ロシア・ソビエトの要人による訪日とは? わかりやすく解説

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ロシア・ソビエトの要人による訪日

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 04:55 UTC 版)

日露関係」の記事における「ロシア・ソビエトの要人による訪日」の解説

訪日時期 ロシア・ソビエト要人 日本側の会談相手備考1891年4月~5月 ニコライ皇太子(後のニコライ2世明治天皇 ロマノフ朝皇族及び皇太子による最初で最後訪日大津滞在中の5月11日ニコライ皇太子現地巡査斬り付けられる(大津事件)。この事件の報を受けて明治天皇直ち京都急行し5月13日ニコライ皇太子会談 1990年1月 ボリス・エリツィン議員(後のロシア連邦大統領エリツィンによる初の訪日 1991年4月 ミハイル・ゴルバチョフ大統領 海部俊樹首相 1990年7月行われたゴルバチョフソ連訪問中の池田大作創価学会名誉会長との会談ゴルバチョフ訪日内定ソビエト連邦首脳による最初で最後訪日両首脳の合意により日ソ共同声明署名される 1993年7月 ボリス・エリツィン大統領 宮澤喜一首相 エリツィンによる2度目訪日ロシア連邦大統領としては初の訪日第19回先進国首脳会議東京サミット)後の7+1会議出席 1993年10月 細川護熙首相 エリツィンによる3度目訪日ロシア連邦大統領として2度目訪日両首脳の合意により東京宣言署名される 明仁天皇 皇居宮中晩餐 1995年2月 ウラジーミル・プーチンサンクトペテルブルク第一副市長(後のロシア連邦大統領プーチンによる初の訪日 1998年4月 ボリス・エリツィン大統領 橋本龍太郎首相 エリツィンによる4度目訪日ロシア連邦大統領として3度目訪日両首脳により川奈合意確認される 2000年7月 ウラジーミル・プーチン大統領 森喜朗首相 プーチンによる2度目訪日ロシア連邦大統領としては初の訪日第26回主要国首脳会議九州・沖縄サミット)に参加 2000年9月 明仁天皇 プーチンによる3度目訪日ロシア連邦大統領として2度目訪日皇居宮中午餐 森喜朗首相 ロシアによる日本国連安保理常任理事国入り支持明記した国際問題における日本国ロシア連邦協力に関する共同声明」などが署名される 2005年11月 小泉純一郎首相 プーチンによる4度目訪日ロシア連邦大統領として3度目訪日 2008年7月 ドミートリー・メドヴェージェフ大統領 福田康夫首相 第34回主要国首脳会議北海道洞爺湖サミット)に参加ロシア連邦大統領としては初の訪日2009年5月 ウラジーミル・プーチン首相 麻生太郎首相 プーチンによる5度目訪日ロシア連邦首相としては初の訪日 2010年11月 ドミートリー・メドヴェージェフ大統領 なし メドヴェージェフ大統領日本との事前調整無し国後島訪問ロシア・ソビエト首脳による初の北方領土訪問となった。翌2011年2月7日北方領土の日に、菅直人首相ロシア連邦大統領による国後訪問評して許し難い暴挙だ」と強く非難した 2016年12月 ウラジーミル・プーチン大統領 安倍晋三首相 プーチンによる6度目訪日ロシア連邦大統領として4度目訪日

※この「ロシア・ソビエトの要人による訪日」の解説は、「日露関係」の解説の一部です。
「ロシア・ソビエトの要人による訪日」を含む「日露関係」の記事については、「日露関係」の概要を参照ください。

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