収納品
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御厨子に納められた品々は天皇の身近に置かれた特別な物であったと考えられる。『国家珍宝帳』には以下の品々が御厨子に納められたと記されている。なお、宝物番号を記したものは現存している。 雑集 「宸翰#聖武天皇宸翰」も参照 聖武天皇が書写したもので、本文は中国南北朝時代から唐時代までの145首の詩文の抄写である。宝物番号は北倉3。『国家珍宝帳』には、白麻紙に軸は紫檀、標紙(表紙)は紫の羅(絡み織)で綺(かんはた)の紐が付いていたと記されるが、現在は紫色の標紙をつけ、その上に白紙を巻いて外題が墨書され、新補の紐がしるされている。紙面は縦27.1㎝から27.7㎝、長さ2142㎝。聖武の自筆で「天平3年(731年)9月8日写了」とある。文字は行書の筆意を強く帯びた楷書が多く、内藤虎次郎は王羲之の書法を学んだとした。抄写された詩文は中国において失われたものが多く、中国文学研究においても重要な資料とされる。 孝経 厳正天皇が書写したもの。麻紙。瑪瑙軸。『孝経』は8世紀前半に重宝されていたとされる。 頭陀寺碑文幷楽毅論杜家立成 「光明皇后#杜家立成雑書要略」も参照 頭陀寺碑文、楽毅論、杜家立成雑書要略の3巻の書で、光明皇后が書写したもの。杜家立成雑書要略のみ現存し宝物番号は北倉3。隋末唐初の書簡例文集で、杜家は文章をつくるのが早く巧であった杜正蔵のことで、立成はすぐに出来るという意味、雑書要略は著述のなかから雑事に関する抄録のこと。白、黄、茜、茶、青などの色麻紙19帳を継いで1巻とし、王羲之に倣った行書体で記される。紙面は縦26.8㎝から27.2㎝、長さ706㎝。巻末と紙背の継ぎ目に「積善藤家」の朱文方印が捺されており、光明皇后が藤原氏出身であることを強く意識していた現れとされる。書き出し15行までは後述する楽毅論に似た書風で同時代に書かれたと思われるが、その後は自由奔放で熟達した書風であることから、のちの書写とする向きが一般的。 楽毅論 「光明皇后#楽毅論」も参照 光明皇后が王羲之の書を臨書したものとされる。宝物番号は北倉3。白麻紙に全文43行で書かれ、瑪瑙軸に巻かれる。巻末に「天平16年10月3日 藤三娘」と署名があるが、署名部分のみ黄麻紙が用いられ本文と書風も異なることから本文と署名の書き手が別人であるという説もあったが、神田喜一郎は臨書と自由に描いた署名が相違することに不自然はないとしている。楽毅論は魏の夏侯玄の作で、戦国時代燕の武将楽毅を賞賛した文章。王羲之による楽毅論は隋の智永が「楽毅論は正書第一なり」とするなど、王羲之の楷書の最高峰とされていたが真筆は伝わっていない。 白葛箱 上記の書物を収納した箱。防虫香の裛衣香2袋と共に収納していた。宝物番号は北倉3。アケビの蔓を芯としてカヤツリグサを編み上げ、エゴノキの薄板を縁としてヤナギの小枝を紐としている。箱全体は素地であるが、カヤツリグサは蘇芳で染め上げて小菱文を編み上げている。 信幣之物 聖武天皇と光明皇后の結納にあたって互いに贈りあった礼物。封をした箱に納められていた。現存しないため実態は不明であるが、互いに交わした和歌のようなものが納められていたと考えられる。天平宝字3年(760年)12月26日に除物の付箋が貼られ持ち出されたが、晩年に光明皇后が手元に取り戻したと考えられる。 書法廿巻 王羲之の書法、合計20巻のこと。裛衣香3袋と共に平脱の箱に入れ、高麗錦の袋に納めた。弘仁11年(820年)に出蔵し返納されず現存しない。『国家珍宝帳』にはそれぞれの巻について「廿五行 黄紙 紫檀軸 紺綾褾 綺帯」などと記されるが、詳細は不明。