秋山政司とは? わかりやすく解説

秋山政司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/26 05:13 UTC 版)

秋山 政司(あきやま まさし、1924年1月8日 - 1980年9月)は、日本の元プロボクサー東京都出身。東洋ライト級、日本ライト級の元王者。日本王座防衛19度の記録を持つ。引退後は報知新聞のボクシング記者として活動。1980年9月、急性リンパ性白血病のため56歳で没した。

  • 1950年、日本ライト級王者(19度防衛)
  • 1954年、東洋ライト級王者
  • 1955年、東洋ライト級王者

主な戦績

  • 1940年7月、極東ジムよりプロデビュー。
  • 1944年1月25日、堀口恒男(ピストン堀口)に10回判定負け。
  • 1950年4月8日椎名勇夫(高千穂)に判定勝ち、日本ライト級王座獲得。以降、まるで人が変わったような快進撃を始める。
  • 1950年6月29日、「大学の虎」後藤秀夫(坂口)に判定勝ち、日本王座の初防衛。
  • 1951年9月20日、山野井清次郎(青木)に判定勝ち、日本王座5度目の防衛。
  • 1953年2月14日、風間桂二郎(オール)に判定勝ち、日本王座10度目の防衛。
  • 1953年3月1日、チャムルーン・ソンキトラット(タイ)の持つ東洋ライト級王座に初挑戦。12回判定負け。
  • 1953年8月29日、後の東洋フェザー級王者、金子繁治に2回TKO勝ち、日本王座13度目の防衛。
  • 1953年11月26日、後の世界ジュニアライト級(現・スーパーフェザー級)王者、フラッシュ・エロルデフィリピン)に判定勝ち、日本王座14度目の防衛。エロルデとは、この試合を含め、3回対戦して2勝1敗。
  • 1954年1月5日、小坂克己(日東)に6回TKO勝ち、日本王座15度目の防衛。
  • 1954年3月30日、東洋ライト級王座に挑戦。トミー・レルマ(フィリピン)に12回判定勝ちし王座獲得。
  • 1954年9月20日、ボニー・エスピノサ(フィリピン)に判定負け、東洋王座の初防衛に失敗。
  • 1955年2月16日、日本王座防衛戦。戸波正治(鈴木)に10回判定勝ちし、日本王座19度防衛の偉業達成。これは、1995年3月に上山仁(新日本木村)に破られるまでの日本記録であった。
  • 1955年7月15日、東洋ライト級王座に挑戦。オムザップ・ナルファイ(タイ)に6回TKO勝ちし王座獲得。
  • 1955年8月25日、東洋王座の初防衛戦。17歳の天才ボクサー沢田二郎に4回TKO負けし王座陥落、いったん控え室に引き揚げた後、リングに戻り、そこで引退を表明した。日本王座獲得後の戦績は59勝12敗5分と、まさに別人であった。

最終戦績76勝(25KO)29敗8分。

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