新丸山ダムへの継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 22:48 UTC 版)
詳細は「新丸山ダム」を参照 丸山ダムはダムの治水機能を強化するため、多目的ダムとして日本国内最大級のかさ上げを伴うダム再開発事業・新丸山ダムの建設事業を進めている。 1964年の河川法改定で木曽川は一級河川に指定され、同法第16条に基づき木曽川水系工事実施基本計画が策定された。この計画の目標は100年に1度の洪水に対処できる治水目標の達成であり、治水基準点・犬山における基本高水流量を毎秒1万6000立方メートルと総体計画から上方修正した。しかし計画高水流量は据え置き、差分の毎秒3,500立方メートルは丸山ダムなどの木曽川水系上流ダム群で洪水調節する目標とした。その上流ダム群の一環として計画されたのが丸山ダムのかさ上げで、1976年(昭和51年)4月に建設省によって予備調査を開始、1980年(昭和55年)4月に実施計画調査の段階に入り、丸山ダム再開発事業として調査事務所が開設された。 この間、1983年9月に発生した台風10号により木曽川流域は記録的豪雨が降り注ぎ、木曽川に過去最大の洪水をもたらした。丸山ダムでは計画高水流量毎秒6,600立方メートルを大きく超え、毎秒8,200立方メートルという木曽川では過去最大の洪水流量を記録。洪水調節機能が事実上喪失した丸山ダムは異常洪水時防災操作を余儀なくされた。美濃加茂市や加茂郡坂祝町で木曽川が氾濫し美濃加茂市役所を始め市の中心部が広範囲に浸水、死者・行方不明者5名、家屋被害4,588戸の大きな被害を出した。 水害で大きな被害を受けた美濃加茂市を始め可児市・坂祝町・可児郡兼山町の4市町は1985年(昭和60年)に「丸山ダム再開発事業促進連絡協議会」を結成してダムの早期建設を要望した。建設省は水害から3年後の1986年(昭和61年)4月に丸山ダム再開発事業の本格的な建設事業に着手し、1988年(昭和63年)には丸山ダム再開発事業は新丸山ダムと名称を変更した。 既設丸山ダムと新丸山ダムのダム・貯水池諸元比較堤高堤頂長堤体積総貯水容量有効貯水容量湛水面積丸山ダム98.2 m 260.0 m 497,000 m3 79,520,000 m3 38,390,000 m3 263.0 ha 新丸山ダム118.4 m 340.6 m 1,170,000 m3 131,350,000 m3 90,220,000 m3 368.0 ha 新丸山ダムは上表のようにダムの高さを20.2メートルかさ上げし、総貯水容量を1億3135万立方メートルと大幅に拡大する。治水容量は丸山ダムの総貯水容量に匹敵する7,200万立方メートルとなり、1983年の台風10号に匹敵する洪水に対処する。また丸山ダムの目的には無かった流水の正常な機能の維持が目的に加わり、不特定容量1,500万立方メートルを確保することで1994年(平成6年)の平成6年渇水など渇水が頻発し流量が不安定になる木曽川の流量を一定に維持する。またこの不特定容量は洪水の危険が予測される場合、予め放流して治水容量に転用する予備放流を行い治水機能の強化を図る。水力発電については丸山発電所・新丸山発電所の最大出力をそれぞれ増加させ、両発電所合計で21万500キロワットとなる。特に丸山発電所については認可出力が14万3000キロワットとなり、木曽川水系最大の一般水力発電所となる。 建設に伴い32戸の住民が移転を余儀なくされ補償交渉が長期化したほか、2009年(平成21年)鳩山由紀夫内閣の国土交通大臣前原誠司による「新たな基準に沿った検証の対象とするダム事業を選定する考え方について」という大臣談話で開始されたダム事業再検証に新丸山ダムが対象となり、2010年(平成22年)9月から2013年(平成25年)7月まで再検証のため事業が凍結されるなど事業計画は錯綜した。最終的には「事業継続」となり、2021年(令和3年)に本体工事が起工した。完成年度は2029年(令和11年)度の予定であり、1980年に実施計画調査を開始してから49年という長期事業となった。新丸山ダムの完成により1943年の着工から86年、1956年の完成から73年の歴史を紡いできた丸山ダムは湖底に沈み、多目的ダムとしての役割を終える。
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