゴヤ球場最後胴上げ投手川口和久最終打者立浪だった。星野目の前で胴上げを見る屈辱味わいながらも試合終了後行われたナゴヤ球場お別れセレモニーで「ジャイアンツファンの皆さん優勝おめでとう!」と敵軍称えるメッセージ贈り、「来年ナゴヤドーム出直しますありがとう、ナゴヤ球場世界一スタジアムだと思っています!今までナゴヤ球場愛してくださった皆さん、また来年ドームでお会いましょう!」と締め括った。 この試合で、当時中日在籍していた矢野輝弘(現・阪神タイガース監督)が当球場における1軍公式戦では最後となるホームラン放った1996年・メモリアルゲーム シーズン終了後中日OB巨人OBメモリアルゲームが行われた。この試合では現役代表として出場した松井秀喜星稜高等学校先輩にあたる小松辰雄から本塁打打っている。 1997年11月30日モーニング娘。メジャーデビュー決定 テレビ番組ASAYAN』内で1997年行われたシャ乱Qロックボーカリスト・オーディション」落選組で、後に女性歌手グループモーニング娘。」の初代メンバーとなる5名(中澤裕子石黒彩飯田圭織安倍なつみ福田明日香)が、『大阪福岡札幌名古屋東京の5会場インディーズCD愛の種5万完売』という課題を4会場目のナゴヤ球場達成しメジャーデビュー勝ち取ったナゴヤ球場モー娘。の「出発点」とも言える場所で、現在でもモー娘ファンからは一種「聖地」みなされることがある2019年・23年ぶりの一軍戦 ナゴヤドーム完成後、一軍試合行われてこなかったが、この年3月7日23年ぶりの一軍試合が、オープン戦の対DeNA戦行われ定員3000人のチケット完売し内野席のみにも拘わらず超満員大盛況のもと開催された。 これは、ナゴヤドーム毎年3月2日曜日開催される名古屋ウィメンズマラソンゴール地点スタートドームの外)とされ、ナゴヤドームでの試合開催不可能となるためで、2020年、2021年同様にナゴヤ球場埼玉西武ライオンズとのオープン戦開催された。

※この「球場にまつわる出来事」の解説は、「ナゴヤ球場」の解説の一部です。
「球場にまつわる出来事」を含む「ナゴヤ球場」の記事については、「ナゴヤ球場」の概要を参照ください。

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