民俗史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 16:19 UTC 版)
この地には伝説があり、それによると、1648年、アシャンティの狩人、アコラ・ボンペがアサマン(英語版)から負傷したレイヨウを追いかけていた。突然そのレイヨウは小さな池に姿を消した。それはまるで水がそのレイヨウの命を救わんとするようであった。結局、彼は池の近くに住んでいるにも関わらずレイヨウを捕える事は出来ず、魚を捕り始めた。この地を彼は「レイヨウの神」の意でボスムトゥイと名付けた、との事である。この説話から、当時の湖水が非常に少なく、沖で300年以上立ち枯れしている木もまたそれを証明している。 その後、この湖の近くでもいくつかの戦闘が起こり、アキム族が敗れ、アシャンティ人がこの地を支配した。 湖畔にある村は各々宗教施設や共同墓地を有している。キリスト教の伝来以後、中には改宗した人もいたが、多くの人は疫病等の時には伝統的な祈祷を行っていた。 アブロドウムの石が湖の信仰の中心として存在する。不漁の時にはその原因は不信にあると考えられ、人々は牛を生贄として捧げた。この行動はアシャンティの王にとっては彼の権威の象徴となった。儀式では石に内臓を捧げ、それ以外は湖に投げ込んだ。そして大衆は湖にカットラスや斧と共に飛び込み、岸で肉を分け合った。しかしながら、この儀式には様々な事象が絡んでおり、何が起こるかは予期しがたい。 伝統的に湖に鉄や昨今のボートを着水させるのは禁忌とされている。パドゥアと言う木製の厚板によって作られた船が合法の船として使われている。 また、昨今では乱獲や不適切な牧場開発による環境変化も起こっている。人口増加により魚の需要が高まり、次第に魚は減少、それにより農業需要が増加した。丘は次第に農地化され、多雨による浸蝕が大きな問題となっている。加えて、湖の水面も変わってきており、多くの村が上方への数回の移住を要されている。 湖は地域の人々にとっては泳ぎ、釣り、ボート等のリゾート地として知られている。 湖畔のアマコム村には診療所があり、緊急時にはボートや救急車による対応を行っている。
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