新丹那トンネル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 06:09 UTC 版)
新丹那トンネル(しんたんなトンネル)は、丹那トンネルの約50メートル北側に並行して延びる長さが7,959メートルの東海道新幹線(三島〜熱海間)のトンネルである。 新丹那トンネルのトンネル工事が開始されたのは、1941年(昭和16年)8月にさかのぼる。新丹那トンネルは、もともとは戦前の高速鉄道計画である弾丸列車計画に基づくもので、他に、日本坂トンネル、東山トンネルが同時期に着工されている。しかし、1943年(昭和18年)には第二次世界大戦の戦況悪化にともない中止されてしまった。中止の時点において、熱海口(東口)は647メートル、函南口(西口)は1,433メートルの先進導坑がすでに掘削され、両坑口ともに200 - 300メートル程度の覆工を完成させていた。なお、戦時中の約1年半の期間でスムーズに工事が進行したのは、掘削に数々の新手法を投入したためでもあった。新オーストリア式逆巻方式と呼ばれる導坑の掘り方や、4 - 5台のドリフター型削岩機を装備した自走・自碇する削岩車が活用され、人力に依存して掘削を行なった丹那トンネルの工事よりも安全面において有利だった。 戦後も長らく放置された状態であったが、東海道新幹線のために弾丸列車計画のルートが採用されたため、新丹那トンネルは今度は新幹線用のトンネルとして利用されることになった。新丹那トンネルは、1959年(昭和34年)に工事が再開され1964年(昭和39年)に完成した。丹那トンネルの難工事とは異なり、新丹那トンネルの工事は順調に進んだ。地質構造がよく分かっていたことと、既設の丹那トンネルを水抜き坑代わりに利用できたことを差し引いても、工事再開から4年4か月という工期の短さはトンネル掘削技術の進歩を物語っている。新丹那トンネルの工事は、熱海口は間組、函南口は鹿島建設(鹿島組)が請負った。なお、工事の殉職者は熱海口10名、函南口11名だった。ただし、丹那トンネルの工事とは異なり大きな崩壊事故は1件も発生していない。 ちなみに、東海道新幹線の全体の起工式が行われたのは、新丹那トンネルの熱海側坑口前である。新丹那トンネルこそが全体の工期を律する最重要工区とみなされていたためである。 静岡県田方郡函南町には「新幹線」という地名が存在する。これは戦後の新幹線計画からの地名でなく、戦前の弾丸列車計画時代に新丹那トンネルの工事を行うための従業員宿舎が置かれた場所である。工事終了後、従業員宿舎は撤去されたが、のちに同地に住宅団地が作られ「新幹線」という地区が生まれた。その後の同地区の住居表示実施によって「函南町上沢字新幹線」となっている。現在も同地区には新幹線公民館や「幹線上」、「幹線下」という名称のバス停が存在している。
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