急行旅客用とは? わかりやすく解説

急行旅客用

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 18:48 UTC 版)

南満洲鉄道の車両」の記事における「急行旅客用」の解説

パシイ形 2C1形飽和テンダー機関車 1908年 アメリカンロコモーティブ社リッチモンド工場称号変遷 第2期:G形 800 - 806 第3期:パシイ形 800 - 806 国線譲渡 (1933) : パシコ形 5900 - 5905 第4期:パシイ形 1, 501 - 506 諸元製造時) 動輪直径:1,753mm シリンダ直径×行程) : 508mm×660mm 缶圧:14.0kg/cm2 火格子面積 : 5.11m2 機関車重量(運整) : 89.50t 動輪上重量(同) : 54.10t 諸元過熱化動輪直径 : 1,750mm シリンダ直径×行程) : 508mm×660mm 缶圧:14.1kg/cm2 火格子面積 : 4.61m2 機関車重量(運整) : 89.91t 動輪上重量(同) : 57.70t 概要 標準軌への改軌後の満鉄機関車として、最初に発注されグループ属する。プルマンカーのみで編成され大連駅 - 長春駅間の国際連絡急行列車1908年運転開始、週2回運転)を牽引した急行列車は週3回一時週4回)の運転に増発されるが、1914年第一次世界大戦の影響で週1回運転となってからは、安奉線混合列車使用されたこともある。1920年 - 1926年の間には過熱式に改造されている。急客機の増備進んでからは、本線普通列車牽引使用されていた。満洲事変直後に4両が他の鉄道貸出され、1933年度には4両が新線建設用として、2両が営業用としてそれぞれ満洲国鉄線に譲渡された。1935年の「あじあ」の哈爾浜延長運転に際しては、パシナ形軸重では新京以北乗り入れできないため、新京駅 - 哈爾浜駅間で当機が使用されと言われている。 第二次世界大戦後の動向 錦州鉄道局管内 (6) と、他鉄道貸出(1) のもの7両が存在し中華民国引渡された。中華人民共和国成立後は「PX11」形、のちに「勝利SL11」形となった。 パシニ形 2C1形過熱テンダー機関車 1916年1921年 南満洲鉄道沙河口工場称号変遷 第2期 : G1形 850 - 855 第3期 : パシニ形 850 - 855 第4期 : パシニ形 1 - 6 諸元 動輪直径 : 1,750mm シリンダ直径×行程) : 533mm×660mm 缶圧 : 14.1kg/cm2 火格子面積 : 4.66m2 機関車重量(運整) : 92.46t 動輪上重量(同) : 60.01t 概要 H4形(のちのソリシ形)の製造経験ベース満鉄製造された。パシイ形に過熱器装備しシリンダ直径を25mm増大しているが、仕様形態的には同形式を踏襲している。最初の3両が製造され1916年は、第一次世界大戦の影響急行列車の運転が減少しており(1918年には急行列車休止)、本形式製造理由不明である。1921年製造分は、同年6月急行列車の運転が再開されことによる増備考えられる急行列車から普通、混合貨物列車までに使用され昭和6年度には、本線普通列車安奉線急行および普通、混合列車使用されていた。 第二次世界大戦後の動向 全機牡丹江鉄道局管内(6)存在し中華民国引渡された。 パシサ形(初代) 2C1形過熱テンダー機関車 1919年 ボールドウィン機関車工場称号変遷 第2期 : G2900 - 905 第3期 : パシサ形 900 - 905 改称(1933) : パシハ形 5920 - 5925 国線譲渡(1934) : パシナ形 5920 - 5925 第4期 : パシシ形 501 - 506 諸元 動輪直径 : 1,750mm シリンダ直径×行程) : 533mm×660mm 缶圧 : 14.1kg/cm2 火格子面積 : 4.09m2 機関車重量(運整) : 90.63t 動輪上重量(同) : 59.33t 概要 第一次世界大戦後急行列車復活大連駅 - 長春駅間 : 1921年6月釜山駅 - 奉天駅間 : 1923年7月)に備えて輸入された。当初本線急行および普通列車牽引使用されていたが、一部安奉線移って、鮮満間の国際急行列車普通列車用いられた。