富山鉄道時代とは? わかりやすく解説

富山鉄道時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 05:38 UTC 版)

富山地方鉄道笹津線」の記事における「富山鉄道時代」の解説

1912年大正元年10月22日佐藤組佐藤助九郎、旭勇平、見田勇吉は富山軽便鉄道合資会社名義を以て富山笹津間における軽便鉄道敷設免許出願した明治以来三井鉱山経営下の神岡鉱山、鉛、亜鉛等の重要鉱産品を多く産出し殊に日清・日露戦争による軍需拡大以来はその生産量飛躍的な増大遂げつつあったが、その輸送量急増対処するため飛騨街道改修とともに馬車鉄道敷設計画されていた。その鏑矢1892年明治25年8月の越飛馬鉄道東岩瀬 - 笹津間)であり、これに続いて1896年明治29年5月には富山馬車鉄道東岩瀬 - 笹津間の鉄道敷設免許取得したが、株式募集不調1897年明治30年11月名山鉄道計画東岩瀬 - 飛騨 - 富山間)の浮上もあり、いずれも計画実現をみることなく解散していた。この名山鉄道計画政府鉄道敷設法に「岐阜県岐阜若ハ長野県下松本ヨリ岐阜県下高山ヲ経テ富山県下富山県ニ至ル鉄道」を計画していたことや工事困難等の理由により立ち消えとなった。そこで富山軽便鉄道はまず平坦鉄道敷設工事比較容易な富山 - 笹津間に軽便鉄道敷設し馬車等に頼っていた鉱石輸送の不便の解消飛越間における交通の便を開くことを目的としてこの出願至ったのである軽便鉄道としての出願には国と県の政策背景にあった従来繁雑な私設鉄道法純然たる地方交通路線建設には支障来していたことに鑑みて1910年明治43年8月3日より施行され軽便鉄道法と、その建設促進主眼として1912年明治45年1月1日より施行され軽便鉄道補助法全国的に軽便鉄道建設機運高めていた。これに加えて富山県は独自の政策として1912年大正元年11月1日軽便鉄道軌道補助規定制定し政府補助対象とならない路線への補助を行う姿勢打ち出した。こうして富山県においては富山軽便鉄道のほか、1913年大正2年6月25日立山軽便鉄道線、同年9月1日富山電気軌道線1915年大正4年7月21日砺波軽便鉄道線が開業したであった鉄道院1913年大正2年3月6日富山軽便鉄道富山停車場 - 上新川郡大沢野村間の鉄道敷設免許下附した。この時代には1910年明治43年)に鉄道院が行った測量結果をもととして、飛越間における官設鉄道予定線はのちの高山本線がとった越中八尾経由ではなく笹津経由が有望視されており、富山軽便鉄道敷設免許下附に際しても「本線路ハ敷設法ノ予定線該当スルヲ以テ予定線敷設スル場合ニ於ケル場合ニ於ケル相当条件ヲ附シ可然ト認ム」との条件付きであった1913年大正2年12月5日富山軽便鉄道合資会社方式改め株式会社として設立され社長に佐藤助九郎選出された。株式は2割9分7厘が三井鉱山佐藤組関係者が2割1分6厘、残余の5割程度沿線地域有力者占めた同年12月15日合資会社名義鉄道敷設免許富山軽便鉄道譲渡する申請行い同年12月26日許可得て正式に事業開始した1914年大正3年3月9日には工事施工認可得たので、同年3月20日より着工した当初計画においては富山駅 - 稲荷町間は神通川旧流への架橋節減のため北陸本線共用する予定であったが、信号所建設等に多大費用要し且つ列車運行生ずることが見込まれたため、工費2万5千円を以て新線建設することとした。同年7月18日土地収用法による土地収用認定公告され、同年9月からはレール敷設工事着手した工事は全く順調に進捗していたが、富山軽便鉄道東京高田商会経由ドイツヘンシェル社に発注していた機関車輸送中に第一次世界大戦の勃発によって商船マニラ港にて抑留されたため、鉄道院より国鉄110形蒸気機関車借用して工事列車転にあてた。東京天野工場にて製造され客車6輌、貨車30輌は無事に届いたが、機関車は全く到着する見込みたたないので、鉄道院よりもう1輌を借りて開業に臨むこととなった1914年大正3年11月14日には富山 - 笹津間において試運転が行われ、同年12月6日より正式に開業した停車場として稲荷町駅堀川新駅熊野駅大久保町駅大沢野駅および笹津駅開業し停留場として山室駅および蜷川駅設けられた。当初混合列車富山駅 - 笹津駅間を1日5往復しており、開業第1期運輸成績旅客1日平均490人、貨物1日平均585トン収入政府補助金の7341円を合わせて10461円、支出は9664円であり、797円の利益得た富山軽便鉄道線の開業平行して三井鉱山神岡鉱山専用軌道建設しており、1909年明治42年5月にはまず杉山 - 土間開通し続いて1915年大正4年4月笹津駅まで開通加えて1920年大正9年)に鹿間まで延伸され、富山神岡鉄路によって連絡し得るようになった。