山城 宏

プロフィール
棋戦主要履歴
- 昭和52年(1977年)
- 第18期王冠戦で岩田達明九段を破り優勝。初タイトル
- 昭和53年(1978年)
- 大手合第1部2等
- 昭和56年(1981年)
- 第22期王冠戦で岩田達明九段を破り優勝。
- 昭和57年(1982年)
- 第23期王冠戦で羽根泰正九段を破り優勝。
- 昭和59年(1984年)
-
第32期王座戦挑戦者
第25期王冠戦で羽根泰正九段を破り優勝。 - 昭和60年(1985年)
- 第26期王冠戦で岩田達明九段を破り優勝。
- 昭和61年(1986年)
-
第41期本因坊戦挑戦者
第27期王冠戦で羽根泰正九段を破り優勝。 - 昭和62年(1987年)
-
第42期本因坊戦挑戦者
第28期王冠戦で土田正光九段を破り優勝。王冠戦4連覇 - 平成4年(1992年)
-
第16期棋聖戦挑戦者
第18期天元戦挑戦者 - 平成5年(1993年)
-
第48期本因坊戦挑戦者
第34期王冠戦で羽根泰正九段を破り優勝。 - 平成6年(1994年)
- 第35期王冠戦で小県真樹九段を破り優勝。
- 平成7年(1995年)
- 第36期王冠戦で羽根泰正九段を破り優勝。
- 平成8年(1996年)
- 第37期王冠戦で彦坂直人九段を破り優勝。2度目の王冠戦4連覇
- 平成12年(2000年)
- 第41期王冠戦で羽根直樹王冠を破りタイトル奪取
- 平成13年(2001年)
- 第42期王冠戦で松岡秀樹八段を破りタイトル防衛
- 平成17年(2005年)
- 第46期王冠戦で羽根直樹王冠を破りタイトル奪取
- 平成20年(2008年)
- 第49期王冠戦挑戦者
- 平成21年(2009年)
- 第50期王冠戦挑戦者
- 平成22年(2010年)
-
第35期棋聖戦リーグ入り
第51期王冠戦で羽根直樹王冠を破りタイトル奪取
☆通算15期目の王冠位獲得
受賞歴
著書一覧
山城宏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/03 00:30 UTC 版)
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山城宏(やましろ ひろし、1958年8月12日 - )は、日本の囲碁棋士。山口県下松市出身、日本棋院中部総本部所属、島村俊廣九段門下、九段。王冠戦優勝15回、棋聖戦挑戦、本因坊戦挑戦3回など。若手の頃から「中京の豆ダイヤ」と言われ(羽根泰正の「中京のダイヤモンド」に次ぐあだ名)、地に辛く中盤以降の追い込みが強い棋風で「浸透流」とも呼ばれる。2012年より日本棋院副理事長を務める。
経歴
幼稚園で碁を覚え、小学校一年の1965年に、親元を離れて名古屋の島村俊廣九段に入門、島村導弘五段と俊廣九段のところで内弟子世活を送り、1971年に日本棋院院生となる。1972年入段。中部総本部に所属する。
1977年、五段で岩田達明を破り王冠戦優勝。1978年に名人戦で初のリーグ入り。1979年に新人王戦決勝に進出するが、石田章に1-2で敗れる。この頃から、同世代の片岡聡、王立誠、小林覚らとともに「若手四天王」と呼ばれる。
1984年に王座戦で加藤正夫に挑戦するが0-3で敗退。1985年九段。1986、87年に本因坊戦で武宮正樹に連続挑戦するが、1-4、0-4で敗退。元々地に辛い棋風だったが、この敗戦以後は大模様などの厚い碁も打つようになり、芸風を広げたと言われた。1987年の日中スーパー囲碁では5人抜きを達成するも、馬暁春に敗れる。
1992年棋聖戦で小林光一に挑戦。初戦から2連勝し5局目までで3-2でとしたが、第6局は敗戦。第7局終盤小ヨセの時点まで有利に運びながら半目負けとし、敗退する。この時の、星に小ゲイマガガリして三間にヒラいた石に打ち込んで出来た形はその後流行し、棋聖戦定石と呼ばれた。
1993年に本因坊戦3度目の挑戦者になるが、趙治勲に1-4で敗れる。この時の趙の感想で「僕の碁はギリギリでできている積み木のようなもの。山城さんの鉄筋コンクリート建てのような碁とは違う」という比較がある。
2008年、史上10人目となる公式戦通算1000勝を達成(492敗7持碁)[1]。
2010年、第35期棋聖戦リーグ入り。Bリーグにおいて4勝1敗で井山裕太と同率となるも、序列上位の井山がリーグ優勝者となった。第51期王冠戦で羽根直樹王冠を破り、通算15期目の王冠位を獲得。
通算6回七大タイトルに挑戦しながら獲得に至っておらず、山城の無冠は「囲碁界七不思議の一つ」(日本経済新聞2004年5月23日朝刊)とまで言われている。
2006年から2012年までは中部総本部の棋士会長を務めた[2]。2012年6月、日本棋院副理事長に就任[2]。また2013年5月には、囲碁のナショナルチーム「GO・碁・ジャパン」の監督に就任した[3]。