パシシ形に置き換えられる形で満洲国鉄線へ貸し出され1933年には形式名を後述のパシサ形(2代目)譲ってパシハ形(初代)となり、1934年には全機満洲国鉄線へ譲渡されパシナ形となった1938年車両称号改正ではパシシ形に編入されている。 第二次世界大戦終了後動向 第二次世界大戦終了後動向はパシシ形の項目を参照 パシシ形 2C1形過熱テンダー機関車 1921年 - 1927年 南満洲鉄道沙河口工場称号変遷 第2期 : G3形 920 - 942 第3期 : パシシ形 920 - 942 第4期 : パシシ形 1 - 23 諸元 動輪直径 : 1,750mm シリンダ直径×行程) : 533mm×660mm 缶圧 : 14.1kg/cm2 火格子面積 : 4.67m2 機関車重量(運整) : 95.80t 動輪上重量(同) : 59.33t 概要 第一次世界大戦後急行列車復活大連駅 - 長春駅間 : 1921年6月)に備えて製造された。仕様はパシニ形を基本に、米国から輸入されたパシサ形に装備されていた新し装置ならったもの。長距離転に備えて大型炭水車を持つ。木製客車時代満鉄代表する看板機関車であった昭和初期には急行列車速度上の要求と、鋼製客車化による牽引定数増加により、主要な急行仕業はパシコ形に置き換えられ以降普通列車充当された。 第二次世界大戦後の動向 旧パシサ形(初代)、旧パシシ形を合わせて大連埠頭管内 (7)奉天 (11)哈爾浜 (6)斉斉哈爾 (5) の各鉄道局管内29両が存在し中華民国引渡された。 パシコ形 2C1形過熱テンダー機関車 1927年 - 1928年 南満洲鉄道沙河口工場称号変遷 第3期 : パシコ形 950 - 960 第4期 : パシコ形 1 - 11 諸元 動輪直径 : 1,850mm シリンダ直径×行程) : 584mm×710mm 缶圧 : 14.1kg/cm2 火格子面積 : 4.82m2 機関車重量(運整) : 102.34t 動輪上重量(同) : 63.93t 概要 急行列車速度上の要求と、鋼製客車化による牽引定数増加とから、パシシ形の置き換え用として製造された。出力増大のためシリンダ容量火格子面積増大され、燃焼室満鉄機関車で、自動給炭機旅客用機関車で、それぞれ最初に装備した大連駅 - 長春駅間の急行列車(のちの「はと」)を牽引し同列車の所要時間は、1929年以前12時30分から1933年には10時30分まで断続的に短縮された。1934年には「あじあ号」運転のため、大連駅 - 奉天駅間で高速度試験使用された。パシナ形出現するまでは満鉄旅客用機関車代表格であった第二次世界大戦後の動向 大連埠頭管内大石橋機関区 (5)奉天鉄道局管内奉天機関区 (6)11両が存在し中華民国引渡された。中華人民共和国成立後は「PX5」形、のちに「勝利 (SL) 5」形として281 - 300までの番号与えられたと考えられる瀋陽中心に旅客列車使用され1980年前後には蘇家屯機関区入換え使用されているものなど、281 - 283, 292, 296の5両が目撃されている。現在は292瀋陽蒸気機関車博物館保存されている。 パシサ形(2代目) 2C1形過熱テンダー機関車 1934年 - 1936年 汽車製造日立製作所製 称号変遷 第3期 : パシサ形 860 - 875 国線用 : パシシ形 5830 - 5859 第4期 : パシサ形 1 - 16, 501 - 530 諸元(パシサ) 動輪直径 : 1,750mm シリンダ直径×行程) : 530mm×660mm 缶圧 : 14.0kg/cm2 火格子面積 : 4.07m2 機関車重量(運整) : 89.40t 動輪上重量(同) : 55.60t 諸元国小パシ動輪直径 : 1,750mm シリンダ直径×行程) : 530mm×660mm 缶圧 : 14.0kg/cm2 火格子面積 : 4.07m2 機関車重量(運整) : 91.10t 動輪上重量(同) : 57.70t 諸元新国パシ動輪直径 : 1,750mm シリンダ直径×行程) : 530mm×660mm 缶圧 : 14.0kg/cm2 火格子面積 : 4.57m2 機関車重量(運整) : 91.00t 動輪上重量(同) : 56.00t 概要 朝鮮総督府鉄道局から経営受託1933年10月)した満鉄北鮮線で使用するために製造された。