ロシア連邦大統領としてとは? わかりやすく解説

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ロシア連邦大統領として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:16 UTC 版)

ボリス・エリツィン」の記事における「ロシア連邦大統領として」の解説

ロシア共和国大統領任期5年)、ロシア共和国閣僚会議議長だったエリツィンソ連崩壊後引き続きロシア連邦大統領閣僚会議議長となった1992年1月2日首相兼任したエリツィン貿易価格通貨自由化命じた同時にマクロ経済安定化経済政策採用し厳格な緊縮財政行った財政均衡実現するため、エリツィン金融引き締め産業への補助金福祉支出などを大幅に削減した。しかし、この急激な市場経済への移行市民貯蓄資産打撃与えソ連時代生活水準破壊された。同年6月首相代行指名したエゴール・ガイダルアナトリー・チュバイス経済政策イニシアティヴ取らせ国際通貨基金 (IMF) 等の国際機関助言に従って「ショック療法」呼ばれる急進的な経済改革で完全な資本主義導入図った市場経済化への一環として行われた価格自由化国債濫発1992年前年比2510パーセントものハイパーインフレーション引き起こし1992年国内総生産 (GDP) は前年比マイナス14.5パーセントとなってしまった。1990年代通じてロシアGDP50パーセント減少し不平等失業激増し収入劇的に減少した一部エコノミストは、1990年代ロシア経験した経済危機1930年代アメリカドイツ起きた大恐慌匹敵するとも評した1992年2月アレクサンドル・ルツコイ副大統領エリツィン経済改革を「経済的ジェノサイド」と批判し1992年12月エリツィン経済改革失敗したガイダルを解任し、代わりにガスプロム社長ヴィクトル・チェルノムイルジン首相に指名した12月、チェルノムイルジンは議会信任得て首相に就任した。一方10月から国民一人ひとりに国有企業株式与えて自由に売買をさせるバウチャー方式による民営化行われていたが、これを上手く利用して国有資産だった会社手に入れ莫大な富を築き上げる新興財閥オリガルヒ)も出現した1993年1月アメリカ合衆国第二次戦略兵器削減条約 (START II) を正式に調印し外交政策では西側諸国との関係改善推し進める一方で同年9月にはエリツィン経済政策反発していたルスラン・ハズブラートフ最高会議議長から「大統領当てできないどうしようもないどん百姓だ。(人差し指で喉をたたきながら=酔っ払いジェスチャー)これさえあれば、あいつはどんな大統領令にも署名する」と非難されたことに激怒したエリツィンは、「大統領令1400号」を公布し超法規的現行憲法停止した上でロシア人代議員大会及び最高会議強制的に解体し議会中心とする反エリツィン陣営除去取りかかった。これに対してハズブラートフも、最高会議の緊急会議召集し、ルツコイ副大統領大統領全権付与し10月3日最高会議ビル立てこもって抵抗した。翌10月にはハズブラートフらがたてこもる最高会議ビル戦車砲撃し議会側は降伏し10月政変)、ルツコイを解任する同時に副大統領の職も廃止した1993年12月には大統領強大な権限与え連邦会議国家会議から成る両院制議会ロシア連邦議会にする事を定めた新しロシア連邦憲法制定された。西側諸国エリツィン支持した。しかし、ロシア国内ではその経済政策で生活を困窮追いやられた多く民衆反感を買い同年12月1993年ロシア連邦議会選挙超国家主義的なウラジーミル・ジリノフスキー率い極右ロシア自由民主党第一党となってロシアの議会政治綻び見せ始めた1994年デノミを行うなど経済混乱続き、また第一次チェチェン紛争でのチェチェン侵攻失敗した結果エリツィン支持率低下した1995年下院選挙では極右ロシア自由民主党に代わって極左ロシア連邦共産党第一党となり、エリツィン経済政策貧困に喘ぐ民衆の支持ソ連崩壊過去のものとなったはずの共産主義復権しつつあった。