急行旅客用
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パシイ形 2C1形飽和式テンダー機関車 1908年 アメリカンロコモーティブ社リッチモンド工場製 称号変遷 第2期:G形 800 - 806 第3期:パシイ形 800 - 806 国線譲渡 (1933) : パシコ形 5900 - 5905 第4期:パシイ形 1, 501 - 506 諸元(製造時) 動輪直径:1,753mm シリンダ(直径×行程) : 508mm×660mm 缶圧:14.0kg/cm2 火格子面積 : 5.11m2 機関車重量(運整) : 89.50t 動輪上重量(同) : 54.10t 諸元(過熱化) 動輪直径 : 1,750mm シリンダ(直径×行程) : 508mm×660mm 缶圧:14.1kg/cm2 火格子面積 : 4.61m2 機関車重量(運整) : 89.91t 動輪上重量(同) : 57.70t 概要 標準軌への改軌後の満鉄用機関車として、最初に発注されたグループに属する。プルマンカーのみで編成された大連駅 - 長春駅間の国際連絡急行列車(1908年運転開始、週2回運転)を牽引した。急行列車は週3回(一時週4回)の運転に増発されるが、1914年に第一次世界大戦の影響で週1回運転となってからは、安奉線で混合列車に使用されたこともある。1920年 - 1926年の間には過熱式に改造されている。急客機の増備が進んでからは、本線で普通列車の牽引に使用されていた。満洲事変直後に4両が他の鉄道に貸出され、1933年度には4両が新線建設用として、2両が営業用としてそれぞれ満洲国鉄線に譲渡された。1935年の「あじあ」の哈爾浜延長運転に際しては、パシナ形の軸重では新京以北へ乗り入れできないため、新京駅 - 哈爾浜駅間で当機が使用されたと言われている。 第二次世界大戦後の動向 錦州鉄道局管内 (6) と、他鉄道に貸出中 (1) のもの7両が存在し、中華民国に引渡された。中華人民共和国成立後は「PX11」形、のちに「勝利(SL)11」形となった。 パシニ形 2C1形過熱式テンダー機関車 1916年、1921年 南満洲鉄道沙河口工場製 称号変遷 第2期 : G1形 850 - 855 第3期 : パシニ形 850 - 855 第4期 : パシニ形 1 - 6 諸元 動輪直径 : 1,750mm シリンダ(直径×行程) : 533mm×660mm 缶圧 : 14.1kg/cm2 火格子面積 : 4.66m2 機関車重量(運整) : 92.46t 動輪上重量(同) : 60.01t 概要 H4形(のちのソリシ形)の製造経験をベースに満鉄で製造された。パシイ形に過熱器を装備し、シリンダ直径を25mm増大しているが、仕様、形態的には同形式を踏襲している。最初の3両が製造された1916年は、第一次世界大戦の影響で急行列車の運転が減少しており(1918年には急行列車休止)、本形式の製造理由は不明である。1921年の製造分は、同年6月に急行列車の運転が再開されたことによる増備と考えられる。急行列車から普通、混合、貨物列車までに使用され、昭和6年度には、本線の普通列車や安奉線の急行および普通、混合列車で使用されていた。 第二次世界大戦後の動向 全機が牡丹江鉄道局管内(6)に存在し、中華民国に引渡された。 パシサ形(初代) 2C1形過熱式テンダー機関車 1919年 ボールドウィン機関車工場製 称号変遷 第2期 : G2形 900 - 905 第3期 : パシサ形 900 - 905 改称(1933) : パシハ形 5920 - 5925 国線譲渡(1934) : パシナ形 5920 - 5925 第4期 : パシシ形 501 - 506 諸元 動輪直径 : 1,750mm シリンダ(直径×行程) : 533mm×660mm 缶圧 : 14.1kg/cm2 火格子面積 : 4.09m2 機関車重量(運整) : 90.63t 動輪上重量(同) : 59.33t 概要 第一次世界大戦後の急行列車復活(大連駅 - 長春駅間 : 1921年6月、釜山駅 - 奉天駅間 : 1923年7月)に備えて輸入された。当初は本線で急行および普通列車の牽引に使用されていたが、一部は安奉線に移って、鮮満間の国際急行列車や普通列車に用いられた。パシシ形に置き換えられる形で満洲国鉄線へ貸し出され、1933年には形式名を後述のパシサ形(2代目)に譲ってパシハ形(初代)となり、1934年には全機が満洲国鉄線へ譲渡されてパシナ形となった。