地下鉄と東海道新幹線の開通とは? わかりやすく解説

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地下鉄と東海道新幹線の開通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 21:03 UTC 版)

東京駅の歴史」の記事における「地下鉄と東海道新幹線の開通」の解説

山手線京浜東北線分離運転が開始されたのと同じ1956年昭和31年11月19日東海道本線全線電化完成し特急「つばめ」「はと」はEF58形電気機関車全線通して牽引するようになった。また九州との間を夜行で結ぶ「あさかぜ」も運転を開始したが、当初各種寝台車や座席車の寄せ集めであり、1958年昭和33年)から20系客車による固定編成となっていわゆるブルートレインとなった。さらに1958年昭和33年11月1日から、20系電車(後に151系)による初の電車方式特急「こだま」が運転を開始した。この時期電車急行大増発され夜間10分おきに夜行列車出発するなど、東京駅優等列車発着1日賑わっていた。これに加えて1957年昭和32年10月15日からは準急日光」が日光向けて運行開始し以降東京駅発着する東北本線・高崎線常磐線特急・急行列車増加していった。一方東北常磐高崎線方面からの普通列車東京乗り入れでは順次電車化電気機関車牽引化がすすめられていったことから、1961年昭和36年5月31日常磐線435424列車牽引C62形蒸気機関車最後に東京駅における蒸気機関車定期運行終了した1935年昭和10年時点1日128000であった東京駅乗降客数第二次世界大戦後増加し続けて1955年昭和30年時点1日498000人に達した中央線においても通勤客が激増しており、大規模な線増計画なども検討されていたが短期間での対応は困難であった一方で東京駅では第2 - 第7のプラットホームいずれも12 mであるのに対し第1プラットホームのみ幅9 mで、朝ラッシュ時2分間隔で到着する列車からの降車客が溢れて開扉制限を行わなければならない状況があり、2分間隔の維持支障きたしていた。そこで、2番線3番線の間に留置線が1線あったことを利用して2番線撤去し従来留置線新たな2番線とし、その分4 mホーム広げて13 mにする工事を行うことにした。あらかじめホーム擁壁留置線脇に造っておき、ホーム用プレストレスト・コンクリート板を準備しておいて、1957年昭和32年7月14日夜に一晩拡幅工事施工した。さらに乗車口通じ通路南通路)を拡幅し、これへ降りる階段拡幅した。中央通路についても、5 m幅で残っていた部分拡幅して8 m幅として、丸の内から八重洲まで統一した幅を確保し、かつ第1・2プラットホームにあった2か所の階段撤去して階段残り2か所とした。降車口通じ通路北通路)についてもこの機会階段付け替え拡幅実施した。これらの工事の際に、将来第1プラットホームより丸の内側に追加プラットホーム増設することを考慮した配置としている。これに加えて1953年昭和28年7月1日開通した第1自由通路だけでは処理しきれないくらい通り抜け利用者増えてきたことから第2自由通路着手することになり、もともと郵便地下道として利用されていた通路転用する工事1958年昭和33年1月14日始まった。この通路はもともと八重洲側から第2プラットホームまでしか通じていなかったので、丸の内側まで貫通させる工事実施し総工費2400万円をかけて1959年昭和34年3月10日開通したこうした東京輸送需要救済を図るためにも、第二次世界大戦後地下鉄網の整備進められた。東京駅にかかわるものとしては、帝都高速度交通営団営団地下鉄、後の東京地下鉄東京メトロ))丸ノ内線1956年昭和31年7月20日淡路町駅から当駅まで開通した。さらに1957年昭和32年12月15日には西銀座駅(後の銀座駅)まで延長されている。この丸ノ内線東京駅丸の内駅前広場地下建設されており、地下通路丸の内南口丸の内北口との連絡図られた。また中央線混雑緩和課題となっていたが都心部の線増工事はほとんど不可となっていたため、地下鉄への直通乗り入れが行われることになり、東西線建設中央・総武緩行線から乗り入れ決定された。