羽後武夫とは? わかりやすく解説

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羽後武夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/14 23:00 UTC 版)

羽後 武夫(うご たけお、本名:武藤幸作、1928年4月19日 - 1989年8月16日)は、秋田県仙北郡出身の元プロボクサー審判員。元日本ウェルター級チャンピオン。

経歴

1949年にアマチュアから転向、フェザー級でプロデビューしたが、いきなりの敗北で自信を喪失し引退。しかし10か月後にウェルター級でカムバック。

1952年、椎名勇夫の持つウェルター級タイトルに挑戦、チャンピオンとなる。その余勢を駆って名手辰巳八郎ミドル級王座も狙ったが、これは失敗。ウェルター級のタイトルをその辰巳に奪われ、その後辰巳の返上した王座を大貫照雄から奪還するが、大貫との再戦に敗れ無冠に。

1954年、ソムデス・ヨントラキットの東洋太平洋ウェルター級王座に挑んだが失敗。柔軟な身体を利用した戦法から「コンニャクの羽後」と呼ばれた技巧派。後に審判員となった。

1975年7月、マレーシアクアラルンプールにて行われた世界ヘビー級タイトルマッチ、モハメド・アリ対ジョー・バグナー戦において、東洋人として初めて主審に選ばれる。1989年8月16日、脳梗塞により逝去。

通算戦績

37戦20勝(3KO)9敗6引分け2EX

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