ただし『喪乱帖』(三の丸尚蔵館)、『孔侍中帖』(前田育徳会)、『妹至帖』(九州国立博物館)は書法巻第7の断簡と考えられる。 金銀作小刀 『国家珍宝帳』には刃長1尺4寸7分と記される。小刀と記されるのはこれのみ。 斑犀偃鼠皮御帯(はんさいえんそひのおんおび) 斑模様のあるサイの角とモグラの皮で作ったベルトの事。現在は飾り(犀角製)と、裏座および留め金(銀製)の残闕が伝わる。宝物番号は北倉4。2002年の調査により漆を塗った獣の皮が確認されたが、モグラのものであるかは確認できなかった。 御刀子 『国家珍宝帳』には6口が記されるが、現存するのは「緑牙撥鏤把、鞘金銀作」と「斑犀把白牙、鞘白組係」の2口。宝物番号は北倉5。前者は緑牙撥鏤把鞘御刀子(りょくげばちるのつかさやのおんとうす)と呼ばれ、把鞘共に象牙製で撥鏤技法が用いられる。後者は斑犀把白牙鞘御刀子(はんさいのつかびゃくげのさやのおんとうす)と呼ばれ、把は犀角製で鞘は象牙製。両者とも鞘は象牙一材をくり抜いて作られているのが特徴。これらの刀子は「緑地碧地錦間縫」の袋にいれられていたと記されるが、袋は現存しない。また、袋に入れた刀子は前述の斑犀偃鼠皮御帯に装着されたものである。 斑貝きつまく御帯 現在は貝製の飾りの残闕が伝わる。宝物番号は北倉6。斑貝はヤコウガイやチョウセンサザエなどで、金銅製の裏金が付く。きつまくは樹幹と樹皮の間にできる菌の柔組織のこと。 十合鞘御刀子(じゅうごうざやのおんとうす) 十合鞘は10口の刀子を収める一つの鞘のこと。宝物番号は北倉7。鞘は動物の皮に漆塗り。10口の刀子と記されるが、実際は刀子は6口、錯(やすり)が2口、やり鉋が1口、鑽(のみ)が1口。斑貝きつまく御帯に装着されていたもの。明治期に補修されている。 三合鞘御刀子(さんごうのさやのおんとうす) 三合鞘は3口の刀子を収める鞘のこと。現存せず。納められていたのは刀子が2口、鉋が1口と記されている。これも斑貝きつまく御帯に装着されていたもの。 赤紫黒紫とう綬御帯 赤紫と黒紫の糸で組んだ組紐の帯。現存せず。 紅地錦御袋 『国家珍宝帳』には麝香を収めていたとあるが、実在せず詳細不明。赤紫黒紫とう綬御帯に装着されていた。 三合鞘御刀子(さんごうざやのおんとうす) 三合鞘は3口の刀子を収める鞘のこと。宝物番号は北倉8。鞘は皮に漆塗りで、3口の刀子は把がそれぞれ、斑犀、紫檀、沈香で作られる。赤紫黒紫とう綬御帯に装着されていた。 小三合水角鞘御刀子(しょうさんごうすいかくざやのおんとうす) 水牛の角製の三合鞘と3口の刀子。宝物番号は北倉9。明治期に補修されている。赤紫黒紫とう綬御帯に装着されていた。 水角鞘御刀子 『国家珍宝帳』には水牛の角製の鞘に、斑犀の角製の把が付いた刀子と記されるが、現存せず。赤紫黒紫とう綬御帯に装着されていた。 犀角鞘御刀子 『国家珍宝帳』にはサイの角製の鞘に、白犀の角製の把が付いた刀子と記されるが、現存せず。赤紫黒紫とう綬御帯に装着されていた。 牙笏(げのしゃく) 象牙製の笏。宝物番号は北倉10。長さ39.0㎝、幅5.5㎝。正倉院北倉に伝わる笏はいずれも上円下方である。 通天牙笏(つうてんのげのしゃく) 象牙製の笏。宝物番号は北倉11。長さ34.9㎝、幅4.8㎝。 大魚骨笏(たいぎょこつのしゃく) マッコウクジラの下顎の骨で作られた笏。宝物番号は北倉12。長さ35.8㎝、幅5.7㎝。『続日本紀』に記される規定には象牙製と木製しかなく、日本のみならず中国にも魚骨製はみられないが、中倉にもセミクジラの骨製の尺が伝わっている。 紅牙撥鏤尺(こうげばちのるしゃく) 撥鏤技法によって作られた物差しで紅色に染めた尺は2枚が伝わる。