東西線は、丸ノ内線淡路町 - 東京間の開通同時に開設されていた大手町駅1966年昭和41年10月1日乗り入れた大手町駅東京駅の間は地下通路建設され連絡を果たすようになり、中央線快速電車混雑率緩和秋葉原駅乗換混雑緩和大きな役割果たしたこうした地下鉄建設もあり、東京駅国鉄乗降客数1965年昭和40年)の1日826000人でほぼ頭打ちすることになった高度経済成長背景東海道本線輸送需要増加続け、いよいよ限界達しつつあった。このため戦前弾丸列車計画受け継いで新幹線計画開始されることになり、1959年昭和34年4月20日新丹那トンネル東口において起工式が行われた。一方東京におけるターミナル駅をどこにするかは決定遅れた東京駅における混雑がさらに激化することを懸念する意見もあったが、周辺交通への乗り継ぎの便を考慮し、また八重洲駅舎建設時に第7プラットホームとの間にさらに2面プラットホーム建設余地残してあり乗り入れる余地があったこともあり、東京駅ターミナルとすることが決定された。こうして1960年昭和35年11月12日東京駅構内工事着手された。東京駅乗り入れる東海道本線線路はこの当時横須賀線電車共用していたが、輸送力逼迫背景戦災復興時に入手しておいた線増用地利用し横須賀線用の線路増設を行う工事検討され実際に基礎工事開始されていた。しかし新幹線建設決定したことにより、この用地新幹線用流用することになった新幹線開通すれば東海道本線輸送力余裕が出るので、横須賀線との分離工事先送りできると判断されたためである。有楽町付近においては土地確保できていなかったが、道路またいで高架橋建設することで解決された。建設には東京駅開業以来建設請け負ってきた大林組加えて鹿島建設参加し高架橋工事と幅10.2 m、長さ360 mプラットホーム2面増設する工事行った。またその下部に広い旅客コンコース設置しそれまでここにあった名店街地下移設した。こうして1964年昭和39年10月1日東海道新幹線開通し、第8・9プラットホーム17・1819番線(2面3線)が供用開始となった。 この新幹線ホームは、当初16番線を含む2面4線として計画されていたが、16番線は在来線の機回り線として既に使用されており、開業当初新幹線列車本数では2面3線で十分であったことから、開業後の需要を見ながら必要に応じて増設するということになり、16番線はそのまま在来線用存置されていた。しかし新幹線開業後旅客需要増大は急激であり、1967年昭和42年3月列車増発実現することを目指して、新幹線用16番線を転用する工事1965年昭和40年10月開始された。また1969年昭和44年)から新幹線16編成化が計画されていたため、当初全長360 m建設されていたプラットホーム南側70 m延長する工事行った在来線側建築限界支障されてホーム幅が狭くなっていた南側についての拡幅実施されている。転用に関しては、新幹線レール面は在来線比べてさらに1.9 mほど高かったため、在来線用高架橋の上挿入してレール面をかさ上げする工事行っている。この他16番線に支障されて建設していなかった部分高架橋建設工事が行われている。新幹線用16番線は、1967年昭和42年3月10日供用開始された。 新幹線始発駅として社会的・経済的な重要性増していく中で、東京駅標的としたテロ発生した1967年3月31日みどりの窓口新幹線当日切符売り場近くゴミ箱仕掛けられ爆弾爆発14人が重軽傷を負う事件発生した丸の内警察署特別捜査本部置かれ捜査が行われたが、手掛かり乏しく進展はしなかった。 この頃八重洲側の整備がさらに進展していた。狭い八重洲駅前広場旅客捌くために地下街地下駐車場設け構想となり、1963年昭和38年6月着工した八重洲地下街1965年昭和40年6月1期工事竣工し、さらに1969年昭和44年2月2期工事竣工となった。この地下街地下1階店舗が、地下2階駐車場設置され一部設けられ地下3階機械設備類が収められている。この地下街駐車場は、首都高速八重洲線地下での連絡可能な構造となっている。また当初から八重洲駅舎12階建てを目指し計画されいたものであったが、建築基準法の高さ31 m制限により暫定的に6階建てで竣工していた。1964年昭和39年)に建築基準法改正され高さ制限緩和されたため、当初予定12階建てに増築する工事1967年昭和42年1月着手し1968年昭和43年6月30日竣工した

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