こうして笹津駅神岡鉱山鉱産輸送拠点として殷賑極め駅前には運送店や旅館等が進出して大い賑わいをみせた。沿線穀倉地帯において産出される米穀鉄道によって全国へと搬出され、東岩瀬仲買人依存していた肥料についても1920年大正9年設立北陸米肥のように地元業者主体となって取引行い得るようになった。こうして開業5年目大正7年度の成績旅客貨物共に既に当初計画突破した従来神通川によって運搬されていた飛騨木材大久保用水経由大沢野駅附近運ばれ、そこから鉄道によって輸送されるようになり、大沢野駅南側には飛州木材貯木場1920年大正9年)に設置されている。 1915年大正4年4月富山軽便鉄道本社富山市総曲輪203番地から富山市桜町へと移転した。この場所には後に富山地鉄ビル建設されている。同年10月24日には社名富山鉄道改めた好調な成績背景として社名変更同時に臨時総会にて笹津付近に遊園地建設することを計画し1916年大正5年1月28日附帯事業経営許可を受け、同年4月18日夏季のみ営業する八木山駅開設し富山鉄道建設した神通閣」や笹津春日公園への観光客誘致行った大正後期に入ると神通川水域における電源開発活発化し、富山鉄道における工事資材輸送増大した。こうして富山鉄道1927年昭和2年)度に旅客389555人、貨物137870トン益金10万5601円の成績収めて頂点極め貨車増補されて70輌を所有する至った。 しかし1927年昭和2年9月1日越中八尾まで開通し1929年昭和4年10月1日笹津駅まで延伸された飛越線は、富山鉄道線の経営一気悪化させた。これは神岡からの貨物富山以遠運賃通算可能な国鉄転換されたために起った現象であり、1930年昭和5年)度の富山鉄道における貨物数量前年約半分利益は3割程度にまで落ち込んだまた、乗合自動車発展による旅客運輸競争活発化していた。こうした背景により富山鉄道1928年昭和3年12月政府国有買収申請行い1929年昭和4年6月7月には2度渡って政府損失補償請願行った政府1929年昭和4年12月に5ヶ年限って損失補償を行うことを認めたが、富山鉄道経営陣はたった5年損失補償では到底経営継続し得ない判断し1931年昭和6年12月26日株主総会において鉄道事業廃止決定、翌1932年昭和7年1月11日廃止許可申請提出した1930年昭和5年11月27日飛越線笹津駅 - 猪谷駅開業によって神岡鉱山専用軌道が、1931年昭和6年9月16日東猪谷 - 猪谷間の路線完成させて直接猪谷駅乗り入れ同年10月28日東猪谷 - 笹津間の軌道廃止され富山鉄道が完全に神岡鉱山貨物輸送使命終えたことがこの判断背景にあり、1931年昭和6年)度の利益1928年昭和3年)度の1割8分、1932年昭和7年)度に至っては9分9厘にまで落ち込んでいた。 沿線住民廃止反対運動行ったが、鉄道省としては堀川新駅 - 笹津駅間の路線廃止やむなしという判断であった。しかし富山県営鉄道堀川新駅南富山駅)において連絡していることに鑑み富山駅 - 堀川新駅間は存続すべきであるとされ、当初富山県路線譲渡検討が行われたが、結局新会社設立の上、この区間運行当る計画承認された。1932年昭和7年12月12日沿線市町村長招いて開催され懇親会において廃止後は鉄道省自動車路線開業させることが発表される廃止はほとんど諒承され、翌1933年昭和8年4月17日堀川新駅 - 笹津駅間は廃止同年4月20日残存区間である富山駅 - 堀川新駅間を富南鉄道譲渡し富山鉄道解散した富山鉄道に対しては「富山鉄道株式会社所属鉄道中堀川笹津廃止ニ対スル補償為公発行ニ関スル法律」(昭和8年法律36号)によって廃止補償が行われた。堀川新駅 - 笹津駅間の線路用地富山電鉄自動車買収しており、戦後富山地方鉄道笹津線建設される際に用いられた。 富山駅 - 堀川新駅間の営業引継いだ富南鉄道は、1933年昭和8年4月12日発足した5.0粁の短い区間ではあったが、沿線不二越鋼材工業日満亜麻紡織等の工場があったため成績好調であった1937年昭和12年4月16日富南鉄道社長に株式大半所有していた富山電気鉄道社長佐伯宗義就任して同社経営傘下入り1941年昭和16年12月1日富山電気鉄道買収され富南鉄道解散した

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