慰安婦 アメリカ軍の慰安婦

慰安婦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/18 21:00 UTC 版)

アメリカ軍の慰安婦

米軍は、売春を悪と見なすピューリタニズムの影響で、20世紀初頭から売春禁圧の方針をとっていたが、海外の派兵先では建前化していた[17]:72

太平洋戦線ではビルマ方面で日本軍の慰安所を参考に売春婦をインドで集め慰安所を設置していた[要出典]

朝鮮半島においては、連合軍による軍政が敷かれ日本軍の慰安所、慰安婦ともにアメリカ軍に引き継がれた[18][19]

幕末の日本(19世紀)

タウンゼント・ハリスの要請により、アメリカの水兵の為に江戸幕府が横浜に遊女屋を開設した。当時の経緯を知る日本側の関係者は、ハリスの要請は、自国の水兵たちに肉欲の満足を与えることだけでなく、水兵たちが強姦事件を起し、日米両国間のトラブルになることを懸念してのことだったと後に語っている[20]:22-23。この遊女屋がやがて港崎遊郭へと発展するが、当時は西洋人に抵抗感を持つ遊女も多く、1862年にフランスの外交官(アメリカ国籍)の相手をするよう言いつかった港崎遊郭の遊女が自殺する事件も起きている[21]:112-113

南北戦争

テネシー州ナッシュビルを占領した北軍が、娼婦の性病検査を行い、これを登録制とした。このシステムは、1863年から終戦まで続いた[22]

米西戦争・米比戦争

米西戦争でスペインに勝利したアメリカが1898年にフィリピンを占領してからは雨後の筍のように酒場が現れ、売春が蔓延した。また米軍は、現地の娼婦の検診を施したため、宣教師がこれらを訴えた[23]。1902年4月、キリスト教婦人矯風会(WCTU、en:Woman's Christian Temperance Union)のマーガレット・エリスがマニラ管理売春や児童買春の実態を報告するなどフェミニズムからの抗議を受け、米国政府は性病検査と検査料金徴収を中止し、軍の為の健全な娯楽施設、読書室、体育館をかわりに建設するとした[23]。ルーズベルト大統領は現地娼婦と軍との関係を不明瞭にしたが、フィリピン軍政責任者のルート陸軍長官は診断料や診断証明書の料金がなくなっただけと語ったような実情であった[24]。のちにマーガレット・エリスと政府とのあいだで裏取引が発覚しており、その後も米軍慰安所は実質的に存続し、フィリピンで売春街を紅灯街に限定するようにし、性病検査を継続しながらもアメリカ政府が公式に関与していないように努力した[25]

アメリカの世論に配慮し、フィリピンに駐留する米軍は、軍と売春宿の関係を公にしなかったが、1900年にシカゴの新聞が「軍当局の売春宿」という見出しの記事を掲載するなど、現地人の他に中国人や日本人[注釈 2]の売春婦が、兵士・将校用の売春宿に分かれて収容されている事が報じられていた[26]

1901年、マニラにいたマッカーサー総司令官[注釈 3]は、本国からの問い合わせに、(フィリピンの)売春宿は米軍当局の管理下にはないと回答したが、この回答は嘘とは言えないものの、売春宿のかわりに、そこで働く売春婦を米軍が管理しているというのが実態だった[27]

米軍目当ての売春宿と性病検査はその後も第二次世界大戦、ベトナム戦争、1990年代の米軍の一時撤退まで継続し、廃止されることはなかった[24][28]

メキシコ(パンチョ・ビリャ)遠征

ジョン・パーシング指揮下のアメリカ軍は、フィリピンでの経験に基づき、メキシコとの国境地帯でも娼婦と性病の管理を行った[29]。(パンチョ・ビリャ遠征英語版1916-1917)

第一次世界大戦

米軍は、兵士と娼婦の接触を断つことで性病を防止しようとした。その為にアメリカン・プランが採用された。アメリカン・プランとは、米軍の兵営5マイル以内では、どんな女性でも逮捕でき、その女性の市民権を停止することができる法律であった[11][12]。性病感染が発見されると、女性は強制的に収容された。終戦までに1万5520人の女性が逮捕収監された[12]。この法律は性病から米軍を守る為の法律であったので、逮捕収監されるのは女性だけで、兵士は処罰の対象にならなかった[12]

