赤漆文欟木御厨子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/31 05:02 UTC 版)
赤漆文欟木御厨子(せきしつぶんかんぼくのおんずし)は正倉院北倉に収蔵されていた宝物。天武天皇から6代の天皇に受け継がれてきた由緒を持つ厨子で、聖武天皇の七七忌にあたって孝謙天皇が盧舎那仏に献納した。宝物番号は北倉2[1]。本記事では、赤漆文欟木御厨子(以下、本記事では御厨子と略す)および御厨子に納められた品々などについて記述する。
注釈
- ^ 平城京時代の史料で、『興福寺流記』に所収される『山科流記』に引用される[4]。
- ^ また、御厨子は孝謙天皇によって献納されたとことが記されているが、代々継承されてきた御厨子を東大寺に献納した目的について「天武天皇の皇統は孝謙天皇をもって断絶することが自明であったため」とする説がある[6]。
- ^ 現存する聖武天皇の宸筆は静岡県平田寺のもの(国宝)と本書のみ[17]。
- ^ ここでの楽毅論は付箋に朱書で記されており、次で説明する楽毅論を後年に誤って重複して記したものとする説がある[17]。
- ^ 撥ね彫りのこと。象牙の表面を紅、緑、紫などに染めてから文様を彫り、白地との対比で文様を表す彫刻技法。唐代に流行した[23]。本刀子は緑に染めたように書かれるが、実際の染色は紺色に近い。この点について米田は「古代人が識別した緑色は現代人にとって青を指しているのだろう」としている[22]。
- ^ 「きつ」は革へんに吉。「まく」は革へんに莫
- ^ 「とう」は糸へんに舀
- ^ 上部が半円形、下部が方形の意味[26]。
- ^ 北倉16に犀角杯2口が現存するが、『国家珍宝帳』記載と色が異なるため、別の杯と考えられる[28]。
出典
- ^ a b c 森下和貴子 2020, p. 37.
- ^ a b 森下和貴子 2020, p. 43.
- ^ a b c 米田雄介 2018, p. 115-118.
- ^ a b c d e f g h 森下和貴子 2020, p. 37-40.
- ^ a b c d e 西川明彦 2019, p. 402-406.
- ^ a b c d e 米田雄介 2018, p. 111-115.
- ^ 黒川真頼 1910, p. 265.
- ^ 喜田貞吉 1931, p. 265-279.
- ^ 東野治之 1998, p. 294-295.
- ^ a b c 森下和貴子 2020, p. 41-43.
- ^ 木内半古 1929, p. 117-120.
- ^ 松島順正、木村法光 1977, p. 38-39.
- ^ 西川明彦 2019, p. 388-391.
- ^ 西川明彦 2019, p. 407-412.
- ^ a b c d e f g h 森下和貴子 2020, p. 40-41.
- ^ a b c 石井健 2020, p. 44-47.
- ^ a b c d e f g h i 米田雄介 2018, p. 118-128.
- ^ 角田勝久 2020, p. 51.
- ^ a b 角田勝久 2020, p. 53-54.
- ^ a b 角田勝久 2020, p. 51-53.
- ^ a b 米田雄介 2018, p. 128-131.
- ^ a b c d 米田雄介 2018, p. 132-138.
- ^ a b c 金志虎 2020, p. 64-68.
- ^ a b c 米田雄介 2018, p. 138-141.
- ^ a b c d e f 米田雄介 2018, p. 141-145.
- ^ a b c d 金志虎 2020, p. 68-69.
- ^ 米田雄介 2018, p. 155-158.
- ^ a b c d e 米田雄介 2018, p. 159-163.
- ^ a b 井上豪 2020, p. 110-112.
- ^ a b c 米田雄介 2018, p. 163-166.
- ^ a b c d 米田雄介 2018, p. 145-152.
- ^ a b c d 中安真理 2020, p. 92-93.
- ^ 明土真也 2013, p. 11-13.
- 1 赤漆文欟木御厨子とは
- 2 赤漆文欟木御厨子の概要
- 3 収納品
- 4 脚注
- 5 外部リンク
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