近現代の財賀寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 04:22 UTC 版)
明治には寺社領上地令などにより経済的に困窮したが、廃絶は免れ、高野山真言宗寺院として存続している。 平成10年(1998年)には国の重要文化財の仁王門の修理が完了し、同じく国の重要文化財で先に修復が済んでいた金剛力士立像が寄託先の奈良国立博物館から戻され納められた。この際当時の横綱貴乃花による土俵入り奉納が行われた。 令和6年(2024年)には寺伝による開創から1300年の節目を迎えるのに合わせ、本堂内陣に安置されている木造観音二十八部衆立像(豊川市指定文化財)を順次京都の美術院国宝修理所で修理しているほか、仁王門、文殊堂の屋根葺き替え等も行われる。この事業のPRも兼ねて、前立本尊の千手観音立像(文化財未指定)を市内各所の施設、企業等に出張展示する企画が展開されている。
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