1938年の車両称号改正ではパシシ形に編入されている。 第二次世界大戦終了後の動向 第二次世界大戦終了後の動向はパシシ形の項目を参照 パシシ形 2C1形過熱式テンダー機関車 1921年 - 1927年 南満洲鉄道沙河口工場製 称号変遷 第2期 : G3形 920 - 942 第3期 : パシシ形 920 - 942 第4期 : パシシ形 1 - 23 諸元 動輪直径 : 1,750mm シリンダ(直径×行程) : 533mm×660mm 缶圧 : 14.1kg/cm2 火格子面積 : 4.67m2 機関車重量(運整) : 95.80t 動輪上重量(同) : 59.33t 概要 第一次世界大戦後の急行列車復活(大連駅 - 長春駅間 : 1921年6月)に備えて製造された。仕様はパシニ形を基本に、米国から輸入されたパシサ形に装備されていた新しい装置にならったもの。長距離運転に備えて大型の炭水車を持つ。木製客車時代は満鉄を代表する看板機関車であった。昭和初期には急行列車の速度向上の要求と、鋼製客車化による牽引定数増加により、主要な急行仕業はパシコ形に置き換えられ、以降は普通列車に充当された。 第二次世界大戦後の動向 旧パシサ形(初代)、旧パシシ形を合わせて、大連埠頭局管内 (7) 、奉天 (11) 、哈爾浜 (6) 、斉斉哈爾 (5) の各鉄道局管内に29両が存在し、中華民国に引渡された。 パシコ形 2C1形過熱式テンダー機関車 1927年 - 1928年 南満洲鉄道沙河口工場製 称号変遷 第3期 : パシコ形 950 - 960 第4期 : パシコ形 1 - 11 諸元 動輪直径 : 1,850mm シリンダ(直径×行程) : 584mm×710mm 缶圧 : 14.1kg/cm2 火格子面積 : 4.82m2 機関車重量(運整) : 102.34t 動輪上重量(同) : 63.93t 概要 急行列車の速度向上の要求と、鋼製客車化による牽引定数の増加とから、パシシ形の置き換え用として製造された。出力増大のためシリンダ容量、火格子面積が増大され、燃焼室は満鉄の機関車で、自動給炭機は旅客用機関車で、それぞれ最初に装備した。大連駅 - 長春駅間の急行列車(のちの「はと」)を牽引し、同列車の所要時間は、1929年以前の12時間30分から1933年には10時間30分まで断続的に短縮された。1934年には「あじあ号」運転のため、大連駅 - 奉天駅間で高速度試験に使用された。パシナ形が出現するまでは満鉄旅客用機関車の代表格であった。 第二次世界大戦後の動向 大連埠頭局管内大石橋機関区 (5) 、奉天鉄道局管内奉天機関区 (6) に11両が存在し、中華民国に引渡された。中華人民共和国成立後は「PX5」形、のちに「勝利 (SL) 5」形として281 - 300までの番号が与えられたと考えられる。瀋陽を中心に旅客列車に使用され、1980年前後には蘇家屯機関区で入換えに使用されているものなど、281 - 283, 292, 296の5両が目撃されている。現在は292が瀋陽蒸気機関車博物館に保存されている。 パシサ形(2代目) 2C1形過熱式テンダー機関車 1934年 - 1936年 汽車製造、日立製作所製 称号変遷 第3期 : パシサ形 860 - 875 国線用 : パシシ形 5830 - 5859 第4期 : パシサ形 1 - 16, 501 - 530 諸元(パシサ) 動輪直径 : 1,750mm シリンダ(直径×行程) : 530mm×660mm 缶圧 : 14.0kg/cm2 火格子面積 : 4.07m2 機関車重量(運整) : 89.40t 動輪上重量(同) : 55.60t 諸元(国小パシ) 動輪直径 : 1,750mm シリンダ(直径×行程) : 530mm×660mm 缶圧 : 14.0kg/cm2 火格子面積 : 4.07m2 機関車重量(運整) : 91.10t 動輪上重量(同) : 57.70t 諸元(新国小パシ) 動輪直径 : 1,750mm シリンダ(直径×行程) : 530mm×660mm 缶圧 : 14.0kg/cm2 火格子面積 : 4.57m2 機関車重量(運整) : 91.00t 動輪上重量(同) : 56.00t 概要 朝鮮総督府鉄道局から経営を受託(1933年10月)した満鉄北鮮線で使用するために製造された。満洲国鉄線の軽旅客列車用機関車であるパシシ形「国小パシ」と同一の設計、燃焼室装備。