宝物番号は北倉13。片面を一辺が1寸の区画をつくり、その中に動植物文様があしらわれる。分(寸の10分の1)の目盛りはなく、儀礼用の尺であったとみられる。反対の面には区画をもうけず自由に文様が配置され、側面には規則的に小さい花文様を配する。こうした儀尺は唐では毎年2月に贈答する風習があり、唐で作られたものが遣唐使などにより舶来したものとする説が主流。天平時代の2枚の尺は微妙に長さが異なり、これを根拠に1枚を平安後期から鎌倉時代のものとする説もあるが、目盛りに相当する区画も厳密ではなく、儀礼用の尺であれば厳密に作られるものではなかったとしていずれも天平時代の物とされる。 緑牙撥鏤尺(りょくげばちのるしゃく) 紺色の撥鏤技法が施された尺で2枚が伝わる。宝物番号は北倉14。文様は紅牙撥鏤尺に類似するもので、同じ用途に供されたと思われる。同様に2枚が伝わる。 白牙尺 白地のままの象牙の尺。表面に寸と分の目盛りが刻まれる。 紅牙撥鏤笇子 『国家珍宝帳』には100枚が白柳の箱に納められたと記されるが、現存せず詳細は不明。双六の点数計算などに使う遊戯具の一つか。 犀角杯 『国家珍宝帳』には白1口と黒1口と記される。記録によれば弘仁5年(814年)に出蔵し売却され、現存しない。 双六頭(すごろくとう) 双六に用いるサイコロ。宝物番号は北倉17。『国家珍宝帳』には233隻が納められたと記されるが、現存するのは象牙製で6隻が伝わる。 双六子(すごろくし) 双六に用いる駒。宝物番号は北倉18。水晶、琥珀、ガラス、蛇紋岩などで作られる。『国家珍宝帳』には169枚が納められたと記されるが、現在は85枚が伝わる。革製漆塗りの箱に納められている。 貝玦(ばいけつ) 貝製の飾り具。『国家珍宝帳』には22個あったと記されるが、現存しない。 犀角奩 奩とは化粧用具箱の意味であるが、『国家珍宝帳』には7つの数珠が納められたと記される。除物の付箋があり、信幣之物と共に持ち出されたと考えられる。 金銅作唐刀子 『国家珍宝帳』には玉石製の把で漆鞘水角と記されるが、現存せず。 唐刀子 『国家珍宝帳』には鋼製の刃で、金銅製の葡萄唐草文様の透かしと玉で飾られた鞘と記されるが、現存せず。 十合合歓刀子漆鞘 現存しないが、前述の十合鞘御刀子の重複ではないかという意味の付箋が貼られている。 三合合歓刀子漆鞘 現存しないが、こちらにも前述の三合鞘御刀子の重複ではないかという意味の付箋が貼られている。 百索縷軸(ひゃくさくるのじく) 木製で紡錘形の糸巻き。宝物番号は北倉19。中国漢代から行われる端午の節句のまじないに用いるもので、5色の糸を腕に懸け邪気を払ったとされる。 玉尺八(ぎょくのしゃくはち) 大理石製の尺八。長さ34.4㎝。宝物番号は北倉20。表面に装飾はない。なお、正倉院北倉に伝わる尺八はいずれも3節の竹を模して作成され、リードはつけず、指孔は全面に5つ、背面に1つである。また、明土真也は管長や音律を精査したうえで、これらの尺八は7世紀初頭以降に百済で作られたものと推測している。 尺八(しゃくはち) 真竹製の尺八。長さ38.2㎝。宝物番号は北倉21。表面に装飾はない。 樺纏尺八(かばまきのしゃくはち) 真竹製の尺八。長さ38.5㎝。宝物番号は北倉22。表面に樺の皮が巻き付けられているが、現在は半数ほどが剥落している。 刻彫尺八(こくちょうのしゃくはち) 真竹製の尺八。長さ38.5㎝。宝物番号は北倉23。長さは唐小尺にあたる。管を彫りこんで婦人像や花鳥を表し、婦人の1人は四弦曲頸琵琶を奏でている。
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