シベリア出兵

当時シベリアには、日本人の「からゆき」がおり、ある日本兵は、日記に「市内の支那町(ハバロフスク)に売春婦がいるが、その大部分は日本人であると言う。・・・それへ米兵が盛んに遊びに行くさうな。米兵は金を持っているからこんなものはとても見逃しはしない」と書いた。米兵が「誘惑されている」との抗議の手紙がアメリカから日本の矯風会に寄せられ、矯風会が現地に調査に赴いている[30]:83-87。(シベリア出兵1918-1922)

第二次世界大戦

第一次世界大戦で性病に悩まされた経験から、兵力保持の観点から売春宿や娼婦の規制を求める動きが現われ、1941年7月、基地周辺での売春を禁止するメイ法(連邦法)が制定された。しかし、ハワイや海外では必ずしもこの原則は守られていなかった[31]

1941年の米陸軍サーキュラー170号規定においても「兵士と売春婦との接触はいかなる場合でも禁止」とされたが、実際には買春は黙認されていた[32]

1945年4月24日付で「海軍作戦方面における売春について」との通達が米国陸軍高級副官名で出され、同年9月1日に発令された[33]

中国

1942年の昆明の状況について、セオドア・ホワイトは、フライング・タイガースが性病感染で有名な売春宿のせいで「空軍の半数が飛べなかった」と証言している[34][35]。こうした状況を受け、フライング・タイガースを編成したシェンノート准将が、性病にかかっていないインド人売春婦12名をインドから空輸したが、インド・ビルマ・中国戦域軍の司令官によって〝慰安所〟は閉鎖させられた[36]:217

ハワイ

アメリカ海軍の根拠地であるハワイ準州(当時)では、登録売春宿が設置され「組織的売春」が行われていた[37]。カリフォルニアから出稼ぎに来た白人の売春婦が多く、ホノルルの赤線地帯には、兵士専用の売春宿が20軒ほどあった。警察に登録された売春婦は250人で、売春宿の前では、毎日兵士が2時間待ちの行列をつくり、月25万人近い軍関係者が利用した。殆どの所では、月20日以上の労働と1日100人以上を相手にするノルマが課せられていた[31]

太平洋戦争が始まると、ホノルル港の近くにはホテルストリートが設けられ、通り沿いのホテルでは、女性が兵士一人につき3分でセックスを済ますというサービスが、流れ作業の様に行われていた。この事から、この兵士は「3分の男」と呼ばれるようになったという[38]

その後米国国内で論争が発生し、1944年9月にハワイの売春宿の廃止が決定された[37]。ハワイの〝慰安婦〟については、当時米国本土から出稼ぎに行って米兵の相手をしたジーン・オハラ英語版の体験談が知られている。

フランス

ノルマンディーに上陸したアメリカ軍が多数のフランス女性をレイプし、性交を行っている姿を見ないで街を歩くことが出来ないほどの状態になったためル・アーヴルでは市長が郊外に慰安所の設置をアメリカ軍指揮官に懇願したがアメリカ軍はこれを拒否している[39][40]

リビア

米軍の要請により、リビア政府によって二か所の〝セックス・キャンプ(Susan Zeiger)〟がモンロビアに設置された。女性たちは、米軍の軍医の検査を受け、リビア政府から購入したコテジで商売をした。病気になると標識票を取り上げられ、追放された。この施設は、1942年から1945年まで存在した[41]

第二次大戦後

日本

横須賀市安浦に設置した慰安所に群がる連合国軍将兵

太平洋戦争に勝利して日本を占領した米軍には、基地周辺からの売買春の一掃を主張する司令官と、現実的な性病予防策として日本の公娼制度の再興を提案する司令官が混在していた[17]:72-73

結果的に米軍(連合国軍)の為に「慰安所」が作られたが[42]、その中でも、東京を中心に営業した「特殊慰安施設協会(RAA)」が良く知られている。藤目ゆきによれば、RAAだけでも、最盛時には7万人、閉鎖時には55,000人の女性が働いていた[43]

同様の施設は日本各地に作られた[注釈 4]。日本側から設置を申し入れたケースもあれば、米軍が日本側に要請して設置させたケースもある[17]:39

強姦事件も多く、RAAの情報課長であった鏑来清一は後年、日本軍は自国の慰安婦を同行したがアメリカではそれは許されないとしつつ、RAAの施設がなかったら「どんな結果になったか明白」だと述べている[45]:29

沖縄では、日本軍と米軍の戦闘が継続中に、米兵による強姦事件に悩まされた住民が自発的に慰安所を設置した例がある。女性たちは毎日10数名の米兵の相手をさせられ、この状態が、住民が収容所に移されるまで約一カ月続いた[46]:69-70

