近現代チベットにおける歴代中国政権による実効支配の変遷とは? わかりやすく解説

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近現代チベットにおける歴代中国政権による実効支配の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/28 04:13 UTC 版)

チベット独立運動」の記事における「近現代チベットにおける歴代中国政権による実効支配の変遷」の解説

雍正のチベット分割(1724-32)以降ガンデンポタンチベット北部(アムド地方)、東部(カム地方東部南部)に対す統治権失ったチベット東部のうち、四川省分配されていたニャロン地方領主グンポナムギャルが近隣領主対す征服活動を展開。ガンデンポタンによる鎮圧清朝ニャロン地方ガンデンポタン管轄下に。近隣チベット人諸侯対すガンデンポタン影響力増大四川総督趙爾豊によるチベット侵攻(1905-10)。四川盆地進発して、カム地方諸侯順次制圧、さらにディチュ河越えてガンデンポタン領内侵入1910年ラサ制圧ダライ・ラマ13世インド脱出1911年辛亥革命勃発ダライラマ十三世チベットへ帰還チベット軍の反撃開始。 1918-19年、チベット軍、一時的にディチュ河越え、タルツェド(康定)に迫る。 1932-33年、チベット軍、ジェクンド(玉樹)の奪回目指し進撃するも、中国青海四川連合軍敗北1949年アムド地方掌握していた青海省長の馬歩芳台湾へ脱出カム地方東部掌握していた劉文輝共産党降伏アムド地方カム地方東部中国共産党支配下に入る。 1950年中国人民解放軍ガンデンポタン勢力圏であるカム地方西部侵入チャムド(昌都)を占領する(「昌都戦役」)。 1951年中国人民解放軍新疆方面ジェクンド方面青海)、チャムド方面の3方面から中央チベットにむけて進軍北京では十七か条協定の締結ラサ無血開城中国はこれを「チベット平和解放(西蔵和平解放)」と称する1955年、アムド・カム地方で「民主改革」の開始1956年、アムド・カム地方抗中蜂起始まる(チベット動乱勃発1957年 - アムド・カムで敗北した各地抗中ゲリラガンデンポタン管轄下の「西蔵」に退避抗中ゲリラ統一組織チュシ・ガンドゥク結成1959年3月ラサ市民の蜂起ダライラマ14世ガンデンポタンチベット脱出中国国務院は「西蔵地方政府」(ガンデンポタンを指す)の廃止布告ガンデンポタンはこれに対抗してチベット臨時政府樹立」を宣言の後、国境越えインド亡命1965年中国チベットの「西蔵部分領域とする「チベット自治区(西蔵自治区)」を発足させる1974年、「チュシ・ガンドゥク武装解除

※この「近現代チベットにおける歴代中国政権による実効支配の変遷」の解説は、「チベット独立運動」の解説の一部です。
「近現代チベットにおける歴代中国政権による実効支配の変遷」を含む「チベット独立運動」の記事については、「チベット独立運動」の概要を参照ください。

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