満洲国鉄線の軽旅客列車機関車であるパシシ形「国小パシ」と同一設計燃焼室装備朝鮮北部産出する低カロリー褐炭使用することが計算されていたが、火格子面積伝熱面積の比は満鉄線パシシ形と同水準である。満洲国鉄線パシシ形のうち、最初に製造され10両は、北満鉄路買収後使用目的としていたと考えられ1935年新京駅 - 哈爾浜駅間が広軌から標準軌改軌後、線路状態が整備されていない当時に、同区間で「あじあ号」を牽引したり、同年満洲国皇帝がはじめて哈爾浜行幸する際のお召列車牽引機充てられたこともあった。その後満洲国鉄線用の5840以降では火格子面積が0.5m2大きくなり、「新国パシ」とも呼ばれた1938年車両称号改正で、満洲国鉄線パシシ形はパシサ形に統一された。また、1939年 - 1940年には華北交通パシサ形として、「新国パシ」に相当する30両(1521 - 1550)が汽車製造製造された。 第二次世界大戦後の動向 満鉄所属機は、羅津鉄道局管内 (11) と、朝鮮総督府鉄道局貸出(5) のもの16両が、満洲国鉄所属機は、奉天 (1)吉林 (5)牡丹江 (7)斉斉哈爾 (11) の各鉄道局管内と、他鉄道貸出(6) のもの30両がに存在し中華民国引渡された。中華人民共和国成立後華北交通などの分も合わせて「PX3」形、のちに「勝利 (SL) 3」形として1 - 188 (270?) の番号与えられたと考えられる1980年前後114 - 264までのうち、12両が瀋陽北京鄭州広州など中国各地目撃されている。現在は152北京中国鉄道博物館保存されている。 パシロ形 2C1形過熱テンダー機関車 1933年(敦図パシ)、1934年満鉄パシロ) - 1944年 日立製作所川崎車輛南満洲鉄道大連工場汽車製造日本車両称号変遷 第3期 : パシロ形 900 - 919 国線用 : パシ800 - 818 国線改番1933年) : パシク形 5950 - 5999, 15900 - 15927 第4期 : パシロ形 1 - 45, 501 - 632 2C1形過熱テンダー機関車シリンダ径×行程 : 570mm×660mm、動輪径 : 1,750mm、蒸気圧力 : 14.0kg/cm2、火格子面積4.82m2。 諸元社線動輪直径 : 1,750mm シリンダ直径×行程) : 570mm×660mm 缶圧 : 14.0kg/cm2 火格子面積 : 4.82m2 機関車重量(運整) : 102.03t 動輪上重量(同) : 61.75t 諸元(国線) 動輪直径 : 1,750mm シリンダ直径×行程) : 570mm×660mm 缶圧 : 14.0kg/cm2 火格子面積 : 4.82m2 機関車重量(運整) : 100.67t 動輪上重量(同) : 62.21t 概要 1933年にパシイ形、パシサ形が満洲国鉄線へ転属した結果普通列車用機関車不足したため、代替機として製造された。その後増備により、1938年からは安奉線急行列車用としても使用された。パシロ形は満洲国鉄敦図線用に製造されパシ形「敦図パシ」または「国大パシ」を改良したもので、パシシ形とパシコ形の中間的存在燃焼室と、満鉄新製機関車としてはじめての給水加熱器備える。炭水車容量満鉄機関車最大であったまた、転車台小さ満洲国鉄線用に当機の炭水車短くし、給水加熱器省略したパシク形「新国パシ」が125製造された(うち、12両は1938年華北交通譲渡)。パシロ形、パシク形は軌道強化後の新京駅 - 哈爾浜駅間での「あじあ」牽引や、鮮満支直通急行の「興亜」「大陸」、その他の急行列車普通列車使用された。1938年車両称号改正で、満洲国鉄線パシク形はパシロ形に統一された。また、1941年には華中鉄道KC100形として「新国パシ」に相当する8両 (1001 - 1008) が、同年以降華北交通パシロ形として同じく57両 (1533 - 1589) がいずれも川崎車輛製造された。 第二次世界大戦後の動向 満鉄所属機満洲国鉄所属機合わせて奉天 (21) 、錦州 (20)吉林 (19)牡丹江 (27) 、斉斉哈爾 (48) の各鉄道局管内と、朝鮮総督府鉄道局など他鉄道貸出中 (25) のもの、その他貸出(1) のもの177両が存在し中華民国引渡された。