日本の英艦隊発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 05:13 UTC 版)
日本の潜水部隊の待機配備は、日本の攻略部隊に対し反撃を企図する英艦隊の出現の公算の最も大きいと判断される海面、すなわち南シナ海南部のほぼ中央からマレー半島沿岸に至る海面に、南はシンガーポール海峡東口から北はトレンガヌ沖に至るまで、縦深性のある散海線を構成して所要の潜水艦を配置し、北上する英艦隊の補足と攻撃を企図していた。 12月9日午後3時15分、南北に三線にわたり展開された潜水艦散開線のうち、中央散開線の一番東側に位置していた伊65(原田毫衛艦長)が艦影二を発見、英艦隊発見の第一報を打電した。 敵「レパルス」型戦艦二隻見ユ 地点「コチサ」一一 針路三四〇度 速力一四節 一五一五 宇垣参謀長の「戦藻録」によれば、伊65の英艦隊発見地点はマレー半島プロコンドル島の196度225浬である。伊65は打電後も接触を続けたが、午後5時20分に一旦見失った。 この第一報を馬来部隊(南遣艦隊司令長官小沢治三郎中将)が受信したのは午後5時10分以降であり、伊65からの敵艦隊発見報告は著しい遅延であった。第二艦隊司令長官近藤信竹中将(南方部隊指揮官)麾下の南方部隊本隊には、午後5時25分に「レパルス型戦艦2隻、重巡洋艦2隻、駆逐艦3隻」という情報が入った。南方部隊本隊(第二艦隊)は反転南下した。第四潜水戦隊司令官吉富説三少将は、伊65からの報告を受けて麾下潜水艦に散開待機位置の変更を命じた。伊65は午後6時22分に再度英艦隊を発見したものの、上空に水上偵察機(軽巡洋艦鬼怒搭載機)が出現したため潜航したので目標を見失った。空からは鬼怒(第四潜水戦隊旗艦)と由良(第五潜水戦隊旗艦)の九四式水上偵察機、第七戦隊(司令官栗田健男少将)旗艦・重巡洋艦熊野等の水上偵察機が日没まで触接を続け、熊野2号機が行方不明。鈴谷偵察機は不時着(生還)。さらに由良機が未帰還となった。 午後5時10分から20分までの間に伊65から英戦艦発見の第一報を受けた小沢中将は、先の「英戦艦はシンガーポールに在泊している」という陸偵の報告を覆すものだった。受信時間は午後5時15分とする意見もある。小沢は以下の判断をした。 潜水艦の報告の真偽は不明だが、直ちに「鳥海」と第七戦隊の水偵を発信させて英艦隊を捜索する。 第一航空部隊に索敵攻撃させる。 付近行動中の水上部隊である馬来部隊主隊、護衛隊本隊、重巡洋艦(鳥海、最上、三隈、鈴谷、熊野)、軽巡洋艦(鬼怒、由良)、駆逐艦(吹雪、白雪、初雪、狭霧)を集結し、9日夜中に英艦隊を補足、夜戦によって英艦隊を撃滅する。 マレー東岸で揚陸中の輸送船を急速避難させる。 このために関係部隊に相次いで命令を発した。「伊65」の報告を受け行われた写真の再調査によりシンガーポールに戦艦は在泊していなかったことが判明し、そのことは午後6時30分に馬来部隊にも届いた。 9日午後5時30分、馬来部隊電令作第二四号によって第一航空部隊に対し、伊65の戦艦報告位置を知らせるとともに目標への索敵攻撃を命じた。第一航空部隊の指揮官・松永貞市少将は、優勢な英艦隊に対し、劣勢な小沢部隊が夜戦を決行する決意を報じたため、悪天候にも関わらず攻撃を決意し、午後5時30分に各隊へ出撃を命じ、攻撃隊3波を発進させた。陸攻部隊は爆弾を装備し、英戦艦にダメージを与えて日本艦隊を掩護する事が任務だった。 英艦隊は、低い雲やスコールのため視界は悪かったが、午後6時30分頃、空が急に晴れ、3機の日本水上機を視認し、夜になるまで追尾された。またプリンス・オブ・ウェールズのレーダーが日本軍水上偵察機を捉えたが、 わが目標はシンゴラ沖にして、日本軍上陸部隊支援部隊中主力艦は金剛ただ一隻なるものの如し。他に愛宕級3、加古級1、神通級2の各型巡洋艦と駆逐艦多数あり。 本長官は明早朝、敵の航空攻撃を受ける以前に敵上陸支援部隊を奇襲せんとするも、これに先立って金剛と遭遇するときは優先的にこれと戦い撃滅せんとす。 