ロシア・ソビエトの要人による訪日
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「日露関係」の記事における「ロシア・ソビエトの要人による訪日」の解説
訪日時期 ロシア・ソビエトの要人 日本側の会談相手備考1891年4月~5月 ニコライ皇太子(後のニコライ2世) 明治天皇 ロマノフ朝の皇族及び皇太子による最初で最後の訪日。大津に滞在中の5月11日、ニコライ皇太子が現地の巡査に斬り付けられる(大津事件)。この事件の報を受けて明治天皇は直ちに京都へ急行し、5月13日にニコライ皇太子と会談 1990年1月 ボリス・エリツィン議員(後のロシア連邦大統領) エリツィンによる初の訪日 1991年4月 ミハイル・ゴルバチョフ大統領 海部俊樹首相 1990年7月に行われたゴルバチョフとソ連を訪問中の池田大作創価学会名誉会長との会談でゴルバチョフの訪日が内定。ソビエト連邦の首脳による最初で最後の訪日。両首脳の合意により日ソ共同声明が署名される 1993年7月 ボリス・エリツィン大統領 宮澤喜一首相 エリツィンによる2度目の訪日、ロシア連邦大統領としては初の訪日。第19回先進国首脳会議(東京サミット)後の7+1会議に出席 1993年10月 細川護熙首相 エリツィンによる3度目の訪日、ロシア連邦大統領としては2度目の訪日。両首脳の合意により東京宣言が署名される 明仁天皇 皇居で宮中晩餐 1995年2月 ウラジーミル・プーチンサンクトペテルブルク第一副市長(後のロシア連邦大統領) プーチンによる初の訪日 1998年4月 ボリス・エリツィン大統領 橋本龍太郎首相 エリツィンによる4度目の訪日、ロシア連邦大統領としては3度目の訪日。両首脳により川奈合意が確認される 2000年7月 ウラジーミル・プーチン大統領 森喜朗首相 プーチンによる2度目の訪日、ロシア連邦大統領としては初の訪日。第26回主要国首脳会議(九州・沖縄サミット)に参加 2000年9月 明仁天皇 プーチンによる3度目の訪日、ロシア連邦大統領としては2度目の訪日。皇居で宮中午餐 森喜朗首相 ロシアによる日本の国連安保理常任理事国入り支持を明記した「国際問題における日本国とロシア連邦の協力に関する共同声明」などが署名される 2005年11月 小泉純一郎首相 プーチンによる4度目の訪日、ロシア連邦大統領としては3度目の訪日 2008年7月 ドミートリー・メドヴェージェフ大統領 福田康夫首相 第34回主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)に参加、ロシア連邦大統領としては初の訪日。 2009年5月 ウラジーミル・プーチン首相 麻生太郎首相 プーチンによる5度目の訪日、ロシア連邦首相としては初の訪日 2010年11月 ドミートリー・メドヴェージェフ大統領 なし メドヴェージェフ大統領が日本との事前調整無しに国後島を訪問、ロシア・ソビエトの首脳による初の北方領土訪問となった。翌2011年2月7日の北方領土の日に、菅直人首相がロシア連邦大統領による国後訪問を評して「許し難い暴挙だ」と強く非難した 2016年12月 ウラジーミル・プーチン大統領 安倍晋三首相 プーチンによる6度目の訪日、ロシア連邦大統領としては4度目の訪日
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