朝鮮戦争

アメリカ軍(美軍)慰安婦2名が韓国釜山で悲観のあまり自殺したことを報じる1957年7月21日東亜日報

米軍のために韓国に設置された「基地村(Camp Town 기지촌 Kijichon)」で米兵相手の売春が行われた[47]

1980年代までに100万人超の韓国女性が米軍の相手をした[48]1962年の韓国の相場では、ショートタイムで2ドル、ロングタイムで5ドルであった[49]。固定的な性的関係を持つことによって月給をもらう女性もいた[49]大韓民国大法院判決文によれば、1964年当時に慰安婦が月5,000大韓民国ウォンの収入を得ていた[50]

1955年のソウル市警察局によると米軍相手の性売買女性は61,833名であり[51]1962年の韓国ではアメリカ兵相手の慰安婦として2万名以上が登録されていた[49][48]

朝鮮戦争では韓国人女性が慰安婦として集められる(#大韓民国軍慰安婦)とともに、日本人慰安婦も在日米軍基地周辺、また朝鮮半島へも日本人慰安婦が連れて行かれたこともあった[52][53]

ベトナム戦争

米軍の周囲には、ベトナム人女性が働く軍公認・黙認の売春宿が存在した。秦郁彦は、こうした売春宿は日本軍の慰安所と瓜二つだったと分析している[54](「罪の都」や「ディズニーランド」などと呼ばれた米軍の売春宿の詳細については、「軍用売春宿#アメリカ軍の慰安所」を参照)。

アメリカ陸軍第1師団第3旅団(将兵4000名)の例では、ベトナム女性60人が住み込みで米兵の相手をしていた[55]。料金は500ピアストル(2ドル)だった。女性の手取りは200ピアストル(0.8ドル)で、残りは様々な支払いにあてられた。女性たちは、省知事の指示で集められ、ライ・ケ市長の指示で町に送り込まれていた。アメリカ軍は、衛生と安全保障面を担当し、人員の調達や料金の取り決めはベトナム人の民間人に委ねた[56]

シンシア・エンローは、戦争の末期には米兵の相手をするこうした女性が、30万から50万人いたと見積もっている[57][58][55]

台湾駐留期

台湾に駐留する米軍は、1958年以降、中華民国側から米軍専用の「慰安所(特約茶店)」の提供を受けていた。施設の管理は台湾側、衛生・性病の管理に関しては、米軍と台湾側が共同して行った。1979年に米軍が台湾から撤退するまで、この状況が続いたと見られる[59]:71-75

アメリカ軍の慰安所

アメリカ軍の慰安婦問題

1977年の韓国政府の資料によると、9935人の女性が韓国にある米軍の「基地村」で米兵を相手に売春しており[60]、2000年代に入り、基地村での売春について韓国政府や米軍を告発し、訴訟を起こす女性も現われた[61][62]

また近年、在韓米軍を相手とするジューシーバーで働くフィリピン人女性たちが、人身売買の状況下に置かれていると指摘されている[63]


注釈

  1. ^ 近世以前の公娼制度については、「公娼」を参照。
  2. ^ 日本人の海外遠征売春婦については、「からゆきさん」参照。
  3. ^ アーサー・マッカーサー・ジュニアは、ダグラス・マッカーサーの父。
  4. ^ 奈良のRRセンターなど[44]
  5. ^ Contagious Diseases Acts(伝染病法)
  6. ^ 途中、1866年と1869年に改定。
  7. ^ 原作は、1956年に書かれたUgo Pirroの同名小説。
  8. ^ 兵士だけでなく、将校や知事も現地人女性と同棲するのが普通だった。
  9. ^ 満州のロシア人、東南アジアのオランダ人など。
  10. ^ 他のイスラム系の民族と違い、男性との接触等について厳格に禁じられていなかったOuled Naïlの女性は、〝慰安婦〟として採用される以前からフランスの植民地政府に売春婦と見なされていた[117]
  11. ^ 来日したアレクサンドル・ミハイロヴィチ大公(皇帝ニコライ1世の孫)は、60人の候補者の中から一人の娘を選んで〝結婚〟した[120]日露戦争後、日本で捕虜生活を送ったアレクセイ・ノビコフ=プリボイも、稲佐における〝結婚〟について書いている[121]:539,540
  12. ^ 日本占領軍の慰安所利用については「特殊慰安施設協会」等、韓国における国連軍の慰安婦については「韓国軍慰安婦」を参照。
  13. ^ 国際連合ボスニア・ヘルツェゴヴィナ・ミッション

出典

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