2016年8月、日本棋院東京本院に移籍[4]。
2017年6月、史上8人目となる通算1200勝を達成(616敗7持碁)。58歳10か月、入段から45年2か月、勝率.661での到達[5]。
2018年8月、日本棋院中部総本部に移籍[6]。東京本院に移籍してから2年後に出戻りする形となった。
タイトル歴
- 王冠戦 1977、1981-1982、1984-1987、1993-1996、2000-2001、2005、2010年(通算15期、最多優勝記録)
その他の棋歴
国内棋戦
- 留園杯争奪早碁トーナメント戦 準優勝 1978年
- 新人王戦 準優勝 1979年
- 王座戦 挑戦者 1984年
- 本因坊戦 挑戦者 1986、1987、1993年
- 棋聖戦 挑戦者 1992年
- 五段戦優勝 1977年、六段戦優勝 1981年
- 天元戦 挑戦者 1992年
- 名人戦リーグ5期、本因坊戦リーグ9期、棋聖戦リーグ(Sリーグ)7期
国際棋戦
- 世界囲碁選手権富士通杯 ベスト8 1990年
- 東洋証券杯世界選手権戦 ベスト4 1995年
- 日中囲碁決戦
- 1984年 1-2 銭宇平
- 1988年 1-2 馬暁春
- 日中スーパー囲碁
- 真露杯SBS世界囲碁最強戦
受賞歴
- 棋道賞 1973年新人賞、1978年殊勲賞、1981年最多勝(38-10)・勝率1位(.792)・連勝賞(12連勝)、1983年連勝賞(11連勝)、1984年敢闘賞、1986年技能賞、2011年勝率1位(28-7、.800)
- 土川賞 1985、87、2011年
著作
- 『詰碁ジョイブックス 9 中級編』日本棋院 1982年
- 『強くなる詰め碁100 実戦力をアップする』日本文芸社 1986年
- 『消しと利かし (烏鷺うろブックス) 』日本棋院 1989年
- 『棋聖決定七番勝負 激闘譜〈第16期〉棋聖 小林光一‐挑戦者 山城宏』読売新聞社 1992年
- 『山城宏の置碁戦術 序盤50手必勝法』日本放送出版協会 1996年
- 『山城宏 打碁鑑賞シリーズ(10)』日本棋院 2005年
脚注
- ^ “山城宏九段が通算1000勝達成[史上10人目|棋戦情報|公益財団法人日本棋院]”. archive.nihonkiin.or.jp. 2019年1月20日閲覧。
- ^ a b “山城 宏”. 囲碁の日本棋院. 2019年1月20日閲覧。
- ^ “囲碁ナショナルチーム メンバー(2014)”. 囲碁の日本棋院. 2019年1月20日閲覧。
- ^ “【移籍】山城 宏九段 東京本院に移籍”. 棋士情報. 2019年1月20日閲覧。
- ^ 山城九段が通算1200勝達成
- ^ “【移籍】山城 宏九段 中部総本部に移籍”. 棋士情報. 2019年1月20日閲覧。
- ^ “中部地区でこどもの指導を大切にしている碁会所”. 囲碁の日本棋院. 2019年1月20日閲覧。
外部リンク
「山城 宏」の例文・使い方・用例・文例
- 私は、安土桃山城が好き。
- 日本史において,大和・山城・摂津・河内という,畿内の四つの国
- 山城などで,縄で釣り支えた塀
- 山城という近畿地方にあった地域
- (昔の行政区分で)山城の国
- 山城の国という,昔の行政区域
- 通りの両側には宏壮な建物が並んでいる.
- 我皇祖皇宗国を肇{はじ}むる事宏遠に
- 宏荘なる建築
- 度量宏濶清濁を併せ呑む
- 度量宏濶清濁併せ呑む
- 西洋人は宏壮な邸宅に住んでいる
- 無所属の候補者,中田宏氏(37)が,3月31日に行われた横浜市長選挙で,市長に選出された。
- 巨人の二(に)岡(おか)智(とも)宏(ひろ)内野手が最高殊勲選手(MVP)に選ばれた。
- スキー・ジャンプの船木和(かず)喜(よし)選手や原田雅(まさ)彦(ひこ)選手,フリースタイルスキー・モーグルの里(さと)谷(や)多(た)英(え)選手,スピードスケートの清水宏(ひろ)保(やす)選手や岡崎朋(とも)美(み)選手らが皆メダルを勝ち取るために戦う。
- 日本のトップスピードスケート選手,清水宏(ひろ)保(やす)選手は,男子500メートルで2位に終わり,この種目の5連覇を逃した。
- 中(なか)田(だ)宏(ひろし)横浜市長は計画に賛成し,「現在の銀行が社会的責任を果たしていないのは,誰(だれ)の目にも明らかだ。新銀行が成功するといい。」と語った。
- 五(ご)味(み)宏(ひろ)基(き)写真報道記者は特赦を与えられ,6月19日に帰国した。
- 野村忠(ただ)宏(ひろ)選手が,9月11日から大阪で開かれている世界柔道選手権大会に参加している。
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