日本の華族制度における爵位との違い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 00:07 UTC 版)
「爵位」の記事における「日本の華族制度における爵位との違い」の解説
元来、欧州においては、「爵位」という名誉は家系に対してのみ与えられているのではなく、爵位(官職)が担当する地域の領主権(公爵領、侯爵領、伯爵領など)に紐づいたものだった。つまり特定の地域が何らかの爵位が担当する区域であるなら、その区域を支配する特権を王や皇帝の封建的臣下として承認された人物こそが爵位を名乗ることになる。もっとも封建制が廃された近現代以降はこのような封建領主としての特権は名目的なものに過ぎなくなっている。例えばビルマのマウントバッテン伯爵がビルマの封建領主としての権利を行使したことはない。名目上ある地域の支配権と紐づいている称号という意味では伝統的な欧州の爵位に近いのは日本の国司と言える。また近現代以降に貴族に封じられたケースであれば従前の家名を爵位名とすることも多い。 こうした点は家柄に与えられる格付に過ぎず、名目上も領主権と切り離されている日本の華族制度における爵位とは異なる。例えば華族制度ではある一つの家がもつ爵位が上下することがあっても、複数の爵位を保持することはありえない。しかしヨーロッパでは所領が複数あり、それらに爵位が付随していれば、一つの家が複数の爵位を持つことがありえ、別段珍しいことではない。また、こうした複数の爵位を保持する家の場合、最も重要な爵位以外を切り離して嫡男以外に分け与えることもできる。このような違いは欧州の貴族は封建諸侯が近代以降その封建的特権を喪失しつつも従前の名誉称号を保ったものであるのに対して、日本の華族制度が封建的特権を失った諸侯に対する救済、慰撫措置として創設されたという歴史的沿革の相違に原因を求めることができる。 なお、行政区域を担当する官職の世襲化が困難であった古代ローマや西欧とは異なる歴史を歩んだ東ローマ帝国などではこれと全く違う体系の爵位制度が用いられていた(Royal and noble ranksを参照)。
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