中華人民共和国成立後は、華中鉄道華北交通などの分を合わせた272両が「PX6」形、のちに「勝利 (SL) 6」形301 - 572となったまた、1956年 - 1958年には青島四方工場151両(601 - 750, 771飛び番はSL7形(旧パシナ形751 - の番号避けたため)が製造されている。旅客列車機関車主力として中国全土使用され最後まで残った3両(四方工場製)は吉林1991年まで現役にあった。現在は四方工場製の601北京中国鉄道博物館保存されている。 パシナ形 パシナ形最終増備車パシナ形 2C1形過熱テンダー機関車 1934年 - 1936年 南満洲鉄道沙河口工場川崎車輛称号変遷 第3期 : パシナ形 970 - 981 第4期 : パシナ形 1 - 12 諸元 動輪直径 : 2,000mm シリンダ直径×行程) : 610mm×710mm 缶圧 : 15.5kg/cm2 火格子面積 : 6.25m2 機関車重量(運整) : 119.20t 動輪上重量(同) : 71.83t 概要 詳細は「南満洲鉄道パシナ型蒸気機関車」を参照 「あじあ」牽引用に長距離停車高速運転(最高速度120km/h)を目的として製造された。当時流行流線形採用されたが、蒸気機関車への採用世界的に早い時期であったまた、1936年最終増備車 (981) 1両のみであるが、川西航空機での風洞実験結果により、流線形被い形状が「ヘルメット形」と通称されている形態変更された。満鉄機関車としては初めシュミットE形過熱器採用し燃焼室給水加熱器自動給炭機などを備える。また、炭水車車軸軸受にはティムケン社のローラーベアリング採用した連京線で「あじあ」を牽引したが、両数揃ってからは「はと」にも用いられた。1940年には満洲国訪問した日本秩父宮お召列車牽引機となった1943年2月に「あじあ」の運転が休止されてからは普通急行列車使用された。 第二次世界大戦後の動向 全機大連埠頭管内 (12)存在し中華民国引き渡された。一部終戦時混乱乗じてソ連軍持ち去ったという話もある。中華人民共和国成立後は、「PX7」形、のちに「勝利 (SL) 7」形として751 - 770までの番号与えられたと考えられる引き続き瀋大線(旧連京線周辺使用され模様で、1980年代には瀋陽751, 753 - 755の4両が目撃されている。7511984年に一旦走行可能な状態に復元された後、757とともに保存され2019年5月からは瀋陽鉄路陳列館(中国語版)で一般公開された。 パシハ形(2代目) 2C1形過熱テンダー機関車 1937年 - 1940年 日立製作所南満洲鉄道大連工場称号変遷 第3期 : パシハ形 811 - 816 第4期 : パシハ形 1 - 16, 501 諸元 動輪直径 : 1,850mm シリンダ直径×行程) : 600mm×710mm 缶圧 : 14.5kg/cm2 火格子面積 : 5.36m2 機関車重量(運整) : 114.91t 動輪上重量(同) : 68.57t 概要 パシコ形を凌駕する機関車として高速旅客列車用に製造された。半流線形外被を持つ。保守の手間を低減し機関車運用効率向上させるため、機関車炭水車の各軸受SKF社のローラーベアリング装備したまた、燃焼室シュミットE形加熱器給水加熱器自動給炭機などを備える。ローラーベアリングはダブサ形で採用したものの、取扱い経験不足であり、当初予期せぬ故障発生したが、その後日車平均キロ走行キロ当たり修繕費ともに、従来パシ比較して大きな向上を達成した連京線で「はと」などの急行列車牽引使用され安奉線複線化後は新京駅 - 安東駅間の長距離運転をした時期もあった。また、1943年5月3日より1週間新京駅 - 安東駅間にて満洲国皇帝用のお召し列車牽引しており、満洲国鉄線用の1両は宮廷列車用として準備されたものとも考えられる第二次世界大戦後の動向 満鉄所属機満洲国鉄所属機合わせて大連埠頭管内 (16)奉天鉄道局管内 (1)17両が存在し中華民国引渡された。中華人民共和国成立後は、「PX8」形、のちに「勝利 (SL) 8」形801 - 817となった毛沢東専用列車牽引する写真公開されたこともある。1980年前後には804 - 806, 811, 815の5両が北京鄭州周辺目撃されている。現在は815が瀋陽蒸気機関車博物館保存されている。

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