田島吉秋とは? わかりやすく解説

田島吉秋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/26 10:06 UTC 版)

田島 吉秋
基本情報
本名 田島 吉秋
階級 ミドル級
国籍 日本
誕生日 (1958-03-07) 1958年3月7日(66歳)
出身地 鹿児島県薩摩郡[文献 1]
スタイル サウスポー
プロボクシング戦績
総試合数 15
勝ち 9
KO勝ち 5
敗け 5
引き分け 1
テンプレートを表示

田島 吉秋(たじま よしあき、1958年3月7日 - )は、日本の元プロボクサー鹿児島県薩摩郡出身[文献 1]協栄ボクシングジム所属。階級はミドル級

来歴

学生時代は空手、剣道を経験し、キックボクサーとしてデビューする。 剣道の影響で右利きサウスポーになった。

1986年4月28日、28歳でプロデビュー(3回KO勝ち)。

1986年12月19日、東日本ウェルター級新人王決定戦出場。後に日本ジュニアミドル級(現:スーパーウェルター級)王座を20度防衛する上山仁新日本木村)と対戦したが、6回判定負け。プロ初黒星を喫した。上山とは1987年7月23日にも再戦したが、5回判定で返り討ち。

1988年9月19日、11戦目で日本王座初挑戦。日本ミドル級王者大和武士ワタナベ)に挑み、4回KO勝ち。王座奪取に成功し、その後2度防衛。

1989年8月21日、パカ・ウディアナ(インドネシア)と空位のOPBF東洋太平洋ミドル級王座を争い、12回判定勝ち。王座奪取に成功する。この王座は1度も防衛せず、12月に返上。

1990年1月13日、1階級上のスーパーミドル級で世界初挑戦(日本人として最重量での世界挑戦)。敵地でWBA世界同級王者白仁鉄韓国)に挑むが、初回にダウンを奪われた末の7回TKO負け[文献 2]。この試合を最後に引退した。日本初のミドル級の世界チャンピオン竹原慎二のスパーリングパートナーもつとめた

参考文献

  • ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年
  1. ^ a b 296頁
  2. ^ 283頁上段

関連項目

外部リンク

前王者
大和武士
第39代日本ミドル級王者

1988年9月19日 - 1989年8月20日(返上)

空位
次タイトル獲得者
西條岳人
前王者
白仁鉄
第29代OPBFミドル級王者

1989年8月21日 - 1989年12月(返上)

空位
次タイトル獲得者
姜乗仁




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「田島吉秋」の関連用語

田島吉秋のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



田島吉秋のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの田島吉秋 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS