秋山教家とは? わかりやすく解説

秋山教家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/27 01:26 UTC 版)

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秋山教家
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
官位 遠江守
氏族 大和秋山氏
父母 秋山宗丹(入道)
兄弟 教家直国
三好氏
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秋山 教家(あきやま のりいえ)は、戦国時代武将大和国秋山城[1]主。

略歴

大和秋山氏は大和宇陀郡の有力国人。芳野氏・沢氏と共に宇陀三将の一角に数えられる。

永禄5年(1562年)、教興寺の戦いでは畠山高政に属して三好長慶と戦うが敗れた。

勢州軍記』の「秋山謀叛事」によると、教家は三好氏の婿として権勢を奮い、北畠具教の命に従わなかったため、永禄年間の初め頃に居城・神楽岡城を攻められ、父は北畠氏に人質に取られ、教家自身も病死したという。また、教家が三好氏に近づいたのは教興寺の戦いの後と思われる。

教家の死後、家督は弟・直国が継いだという。

脚注

  1. ^ 別名・神楽岡城。




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