地下鉄の乗り入れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 03:54 UTC 版)
第二次世界大戦後は、国鉄の駅にはプラットホームの延長や上屋の設置といった工事が行われた。1954年(昭和29年)1月20日には帝都高速度交通営団(営団)丸ノ内線の御茶ノ水駅が開業し、1969年(昭和44年)12月20日には営団千代田線の新御茶ノ水駅も付近に開業している。丸ノ内線の御茶ノ水駅の建設にあたっては国鉄駅より駿河台側や国鉄駅の直下なども検討され、後者の案に関しては中川浩一によれば展覧会で完成予想パノラマも展示されたとのことだが、最終的には建設費節約の関係や国鉄駅の基礎を解体することが不可能なことから、現在地の神田川左岸が選択された。御茶ノ水駅は神田川に面した急傾斜地に建設された関係で、アプローチ部分が半地下の駅舎のような構造となったが、建設費の節約を追求した当時の鈴木清秀営団総裁の「いたずらに宏壮華美を求めない」との方針の影響を受けてか国鉄の御茶ノ水駅と同じくインターナショナル・スタイルで設計されることになった。設計を担当したのは、国鉄の御茶ノ水駅の設計にも伊藤滋を補佐して関わった土橋長俊の主宰する土橋大野建築事務所であった。風致地区であったため上質な仕上げが心がけられ、ガラスをはめ込んだ出入口や軟石を貼るなどされている。単純な直線と曲線を組み合わせたシンプルで無駄のない造形であり、頂部の半円形の連続窓は土橋のかかわった交通博物館のガラス張りの階段室に通じるとされる。第二次世界大戦中の鉄筋コンクリートなどの資材不足により一度は途絶えた日本の鉄道におけるモダニズム建築はここで再び受け継がれ、以降の国鉄の駅舎の多くがインターナショナル・スタイルで建設されていくことになった。当駅付近の丸ノ内線建設工事の際に、縄文時代の遺物が発見されて学術調査により貝塚と認定され、お茶の水貝塚と命名されている。
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