ロシア共和国共産党第一書記とは? わかりやすく解説

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ロシア共和国共産党第一書記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/05 09:37 UTC 版)

イワン・ポロスコフ」の記事における「ロシア共和国共産党第一書記」の解説

ソ連国内民族主義噴出に伴い共産党保守派ロシア共産党の結成動いた元来ソ連共産党イコールロシア共産党であり、ロシア共和国はいわばソ連構成共和国長兄として、ニキータ・フルシチョフ時代設置されソビエト連邦共産党ロシア共和国ビューロー除き、独自の共和国党を持っていなかったのであったが、1990年6月ロシア共産党結成され、ポロスコフが第一書記選出された。同年7月には共産党党規約の改正にともない、各共和国第一書記とともに政治局員就任した。ポロスコフはエゴール・リガチョフ第二書記引退後レニングラード第一書記ボリス・ギダスポフとともに共産党保守派新たな領袖として台頭したロシア共和国にあっては急進改革派ロシア連邦共和国最高会議議長(のち大統領)のボリス・エリツィン中間派・穏健改革派ゴルバチョフ派)のイワン・シラーエフ首相並んで三頭鼎立状態を形成することとなったその後ゴルバチョフの「右旋回」(保守派対す接近)により、ポロスコフら保守派優位に立ったかに見えたが、1991年に入るとゴルバチョフは再び改革派に舵を切り、新連邦条約調印めざしたまた、エリツィン直接選挙によるロシア大統領選挙大統領となると、この選挙で前ソ連首相ニコライ・ルイシコフ擁立し大敗した責任を取らされてポロスコフはロシア共産党第一書記解任された。その直後こうした動きに対して保守派国家非常事態委員会によるクーデター起こして連邦副大統領ゲンナジー・ヤナーエフ大統領代行とし、ゴルバチョフエリツィン穏健急進改革派一掃図った際にはポロスコフもこれを支持して復権たくらんだが、エリツィンらの反撃クーデター失敗ロシア共産党を含むソ連共産党活動停止となり、ポロスコフも政治表舞台から消えた。 党職先代:ミハイル・ゴルバチョフソビエト連邦共産党中央委員会ロシア・ビューロー議長 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国共産党第一書記1990年 - 1991年 次代:ワレンチン・クプツォフ(ロシア語版先代ゲオルギー・ラズモフスキー ソビエト連邦共産党クラスノダール地方委員会第一書記1985年 - 1990年 次代:アレクサンドル・マラソフ

※この「ロシア共和国共産党第一書記」の解説は、「イワン・ポロスコフ」の解説の一部です。
「ロシア共和国共産党第一書記」を含む「イワン・ポロスコフ」の記事については、「イワン・ポロスコフ」の概要を参照ください。

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