朝鮮北部で産出する低カロリーの褐炭を使用することが計算されていたが、火格子面積と伝熱面積の比は満鉄線パシシ形と同水準である。満洲国鉄線パシシ形のうち、最初に製造された10両は、北満鉄路を買収後の使用を目的としていたと考えられ、1935年に新京駅 - 哈爾浜駅間が広軌から標準軌に改軌後、線路状態が整備されていない当時に、同区間で「あじあ号」を牽引したり、同年に満洲国皇帝がはじめて哈爾浜に行幸する際のお召列車牽引機に充てられたこともあった。その後、満洲国鉄線用の5840以降では火格子面積が0.5m2大きくなり、「新国小パシ」とも呼ばれた。1938年の車両称号改正で、満洲国鉄線パシシ形はパシサ形に統一された。また、1939年 - 1940年には華北交通パシサ形として、「新国小パシ」に相当する30両(1521 - 1550)が汽車製造で製造された。 第二次世界大戦後の動向 満鉄線所属機は、羅津鉄道局管内 (11) と、朝鮮総督府鉄道局に貸出中 (5) のもの16両が、満洲国鉄線所属機は、奉天 (1) 、吉林 (5) 、牡丹江 (7) 、斉斉哈爾 (11) の各鉄道局管内と、他鉄道に貸出中 (6) のもの30両がに存在し、中華民国に引渡された。中華人民共和国成立後は華北交通などの分も合わせて「PX3」形、のちに「勝利 (SL) 3」形として1 - 188 (270?) の番号が与えられたと考えられる。1980年前後に114 - 264までのうち、12両が瀋陽、北京、鄭州、広州など中国各地で目撃されている。現在は152が北京の中国鉄道博物館に保存されている。 パシロ形 2C1形過熱式テンダー機関車 1933年(敦図パシ)、1934年(満鉄パシロ) - 1944年 日立製作所、川崎車輛、南満洲鉄道大連工場、汽車製造、日本車両製 称号変遷 第3期 : パシロ形 900 - 919 国線用 : パシ形 800 - 818 国線改番(1933年) : パシク形 5950 - 5999, 15900 - 15927 第4期 : パシロ形 1 - 45, 501 - 632 2C1形過熱テンダー機関車、シリンダ径×行程 : 570mm×660mm、動輪径 : 1,750mm、蒸気圧力 : 14.0kg/cm2、火格子面積4.82m2。 諸元(社線) 動輪直径 : 1,750mm シリンダ(直径×行程) : 570mm×660mm 缶圧 : 14.0kg/cm2 火格子面積 : 4.82m2 機関車重量(運整) : 102.03t 動輪上重量(同) : 61.75t 諸元(国線) 動輪直径 : 1,750mm シリンダ(直径×行程) : 570mm×660mm 缶圧 : 14.0kg/cm2 火格子面積 : 4.82m2 機関車重量(運整) : 100.67t 動輪上重量(同) : 62.21t 概要 1933年にパシイ形、パシサ形が満洲国鉄線へ転属した結果、普通列車用機関車が不足したため、代替機として製造された。その後の増備により、1938年からは安奉線で急行列車用としても使用された。パシロ形は満洲国鉄敦図線用に製造されたパシ形「敦図パシ」または「国大パシ」を改良したもので、パシシ形とパシコ形の中間的存在。燃焼室と、満鉄の新製機関車としてはじめての給水加熱器を備える。炭水車の容量は満鉄の機関車で最大であった。また、転車台の小さい満洲国鉄線用に当機の炭水車を短くし、給水加熱器を省略したパシク形「新国大パシ」が125両製造された(うち、12両は1938年に華北交通に譲渡)。パシロ形、パシク形は軌道強化後の新京駅 - 哈爾浜駅間での「あじあ」牽引や、鮮満支直通急行の「興亜」「大陸」、その他の急行列車や普通列車に使用された。1938年の車両称号改正で、満洲国鉄線パシク形はパシロ形に統一された。また、1941年には華中鉄道KC100形として「新国大パシ」に相当する8両 (1001 - 1008) が、同年以降に華北交通パシロ形として同じく57両 (1533 - 1589) がいずれも川崎車輛で製造された。 第二次世界大戦後の動向 満鉄線所属機、満洲国鉄線所属機を合わせて、奉天 (21) 、錦州 (20) 、吉林 (19) 、牡丹江 (27) 、斉斉哈爾 (48) の各鉄道局管内と、朝鮮総督府鉄道局など他鉄道に貸出中 (25) のもの、その他貸出中 (1) のもの177両が存在し、中華民国に引渡された。中華人民共和国成立後は、華中鉄道、華北交通などの分を合わせた272両が「PX6」形、のちに「勝利 (SL) 6」形301 - 572となった。