近現代以降
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近代歴史学確立以降の著名な歴史書。 『世界史概観』(レオポルト・フォン・ランケ) 『ヨーロッパ文明史』(フランソワ・ピエール・ギヨーム・ギゾー) 『イタリア・ルネサンスの文化』(ヤーコプ・ブルクハルト) 『封建社会』(マルク・ブロック) 『ユダヤ人と経済生活』(ヴェルナー・ゾンバルト) 『近代史における国家理性の理念』(フリードリヒ・マイネッケ) 『中世ヨーロッパ社会経済史』(アンリ・ピレンヌ) 『文明化の過程』(ノルベルト・エリアス) 『中世の秋』(ヨハン・ホイジンガ) 『地中海』(フェルナン・ブローデル) 『近代世界システム論』(イマニュエル・ウォーラーステイン) 『市民革命と産業革命』(エリック・ホブズホーム) 『西洋の勃興』(ウィリアム・マクニール) 『監獄の誕生』(ミシェル・フーコー)
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近現代以降
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その後、明治維新以降も徳川将軍家に伝来し、1936年(昭和11年)5月6日には公爵徳川家達名義で国宝保存法に基づく国宝(旧国宝)に指定された。1945年(昭和20年)、徳川公爵家から中島飛行機(現在のSUBARU)の2代目社長である中島喜代一へと所有が移る。1965年(昭和40年)5月29日には文化財保護法に基づく国宝(新国宝)に指定される。指定名称は「刀 無銘貞宗(名物亀甲貞宗)」。その後、愛刀家で知られる渡辺誠一郎に所有が移り、1991年(平成3年)には同氏より東京国立博物館に本作が寄贈される。
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近現代以降
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住友ビルディング(大阪市中央区)船場 髙島屋(大阪市中央区)難波 御堂筋 梅田を中心とした高層ビル群(大阪市北区) 中之島(大阪市北区) 西梅田(大阪市北区) 世界陸上大阪大会の様子(大阪市東住吉区の長居陸上競技場) 明治維新後は、首都機能が京都から東京へと移ったことや、蔵屋敷が不要になったことなどもあり、大阪は一時衰えを見せた。明治政府の藩債処分などの影響で大きな打撃を受けた大阪であったが、繊維関係を始めとする軽工業部門を中心に商工業が発展し、「東洋のマンチェスター」「東洋一の商工地」と称せられ、現在も大企業として存続する企業が勃興しメセナが活発に行われた。この時代は「阪神間モダニズム」と呼ばれる。1925年(大正14年)には大阪市が周辺地域を合併して市域を拡大させ、当時関東大震災で打撃を受けた東京市を凌ぐ日本最大の人口を有する都市となった(大大阪時代)。 第二次世界大戦が始まった直後の1942年2月1日からは、早くも味噌と醤油が配給制となった。当初、大阪府では大阪市、布施市、豊中市、岸和田市、堺市、吹田市、池田市、守口町の7市1町が対象となり、1人当たり味噌は1日3.3匁、醤油は1ヶ月4.5合が割り当てられた。同時期に衣料品も点数切符制になるなど対象品目と対象地域は拡大。市民は耐乏生活を強いられた。戦争末期には、尼崎の機械工場、中央区の造幣局、中心地の商業地区、港湾施設への徹底的な爆撃のため、都市は灰燼に帰した。また、この時期に空襲を避ける目的で府下に工場移転が行われ、それは戦後の衛星都市での産業の基盤になった。 1945年(昭和20年)9月18日、枕崎台風接近により高潮の被害。築港、港、大正、西淀、此花、西、城東、福島方面は湖と化した。浸水家屋約40000戸。罹災者訳118000人などの被害。 戦後、高度経済成長期に入ると、阪神工業地帯内でも軽工業の比率が高かった大阪府下の経済は閉塞的な様相を見せるようになった。当時の花形産業だった重工業も、戦後の非武装化によって大阪砲兵工廠がなくなったことにより大打撃を受け(その補完機能としての中小企業は多く、それをルーツとする企業もまだ現在も残ってはいるが)、大阪府のような遠浅の海岸線では誘致および大型化が難しかったこと(その証拠に、阪神間など大型船の入りやすい箇所に多数、重工業は存在している)や公害対策でその他の土地に移転させたことも原因といわれている。 また、戦後の法整備から大阪独自の奉公人制度も衰退し、商業の軸足も東京へと移った。これにより、官には頼らないという土性骨(どしょうぼね、ド根性の意)により大阪文化を支えていた富裕層からの寄付が減少。貧弱な官主導のため、経済・文化力は低下した。これらに加え、1964年(昭和39年)に工場等制限法、1972年に工業再配置促進法、1973年に工場立地法といった、いわゆる工場三法が次々と制定された。さらに1966年には中部圏開発整備法が制定され、製造業が近畿圏から中京圏へ流出するきっかけとなり、大阪にとって打撃となった。 1970年3月15日〜9月13日、吹田市の千里丘陵で日本万国博覧会が開催された。アジア初開催となった1970年大阪万博は、およそ6,421万人の来場者を集め、当時最大規模の万博となった。会場跡地は現在万博記念公園として整備されている。 1994年、泉州沖に関西国際空港開港。世界初の完全人工島による海上空港となる。その後、2007年の2期島(第2滑走路)完成により、日本初の完全24時間空港となった。 1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災では、大阪市では震度4程度で直接的な被害は少なかったが、豊中市などの地域では強い地震に見舞われ死者9名を出すなど、家屋への大きな被害が発生した。その他、ライフラインの途絶や交通機関の麻痺など少なからず影響を受けた。 1995年11月19日、日本初開催となる第7回APEC首脳会談が大阪市で開催。 1992年頃より、2008年夏季オリンピックを誘致する構想が持ち上がるも、2001年7月のIOC総会で落選(詳細)。 2002年にFIFAワールドカップの一部が長居スタジアムで開催された。開催試合はイングランド戦や決勝トーナメントを決めた日本戦ならびに準々決勝。 2007年には、大阪市の長居スタジアムで2007年世界陸上選手権が開催された。陸上競技としては最高峰の国際大会であり、参加国は延べ200ヶ国に達した。 2018年6月18日に大阪府北部地震が発生。大阪市北区茶屋町、高槻市、茨木市、枚方市、箕面市で震度6弱を観測した。大阪府下で震度6弱を観測する地震が発生したのは統計を取り始めてから初めてのことであった。 2018年11月24日(日本時間)、フランス・パリで開催されたBIE総会によって、2025年国際博覧会の大阪誘致が決定した。 2019年6月28日・29日、日本初開催となる第14回G20サミット(G20大阪サミット)が大阪市住之江区で開催された。日本の安倍首相を議長として、トランプ大統領(米)、プーチン大統領(露)、習近平国家主席(中)、メイ首相(英)、マクロン大統領(仏)、メルケル首相(独)などが一堂に来阪し、日本で行われた国際会議において、過去最大規模のものとなった。 2025大阪万博(Expo2025)ロゴ G20大阪サミット(大阪市住之江区)
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