ロシア共和国大統領
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「ボリス・エリツィン」の記事における「ロシア共和国大統領」の解説
しかし、1989年3月の人民代議員大会選挙にモスクワ選挙区から出馬して当選して政界復帰、急進改革派の地域間代議員グループに属し、民主綱領派のリーダーとなる。翌年の1990年5月にロシア共和国の最高会議(ロシア語版)議長(実質大統領)に就任。同年7月13日にはソ連共産党を離党した。1991年6月12日に行われたロシア共和国大統領選挙では57.3%の得票率を獲得して当選し、同年7月にロシア共和国大統領に就任。 同年8月にソ連のゲンナジー・ヤナーエフ副大統領を擁立する「保守派」が起こしたソ連8月クーデターの際には戦車の上からロシア国民に対し、ゼネストを呼びかけるなど徹底抗戦した。ゼネストは不徹底であったものの、軍と治安機関の大勢はクーデター派を支持せず、結果としてクーデターを失敗に終わらせ、この事件によりゴルバチョフの求心力が大きく失われ、代わってエリツィンの影響力が増大する。 1991年11月6日、エリツィンはソ連共産党系のロシア共産党が活動することを禁止し、首相(ロシア共和国閣僚会議議長)を兼任した。同年12月8日、エリツィンはウクライナのレオニード・クラフチュク大統領、ベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチ最高会議議長と秘密会談を行い、ロシア・ウクライナ・ベラルーシのソ連からの離脱と独立国家共同体 (CIS) の樹立を宣言することで合意した(ベロヴェーシ合意)。ソビエト連邦の崩壊は避けられなくなり、12月25日にゴルバチョフはソ連大統領を辞任。ソビエト連邦はその歴史に幕を下ろした。
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