さらに1996年ロシア連邦大統領選挙第1回投票ではそのロシア連邦共産党ゲンナジー・ジュガーノフ候補得票数僅差追い込まれ、大苦戦する劣勢逆転させたい一念アメリカから選挙キャンペーンプロ呼び、さらにジュガーノフ当選による共産主義への回帰恐れたボリス・ベレゾフスキーウラジーミル・グシンスキーなど新興財閥から巨額選挙資金捻出させ、新興財閥支配下メディアエリツィン支持キャンペーン張らせるなどしてなり振りかまわぬ選挙戦展開したジュガーノフとの決選投票前には、第1回投票3位につけたアレクサンドル・レベジ退役大将安全保障会議書記任命して取り込み決選投票エリツィンは53.8パーセント獲得し結果的に再選果たした大統領選挙において新興財閥の力に大きく頼ったために第2次エリツィン政権では新興財閥影響力増したまた、大統領選前の1995年エネルギー産業などの国営企業株式担保金融機関から融資受けられるようにする有償民営化が行われていたことで、新興財閥結果として石油産業多く国営企業手に入れ、さらに国有資産私物化し、二女のタチアナ・ディアチェンコらエリツィン親族とともにセミヤー」と呼ばれる側近集団形成するうになるこのようなセミヤー」との癒着によりエリツィン政権政治腐敗蔓延していき、特にベレゾフスキー筆頭とする7人の銀行家ロシア語版)と呼ばれた新興財閥1996年から2000年までロシアの富の50パーセントから70パーセント支配していたともされる1998年5月経済復興実現するには力不足だとして、チェルノムイルジン首相解任した。同首相5年間に渡る長期首相だったが、一説によると病身大統領代わり副大統領然として振舞っていたこと、あるいは経済界との腐れ縁大統領嫌って解任とも言われる後任には35歳セルゲイ・キリエンコ第一副首相燃料エネルギー相が就任したが、8月17日ロシア財政危機発生短期国債取引停止し事実上債務超過陥った就任直後出来事だったが、責任を取らされて解任された。 1998年9月11日首相に任命されたのは諜報機関KGB出身エフゲニー・プリマコフであったプリマコフエリツィン政権対外情報庁長官外相歴任した実力者であったプリマコフ首相は、大統領よりも議会重視スタンス打ち出しキリエンコ内閣産業貿易大臣だった共産党ユーリ・マスリュコフ第一副首相大抜擢したことで第一党共産党名実ともに与党にさせ、議会支持依拠した珍しい内閣であり、プリマコフソ連時代計画経済司令塔であるゴスプラン最後議長だったマスリュコフとともにIMFと交渉して金融危機対処当たった1999年3月エリツィンコソボ紛争介入した北大西洋条約機構 (NATO) を「侵略者」であると批判し外交政策ではプリマコフとともにアンドレイ・コズイレフ外相時代NATO融和的路線修正したNATOコソボ地上部隊配備した場合ロシア介入可能性警告し、「私はNATOアメリカドイツ言った軍事行動に向かわせないでくれと。さもなければヨーロッパで戦争確実に起き世界大戦可能性もある」と述べた1999年5月には経済安定化させて大統領よりも支持集めていたプリマコフ首相解任した。さらに後任セルゲイ・ステパーシン首相も僅か3ヶ月解職し、首相短期間次々挿げ替えて自らの権力維持するためになりふり構わぬようにも見え行動繰り返して政権レームダック様相呈し議会では第一党共産党によって「ソ連解体10月政変チェチェン侵攻軍事力弱体化ロシア人口減少対す責任」を理由にした弾劾の手続き始まっていた。 1999年8月16日にはエリツィン大統領汚職追及していたユーリ・スクラトフ(ロシア語版検事総長女性スキャンダル解任追い込んだロシア連邦保安庁FSB)の長官プリマコフと同じKGB出身ウラジーミル・プーチン首相に任命し31日ロシア高層アパート連続爆破事件きっかけにして勃発した第二次チェチェン紛争制圧辣腕振るったプーチン首相は「強いリーダー」というイメージ高めて後の大統領当選支え国民からの人気を得ることとなった1999年11月欧州安全保障協力機構OSCE)の会議アメリカクリントン大統領エリツィンに指を差して多く民間人犠牲者出しているチェチェンへの空爆止めるよう要求するエリツィンは席から立ち去った。翌12月9日から10日にかけて、チェチェンでの軍事作戦への支持求めて訪れて最後外遊となった中国李鵬国務院総理江沢民総書記国家主席)と会談したエリツィンは「クリントンロシア核兵器の完全な備蓄保有する偉大な大国であることを忘れているようだ」と述べてかつては蜜月築いていたアメリカに対して核戦争示唆して恫喝した

※この「ロシア連邦大統領として」の解説は、「ボリス・エリツィン」の解説の一部です。
「ロシア連邦大統領として」を含む「ボリス・エリツィン」の記事については、「ボリス・エリツィン」の概要を参照ください。

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