杜正蔵とは? わかりやすく解説

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杜正蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/06 13:26 UTC 版)

杜 正蔵(と せいぞう、生年不詳 - 613年)は、文人官僚は為善[1]本貫京兆郡[2]

経歴

杜裕(字は慶延)の子として生まれた。学問を好み、文章を作るのを得意とした。開皇16年(596年)、秀才に挙げられた。ときに蘇威が選挙の監督にあたり、試験は賈誼『過秦論』・『尚書』湯誓・匠人箴・連理樹賦・几賦・弓銘が問われたが、問われるやいなや書き始め、その答案には修正の跡がなかった。ときに射策甲科及第として合奏されたが、曹司が難色を示して別奏したため、乙科及第に抑えられた。正蔵はひとたび訴えて取り下げたため、蘇威は怒って、丙科及第に改めた。正蔵は顕州行参軍に任じられ、下邑県正に転じた。大業年間、劉炫とともに学業に広く通じているとして、詔に応じて推挙された。ときに正蔵の弟の杜正儀が進士となり、杜正倫が秀才となり、兄弟3人がともに文章によって一時に宮中を訪れたため、これを栄誉とした。大業9年(613年)、正蔵は煬帝高句麗遠征に従い、夫余道行軍長史をつとめた。帰還途中に涿郡で死去した。著書に『文軌』20巻があり、かれの碑・誄・銘・頌・詩・賦100篇あまりを収めた。当時に流行して高句麗百済にも伝わり、『杜家新書』とも称された[3][4]

脚注

  1. ^ 北史 1974, p. 962.
  2. ^ 北史 1974, p. 960.
  3. ^ 隋書 1973, p. 1748.
  4. ^ 北史 1974, pp. 962–963.

伝記資料

  • 隋書』巻76 列伝第41
  • 北史』巻26 列伝第14

参考文献




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