戦後の経歴・活動とは? わかりやすく解説

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戦後の経歴・活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 16:39 UTC 版)

山崎治雄」の記事における「戦後の経歴・活動」の解説

194546昭和2021)頃 天満屋開催されオール岡山カメラクラブ(山陽カメラクラブの前身)の展覧会石津良介らと審査員務め後楽園写真ふるさと』を出品小野隆弘次席小野隆弘緑川洋一葛原らを指導この頃後楽園焼け落ちた岡山城趾の石垣記録か? 194647昭和2122)年 鈴木八郎いままで作品見せ手紙にて相談。「まだこれより他にあなたにふさわしいやるべきことがあるではないか…」との示唆を受ける。ただちに戦前写真作品焼却以後記録の道へ(内容詳細および年月日不明)。 1947年昭和22年) 「中国写真家集団再会の場に出席岡山県笠岡市)。トリオ・スタジオ開設岡山市奉還町2丁目奉還町商店街内。進駐軍のいた占領下岡山では県庁は上伊福にあり、奉還町商店街栄えていた。その後県庁移転し山崎は同市北方へ) 1950年昭和25年勤労者美術展審査員1950年昭和25年着工されたばかり旭川ダム建設住民離散過程記録撮影開始ダム完成1954年昭和29年)まで記録続ける。特に1951年昭和26年)から1953年昭和28年)にかけては年間300日通い続ける1952年昭和27年日本報道写真連盟岡山支部結成1955年昭和30年全日本写真連盟岡山支部結成岡山すぎなクラブ顧問岡山写真連盟参与1956年昭和31年日本では類例のない先駆的ドキュメンタリー・プロジェクトである旭川ダム関連問題決死記録活動完成。その貴重な記録のほとんどが、諸事情のため、未発表のまま現在に至る。備前加茂大祭共同制作による記録撮影岡山芸能懇話会編集備前加茂大祭』に写真提供。写真クラブあすなろ指導詳細不明)。 1957年昭和32年岡山県教育委員会社会教育監修発行岡山県文化財第一集写真提供。 1958年昭和33年岡山県教育委員会社会教育監修発行岡山県文化財第二集写真提供。 1959年昭和34年) 『カメラ毎日2月号、8月号に「い草シリーズ作品発表1960年昭和35年岡山県教育委員会社会教育監修発行岡山県文化財第三集写真提供。 1961年昭和36年吉川八幡当番祭の共同制作による記録撮影。『吉川八幡当番祭』刊行吉川当番刊行会、重森三玲解説)。岡山県美術展審査員吉備津神社文化財史跡建築行事風俗等、約四百写真記録資料として寄贈され一部が斉館に陳列、のこりの大部分は参竜室の押し入れ保管当時岡山東京大阪での展覧会企画されたが経費なく、未発表のまま現在に至り詳細不明6月30日付け新聞記事あり)。 1962年昭和37年第十七回国体芸術展査員。 1964年昭和39年)頃 平櫛田中作『鏡獅子六代目尾上菊五郎像)』(1958, 木彫彩色、高さ57.8cm, 岡山県立美術館所蔵)『五浦釣人岡倉天心像)』(1963, 木彫、高さ113cm, 岡山県立美術館所蔵)の撮影(ほぼ確定)。 1966年昭和41年岡山写真作家集団結成西大寺軽便鉄道廃止際し、その過程共同制作による記録撮影岡山すぎなクラブ)。岡山県総合文化センター西大寺市等にて大々的発表1967年昭和42年) 『岡山の仏たち』の記録撮影完成その後岡山県総合文化センター等、県下各地発表1968年昭和43年い草栽培加工製品等記録撮影完成。『世界天然繊維』に50写真を提供(アメリカにおいて出版された書籍詳細不明)。 この頃知人紹介により平櫛田中作品集撮影まかされる1969年昭和44年NHK岡山放送局総合テレビにて『岡山の窓 吉備津写して』に出演(3/28収録、4/2放送1970年昭和45年写真集『尋牛 平櫛田中作品集』(平櫛田中顕彰刊行, 1970年)を二年間かけ撮影し完成1972年昭和47年) 『岡山市文化財 第1集岡山市遺跡調査団写真提供 1975年昭和50年写真集特別史跡 閑谷学校』(文:谷口澄夫神野力,序文長野士郎 福武書店刊行岡山県立博物館特別展民具」に作品提供図録表紙およびい草花筵制作過程等、中村昭夫も写真提供)、『岡山市文化財 第2集岡山市遺跡調査団写真提供、ベンガラの町・吹屋記録長男の泰雄が引き継ぎ山陽新聞サンブックス『備中吹屋1993として完成1977年昭和52年) JOKK-TV(岡山総合テレビ放送、現NHK岡山放送局番組西日本ぶらりみてある記 格子家並み秋の風』(収録9/22、放送9/24)の案内人務める。 1980年昭和55年岡山県立博物館開館10周年記念特別展吉備の国宝・重要文化財」に作品提供図録表紙および刀剣等)、『山陽カラーシリーズ7 仏画』『山陽カラーシリーズ12 閑谷学校』(山陽新聞社刊行 1981年昭和56年) 『山陽カラーシリーズ24 津山城下町』(山陽新聞社刊行岡山城編纂委員会編『岡山城岡山開府四百年記念』(岡山市1983年口絵終戦後岡山城址写真を提供 1982年昭和57年矢木勅治著『旭川ダム 湖底村の記録』(非売品口絵写真記録を提供(旭川ダム関連書籍の出版は旧・旭町美咲町)および岡山県によって企画されたが、さまざまな事情によって現在も未刊)。松原とともに犬島訪問。在本桂子犬島再発見の会)と犬島群島記録と歴史探究開始遺作大山道、旧出雲街道探究編集済み、あと三カット完成段階のまま、現在に至る)。詳細不明 1987年昭和62年) 「フォトグループ道」の展覧会準備のなか、6月5日没(享年80死後1988年教え子らの松原智、長男山崎泰雄らの「フォトグループ道」が天満屋岡山市)にて写真展犬島今昔物語開催(ただし山崎作品未発表1993年、泰雄が引き継いだベンガラの町・吹屋記録山陽新聞サンブックス『備中吹屋』として出版され1997年岡山県吉備北陵高校創立50周年記念誌『行くに』に昭和2030年代写真記録4点使われた(山崎泰雄提供)。また岡山県吉備北陵高校創立49周年記念30数年前吉川当番祭・加茂大祭に見る郷土文化カレンダー』では、カレンダー全面写真使用された(カレンダー5年刊行された、山崎泰雄提供)。 2000年から2005年にかけ合併目前としていた旧・旭町美咲町)の広報誌広報あさひ』に旭川ダム関連記録一部連載された(山崎泰雄提供) 2005年人見文男のグループ写真家集団北斗星」が山崎治雄の「西大寺軽便鉄道」「藤田村」「京橋」等、膨大な資料一部デジタルアーカイブ化し開館直後岡山市デジタルミュージアムデータ寄贈山崎泰雄提供) 2006年、在本桂子犬島再発見の会)が「犬島物語68 写真家山崎治雄先生」を『岡山日日新聞2006年4月12日号に寄稿 1966年以後行方不明となり、2008年竹久夢二生家再発見された写真2009年、[西大寺軽便鉄道100周年記念展(両備グループ主催)にて再発表された(山崎泰雄提供)

※この「戦後の経歴・活動」の解説は、「山崎治雄」の解説の一部です。
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