最優秀選手 (日本プロ野球)
(最高殊勲選手 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/04 06:42 UTC 版)
最優秀選手(さいゆうしゅうせんしゅ)とは、その年の日本プロ野球において最も活躍した選手に与えられる表彰の一つ。
注釈
- ^ 連記制以降は全ての1位票の獲得。
- ^ 大谷はメジャーリーグ移籍後の2021年と2023年に、MLBのMVPを満票で受賞している。
- ^ 小西得郎や鈴木龍二の回顧録をはじめとして、1950年のMVPが日本シリーズ前(もしくはシリーズ中)に発表されたという記述が見られるが、事実ではない。
- ^ 同書P133 - 134。この年は山本と藤村富美男・千葉茂の三人の中から選ばれるだろうというのが「世間一般の見方だった」という。シーズン中より候補は前記の3人に絞られており、従来記録を大幅に更新する20本塁打を記録した大下弘は含まれていなかった。
- ^ 1954年10月6日の読売新聞記事に「優勝チームから選ぶという不文律もあり」と記されている。
- ^ 条項の設定時期は不明確であるが、1955年9月27日の読売新聞には「原則として優勝チームから選ばれる」との記述がある。
- ^ 下掲の歴代受賞者、桃色セルに、2004年松中信彦と2005年杉内俊哉を加える。
- ^ 下掲の歴代受賞者、桃色セルに、1973年野村克也・1975年加藤秀司・1979年C.マニエルを加える。
- ^ 「優勝球団でない受賞」例である1980年木田勇・1982年落合博満の所属球団は、いずれもプレーオフ非出場であった。
- ^ a b c 当時のパ・リーグは前期・後期制をとっていたため、年間勝率では1位ではなかったがプレーオフに勝利し、優勝。
- ^ a b 当時のパ・リーグはレギュラーシーズンとプレーオフを合わせて優勝を決めていたため、レギュラーシーズン1位ながら優勝を逃した。
出典
- ^ “ヤクルト・村上宗隆 世界の王、イチローも超える“連続MVP”への期待”. デイリースポーツ (2022年7月25日). 2022年9月30日閲覧。
- ^ “沢村栄治の初代MVBPの表彰状”. 公益財団法人野球殿堂博物館. 2019年6月23日閲覧。
- ^ “長嶋茂雄&王貞治が2度 直近13年24勝の田中将大/日本での満票MVP”. 日刊スポーツ (2021年11月20日). 2021年11月23日閲覧。
- ^ “ヤクルト村上宗隆が史上7人目の満票MVP パはオリックス山本由伸…ともに2年連続受賞”. スポーツ報知 (2022年11月25日). 2022年11月25日閲覧。
- ^ “2016年度 表彰選手 投票結果(最優秀選手)”. 日本野球機構. 2021年11月23日閲覧。
- ^ “2002年度 表彰選手 投票結果(最優秀選手)”. 日本野球機構. 2021年11月23日閲覧。
- ^ “MVPの投票結果内訳は…丸は1位票82%の圧勝、山川は浅村との“接戦”制す”. Full-Count (2018年11月27日). 2021年4月29日閲覧。
[続きの解説]
「最優秀選手 (日本プロ野球)」の続きの解説一覧
- 1 最優秀選手 (日本プロ野球)とは
- 2 最優秀選手 (日本プロ野球)の概要
- 3 概説
- 4 歴代受賞者
- 5 最優秀選手に関する主な記録
- 6 月間MVP
- 7 脚注
「最高殊勲選手」の例文・使い方・用例・文例
- 巨人の二(に)岡(おか)智(とも)宏(ひろ)内野手が最高殊勲選手(MVP)に選ばれた。
- 今年,松井選手は自己最高の50本塁打を打ち,107打点を挙げて,3度目の最高殊勲選手賞を受賞した。
- ドラゴンズの中村紀(のり)洋(ひろ)内野手がこのシリーズの最高殊勲選手に選ばれた。
- 服部投手が大会の最高殊勲選手に選ばれた。
- 試合後,彼は今季の同リーグの最高殊勲選手に選ばれた。
- 彼は大会の最高殊勲選手に選ばれた。
- ホークスの小(こ)久(く)保(ぼ)裕(ひろ)紀(き)内野手が同シリーズの最高殊勲選手(MVP)に選ばれた。
- ホークスの内(うち)川(かわ)聖(せい)一(いち)外野手が日本シリーズの最高殊勲選手に選ばれた。
- 日本シリーズ中,ホークスの強打者であるイ・デホ選手が8打点を挙げ,最高殊勲選手に選ばれた。
- レアード選手はシリーズ中に計3本のホームランを打ち,シリーズの最高殊勲選手に選ばれた。
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