1800(東京時間午後7時30分)信号を待ちて針路を320度とし、さらに1930(午後9時)280度に変針し、24ノットに増速すべし。その後は10日1600(午後5時30分)C地点(アナンバス諸島付近)に於いて集合し得る如く行動せよ。 明日0745(午前9時15分)を期しシンゴラ突入を決行す。攻撃後は東方に避退す。 10日未明以前に駆逐艦3隻を分離帰投せしめ、その後は戦艦のみにて突撃す。全軍の武運を祈る。 以上の命令を出し、フィリップス中将は船団攻撃の決意を変えなかった。 午後7時30分頃、小沢中将は、馬来部隊主隊に英主力艦誘致を命じた南方部隊命令を受けたが、英戦艦発見時に主隊は南方部隊本部と第三水雷戦隊主力とは200海里も離れていたので、小沢は所在の水上部隊と航空部隊、潜水部隊をもって索敵攻撃を決意しており、この命令は小沢の意図と異なるものであったため、 第一航空部隊及潜水部隊は今夜敵主力に極力触接攻撃せよ 水上部隊は明天明後 航空部隊、潜水部隊の攻撃に策応機宜攻撃を加へつつ味方主力に誘致したる後決戦せんとす 3Sdは明十日成る可く速に7Sに合同せよ 以上を馬来部隊電令作第二六号として発令する。 9日午後8時5分、フィリップス中将は駆逐艦テネドスを分離し、シンガーポールに帰投させ、同艦に対して10日午前9時30分に10日朝の艦隊の予定位置を発信するように命じた。あるいは時間は午後6時30分とし、燃料不足が原因とする意見もある。また、テネドス艦長に対し10日朝に無線封止を解除し、アナンバス諸島東方に連合国軍巡洋艦・駆逐艦を集結させるよう求めている。 9日午後8時25分、英艦隊は10日午前7時15分頃にシンゴラ沖に達するように針路280度、速度21節を変えたが、司令部は艦隊の作戦を検討し、シンガーポールに反転することを決め、午後9時45分南東に変針し、速力を20節に落とした。一方、日本の小沢中将は主隊に関し、当時の状況におけるそれ以上の接敵は不利と認め、月出の10日午前0時8分を待って接敵することを決意し、午後8時50分に90度に変針、続いて英主力艦と並進するよう針路50度に変針を命じた。護衛隊本隊も午後8時50分に170度にした後、午後9時に主隊と並行針路に変えた。この小沢の判断は、伊六十五潜や触接中の水偵から英艦隊発見の続報がなく、午後8時30分以降「鬼怒」機に吊光投弾の投下を命じたが、その模様もなく、第一航空部隊の索敵からも報告がないため、潜水艦及び飛行機が英艦隊を再発見して終夜触接ができる可能性が低いこと、付近に「由良」が行動中で、護衛隊本隊とも電話連絡中であるが、相互に視認できていないこと、現在の気象状況は急速に回復するとは考えられず、月出まではこの視界が続くと予想されること、この状態では統制のある誘致作戦は困難であり、同士撃ちの危険さえあることに基づいていた。 午後8時58分、日本の主隊が針路50度に変針した時、馬来部隊司令部は、英艦隊は主力の110度から120度方向、35から40浬にあると判断していた。小沢中将は、その時の距離は35浬と判断していたと戦後証言しているが、英資料と参照すると午後8時50分には日本の主隊と英艦隊の距離は20浬以内まで接近し、東西にすれ違い、以後急速に離隔している。この時、両軍艦隊は一時プリンス・オブ・ウェールズの主砲射程圏まで接近していたことになる。また、プリンス・オブ・ウェールズのレーダー(25マイル)が鳥海(主隊)を捉えなかった点に疑問もある。 索敵に向かった第一航空部隊の陸偵一機は悪天候で企図がついえたが、美幌空第二中隊の武田八郎大尉の指揮する陸攻三機は悪天候の中を南進すると、艦影2つを発見し、推定位置と異なるが北方に進行中(英艦隊の針路と推定していたもので小沢はその並進を企図していた)だったので武田大尉は英艦隊と判断し、午後9時30分「敵見ゆ」、続いて午後9時32分「オビ島の150度90浬」と報告した。