また、1956年 - 1958年には青島の四方工場で151両(601 - 750, 771、飛び番はSL7形(旧パシナ形)751 - の番号を避けたため)が製造されている。旅客列車用機関車の主力として中国全土で使用され、最後まで残った3両(四方工場製)は吉林で1991年まで現役にあった。現在は四方工場製の601が北京の中国鉄道博物館に保存されている。 パシナ形 パシナ形(最終増備車) パシナ形 2C1形過熱テンダー機関車 1934年 - 1936年 南満洲鉄道沙河口工場、川崎車輛製 称号変遷 第3期 : パシナ形 970 - 981 第4期 : パシナ形 1 - 12 諸元 動輪直径 : 2,000mm シリンダ(直径×行程) : 610mm×710mm 缶圧 : 15.5kg/cm2 火格子面積 : 6.25m2 機関車重量(運整) : 119.20t 動輪上重量(同) : 71.83t 概要 詳細は「南満洲鉄道パシナ型蒸気機関車」を参照 「あじあ」牽引用に長距離無停車、高速運転(最高速度120km/h)を目的として製造された。当時流行の流線形が採用されたが、蒸気機関車への採用は世界的にも早い時期であった。また、1936年の最終増備車 (981) 1両のみであるが、川西航空機での風洞実験結果により、流線形被いの形状が「ヘルメット形」と通称されている形態に変更された。満鉄の機関車としては初めてシュミットE形過熱器を採用し、燃焼室、給水加熱器、自動給炭機などを備える。また、炭水車車軸の軸受にはティムケン社のローラーベアリングを採用した。連京線で「あじあ」を牽引したが、両数が揃ってからは「はと」にも用いられた。1940年には満洲国を訪問した日本の秩父宮のお召列車牽引機となった。1943年2月に「あじあ」の運転が休止されてからは普通急行列車に使用された。 第二次世界大戦後の動向 全機が大連埠頭局管内 (12) に存在し、中華民国に引き渡された。一部は終戦時の混乱に乗じてソ連軍が持ち去ったという話もある。中華人民共和国成立後は、「PX7」形、のちに「勝利 (SL) 7」形として751 - 770までの番号が与えられたと考えられる。引き続き瀋大線(旧連京線)周辺で使用された模様で、1980年代には瀋陽で751, 753 - 755の4両が目撃されている。751は1984年に一旦走行可能な状態に復元された後、757とともに保存され、2019年5月からは瀋陽鉄路陳列館(中国語版)で一般公開された。 パシハ形(2代目) 2C1形過熱テンダー機関車 1937年 - 1940年 日立製作所、南満洲鉄道大連工場製 称号変遷 第3期 : パシハ形 811 - 816 第4期 : パシハ形 1 - 16, 501 諸元 動輪直径 : 1,850mm シリンダ(直径×行程) : 600mm×710mm 缶圧 : 14.5kg/cm2 火格子面積 : 5.36m2 機関車重量(運整) : 114.91t 動輪上重量(同) : 68.57t 概要 パシコ形を凌駕する機関車として高速旅客列車用に製造された。半流線形の外被を持つ。保守の手間を低減し、機関車運用効率を向上させるため、機関車、炭水車の各軸受にSKF社のローラーベアリングを装備した。また、燃焼室、シュミットE形加熱器、給水加熱器、自動給炭機などを備える。ローラーベアリングはダブサ形で採用したものの、取扱い経験不足であり、当初は予期せぬ故障が発生したが、その後は日車平均キロ、走行キロ当たり修繕費ともに、従来のパシと比較して大きな向上を達成した。連京線で「はと」などの急行列車の牽引に使用され、安奉線の複線化後は新京駅 - 安東駅間の長距離運転をした時期もあった。また、1943年5月3日より1週間、新京駅 - 安東駅間にて満洲国皇帝用のお召し列車を牽引しており、満洲国鉄線用の1両は宮廷列車用として準備されたものとも考えられる。 第二次世界大戦後の動向 満鉄線所属機、満洲国鉄線所属機を合わせて、大連埠頭局管内 (16) 、奉天鉄道局管内 (1) に17両が存在し、中華民国に引渡された。中華人民共和国成立後は、「PX8」形、のちに「勝利 (SL) 8」形801 - 817となった。毛沢東専用列車を牽引する写真が公開されたこともある。1980年前後には804 - 806, 811, 815の5両が北京や鄭州周辺で目撃されている。現在は815が瀋陽蒸気機関車博物館に保存されている。
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