みんぞく‐がく【民俗学】
民俗学
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民俗学(みんぞくがく、英語: folklore studies / folkloristics)は、学問領域のひとつ。高度な文明を有する諸国家において、自国民族の日常生活文化の歴史を、民間伝承をおもな資料として再構成しようとする学問で、民族学や文化人類学の近接領域である。
- ^ a b 河野眞「民俗学における個と社会 ―20世紀初めのフォルク論争を読み直す(3)」『文明21』No9、2002年
- ^ 民俗学の国策化大塚英志『怪談前後―柳田民俗学と自然主義―』角川学芸出版、2007年2月
民俗学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 07:54 UTC 版)
日本民俗建築学会 編『日本の生活環境文化大事典』では、景観は「自然が作る環境と建築物や道路、橋などの土木建造物によって構成される」と記している。また、同書では景観を構成する「脇役」として電柱や街灯、火の見櫓などを挙げ、これら脇役は景観上存在感が大きいものの、環境デザイン・景観要素として意識されることが少ないと指摘した。
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民俗学
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ピレネー地域は民族学、民俗学、歴史学的に多様である。アンドラ、アラゴン、アリエージュ、バスク、ベアルン、カタルーニャ、ナバーラ、ルシヨンなどの地域に分かれており、かつてはアルモガバルスやスペイン辺境領という区分もあった。 ピレネー山脈付近に伝わる伝説として「熊の子ジャン」がある。ピレネー山脈付近で作られた犬種にグレート・ピレニーズがある。
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民俗学
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東アフリカでは、太陽を冷やし大地を温める動物として扱われるが、西アフリカでは、不道徳など悪いイメージで語られる。中東では、裏切りや愚かさの象徴とされる。アフリカなどでは狼男ではなく、人間に成りすますハイエナWerehyena(英語版)が知られる。タンザニアでは、魔女の乗り物とされる。
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民俗学
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この文化圏に関する現代の知識は、考古学的証拠、古代ギリシアや古代ローマの文献、民俗学的証拠からのもので、特に民俗学的には西ヨーロッパのケルト領域にまでラ・テーヌ文化の美術的な影響が指摘されており、議論になっている。考古学上ラ・テーヌ文化に属するとされる社会のいくつかは、紀元前5世紀以降のギリシアやローマの文献で keltoi(ケルト人)および galli(ガリア人)と呼ばれた。ヘロドトスは keltoi をドナウ川源流域としたが、これはラ・テーヌ文化の中心地にあたる。このことがラ・テーヌ文化の担い手がケルト人だったことを意味するかどうかは判断が難しい。考古学では、言語、物質文化、政治的同盟が必ずしも並行して発生しないと繰り返し断定している。Frey (Frey 2004) は紀元前5世紀のケルト人の埋葬の習慣は一様ではなく、むしろ局所的な集団が独自の信念を持ち、結果として独特な芸術表現を生み出したとしている。ラ・テーヌ文化の考古遺跡とされるものはスラブ文化圏にもあり、ラ・テーヌ文化をケルト人のものとすることは微妙な問題を生ずる可能性がある。
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民俗学
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民俗学において折口信夫は、海の彼方にあると信じられている他界・常世から定期的に来訪する霊的存在を「まれびと」と呼んだ。また、岡正雄は、年に一度季節を定めて他界から来訪する仮面仮装の神を「異人」と呼び、日本とメラネシアに共通の現象として指摘した。 従来の民俗学では「異人歓待」や「異人殺し」を中心にしつつ、個別事例を対象にして分析が進められてきた。例えば、秋田のナマハゲや沖縄八重山のアカマタ・クロマタのような、村落あるいは社会の外部から来訪し幸福をもたらすまれびとや、六部・山伏をはじめとする遍歴の宗教者などが対象にされていた。これに対し、通文化的(特定の時代・地域に限定されない)分析を可能にする概念として、「異人」という言葉が使われ始めたのである。 小松和彦は、「異人」を四種に類型化している。 ある社会集団を訪れ、一時的に滞在し、所用が済めばすぐに立ち去っていく人々。例:遍歴(広く各地を巡り歩くこと、いろいろな経験を重ねること)する宗教者や職人・商人・乞食、旅行者、巡礼者など。 ある社会集団の外部から来て定着した人々。例:難民、商売や布教を目的とする商人や宗教者、社会から追放された犯罪者、強制的に連行されてきた人々など。 ある社会集団が、その内部から特定の成員を差別・排除することで生まれてくる人々。例:前科者や障害者など。 はるか彼方に存在し、想像上で間接的にしか知らない人々。例:外国人や、異界に住むと信じられている霊的存在など。 「異人」という概念が生まれる時とは、ある集団が異質の存在だと規定し始めた人物認識が生じた時である。
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民俗学
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南方熊楠は、『十二支考・蛇』の冒頭で、「わが邦でも水辺に住んで人に怖れらるる諸蛇を水の主というほどの意〔こころ〕でミヅチと呼んだらしい」としている。 南方がミズチを「主(ヌシ)」とするが、もとの着想は「チ」は「尊称」(讃え名)だとする本居宣長の考察であった(『古事記伝』)。ヌシだとする立場は南方の見立であって、宣長本人は、ミズチ、ヤマタノオロチ、オロチの被害者たちであるアシナヅチ・テナヅチのいずれにつくチも「讃え名」であるという語釈をしている。南方は、「ツチ」や「チ」の語に、自然界に実在する蛇「アカカガチ」(ヤマカガシ)の例も含めて「ヘビ」の意味が含まれると見、柳田國男は「ツチ」(槌)を「霊」的な意味に昇華させてとらえた。『広辞苑』では「ち【霊】」を自然界の森羅万象の霊力、云々と定義しているが、そのあたりは、上述§語源でも触れた。 南方は、地方では本来「ミズチ」だったものの伝承が変遷し、河童の一種にすりかわってしまったのではないかと考察する。その根拠として、現代、河童に相当する地方語に、ミヅシ(能登)、メドチ(南部地方)、ミンツチ(蝦夷・北海道)など、ミズチの名に近似する語がいくつかみつかることを挙げている。また、越後の伝承では河童は瓢箪を嫌悪するとさられていて、これは河伯または大虬(みづち)に瓠(ひさご)を沈めてみせよと挑戦した、上述の『日本書紀』巻11の二例と通じている。同様の考察は柳田や、石川純一郎らが踏襲している。 南方はこの沿線上でさらに詳しく憶測し、水の主たるミズチが人間に化して害をなす伝承があったのが、いつのまにかミヅシと呼ぶ河童の悪事の伝説にすりかわってしまう一方、水の主としてのミズチの名は忘れ去られたのではないかとしている。河童、蛇、スッポンを、水中で人間を殺すことで知られる三つの存在として朝川善庵『善庵随筆』がとりあげていることを、南方はさきに触れている。
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