午後9時30分少し前に、主隊の「鳥海」において航空灯を点灯したまま接近する飛行機を視認し友軍機と思っていると、航法目標灯次いで吊光投弾を落とし、明らかに鳥海(主隊)を英艦隊と誤認していると判断され、「鳥海」は発光信号で「我レ鳥海」と信号したが通じず、さらに探照灯も通じなかった。午後9時30分、避退するため進路0度にするとともに第一航空部隊司令部に対し、「中攻三機鳥海上空ニアリ」「吊光弾下ニ在ルハ鳥海ナリ」と打電、この電を受けた松永少将は索敵機に対し、「味方上空引返セ」と命じたが、武田隊がこの電報を了解する午後10時頃までこの行動は続いた。小沢中将はこの状況では統制された触接誘致作戦は困難と認め、月出後の接敵を断念し、一旦戦場を離脱して南方部隊本隊に合同することを決心し、午後10時に針路を20度に変え、小沢中将は午後10時30分に第九根拠地隊基地司令、第三水雷戦隊司令官に対し、各輸送船はフコク島またはバンコクに避退するよう無電による指示を命じた。 南方部隊指揮官の近藤中将は、午後9時40分に小沢の水上部隊と合同後の戦闘序列を予令し、午後10時50分に進撃要領も示した。また馬来部隊が近藤の本隊に接近中と知ると、午後23時に自隊の位置と合同後の体形を電報し。10日午前4時には南方部隊本隊、馬来部隊主隊、護衛隊本隊は合同を終えた。 英艦隊も午後9時45分頃に前方5マイルに青い閃光を確認し、これは武田機が投下した吊光投弾であり、シンガポールのパリサー参謀長から受信した「本日午後の航空偵察によれば、コタバル付近の海面に戦艦1、最上型巡洋艦1、駆逐艦11及び輸送船多数集結中なり」との報告を検討した結果、針路をシンゴラから南東のコタバルに変更した。午後10時30分、フィリップス提督は作戦中止とシンガポール基地に戻り戦力再編を行うことを伝達した。 第一航空部隊が発進させた攻撃隊は全て引き返し、潜水部隊も敵情を得なかったため、「熊野」機が9日午後7時50分に英艦隊の位置を報告して以降、日本は英艦隊の動静をつかめずにいた。12月10日午前1時22分、同海域で英艦隊の動向を見張っていた伊58潜水艦(北村惣七潜水艦長)は、水上航行中に右20度600メートルの至近距離に駆逐艦らしき艦影2を発見、潜航した。直後、針路180度で航行中の戦艦を発見し、「〇一二二 敵主力反転 針路一八〇度」と打電した。この電文は全軍に向けて打電されたが、第三水雷戦隊が受信を確認したこと以外は、第二艦隊司令部も含めて受信が確認されなかった。伊58は以後も接触を続け、午前1時45分レパルスに向けて魚雷5本を発射したが、英艦隊の変針が重なり命中しなかった。伊58は浮上航走しつつ英艦隊を追跡し、午前3時41分に「我地点「フモロ」45ニテ「レパルス」ニ対シ魚雷ヲ発射セシモ命中セズ 敵針路一八〇度 敵速二二節 〇三四一」と打電、午前4時25分に「敵ハ黒煙ヲ吐キツツ二四〇度方向5二逃走ス 我之ニ触接中 〇四二五」と打電、午前6時15分に「我触接ヲ失ス 〇六一五」と打電した。 10日午前4時41分、近藤中将は「我地点「フモロ」45ニテ「レパルス」ニ対シ魚雷ヲ発射セシモ命中セズ 敵針路一八〇度 敵速二二節 〇三四一」の電報を受け、英艦隊が反転してシンガーポールに避退中と知ると、午前5時、これを追撃するとともに、第一航空部隊及び潜水部隊に対し「敵ハ〇三四一地点フモロ四五ヲ「シンガーポール」ニ向ケ遁走中ナリ 航空部隊及び潜水部隊ハ極力此ノ敵ヲ捕捉撃滅スベシ」と命じた。6時15分に打電された電文を最後に、英艦隊の動向は全くつかめなくなった。電文から推測するに、英艦隊は真南(180度)の方向に航行していると見られ、燃料不足の懸念から近藤信竹中将(第二艦隊長官)は午前8時15分「水上部隊の追撃を断念す」と打電した。近藤中将は所在の水上部隊を反転させ、その攻撃を航空部隊と潜水部隊に委ねた。小沢中将も潜水部隊による追跡を諦め、松永少将指揮下の陸攻部隊に攻撃を託した。
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