心理学 語源と定義

心理学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/11 06:44 UTC 版)

語源と定義

語源は、や魂を意味する古代ギリシア語のプシュケー(ψυχή )と、研究や説明を意味するロギアとでの、プシューコロギア(psychologia)である[3]

現在の心理学の用語の意味は、心理学の教材である『ヒルガードの心理学』では「行動と心的過程についての科学的学問」とされ[2]、2012年の『心理学大図鑑』では「心や行動の科学を研究する」という意味であるとされる[3]アメリカ心理学会(APA)は「心と行動の研究」と定義している[1]

ギリシャ文字Ψ(英:PSI)が心理学の象徴として、しばしば用いられる。

分類

大きくは、基礎心理学と応用心理学に大別される。

基礎心理学

科学的経験主義の立場から観察実験調査等の方法によって一般法則の探求を推し進める。

基礎心理学の下位分類

応用心理学

基礎心理学の知見を活かして現実生活上の問題の解決や改善に寄与する。

応用心理学の下位分類

歴史

永遠の哲学

文字が発明される以前から伝承されるヴェーダは、直接的に感覚する経験を対象とし、自己の内的な観察を極度に純化させ、智慧と呼ばれる精神の状態を目指した。主に東洋に広く存在する心理学である。1980年代以降に、トランスパーソナル心理学が研究対象としている。

この流れにない西洋の心理学の伝統は、外側から様々な対象を理性的に観察することによって法則性を見出すといった、実験主義的なものである。

ギリシャ哲学からの起源

1912年の大槻快尊の『心理學概論』では、古くはタレスの哲学でも心について付言されているが、心理学の開祖と呼べる哲学者は「心は脳髄にあり」と述べたアリストテレスであり、哲学から心理学へ独立した学問へと小径を開いたのはルネ・デカルトであり、そして、心理学という全く別の科学的な学問を成立させたのはジョン・ロックであると云ってよい、としている[7]

紀元前4世紀にアリストテレスΠερὶ Ψυχῆς ペリ・プシュケース(『心について』『霊魂論』)にて、血流怒りが無関係ではないことから[8]心身不分離とした。

それに対し、後の17世紀にルネ・デカルト心身二元論を提唱し、「魂は非物質的で身体は物質的だが、動物精気というもので身体を機械的に動かしている」とした[9]。デカルトは、「動物は反射によって動く機械でしかない」としたが、現在では遺伝や感覚の研究によって、動物も意識を持っていると考えられている[10]

ジョン・ロックは、ニュートン物理学の登場によって、分子から成り立つ物質と、心的なイメージを成り立たせる感覚と、不滅の魂を仮定した。

心理学の創成期

18世紀には、ドイツのフランツ・アントン・メスメルが、動物磁気説による治療行為を行い、1779年に『動物磁気の発見と回想』を出版し、後の催眠へとつながっていった[11]。心理療法におけるラポールの概念などもこの流れで生まれた。

1870年代には、ドイツのヴィルヘルム・ヴントと、アメリカのウィリアム・ジェームズは、心理学の研究室を設け、心理学の諸理論を提唱した。ドイツのヴィルヘルム・ヴントが実験心理学の父と呼ばれ、アメリカのウィリアム・ジェームズも心理学の父と呼ばれることもある[5]

ヴントは1879年にライプツィヒ大学に研究室を創設し、彼の言う実験心理学とは、内観として自己観察的な思考や感情の出来事を記録することであった[5]

ジェームズは1875年にハーバード大学にて講義をはじめた[5]。内省や哲学に基づいたアプローチで心理学に接近した[12]。1890年にはジェームズが大著『心理学原理』を公開し、その2年後にはこれを短縮した『心理学要論』が公開され教科書として広まった。1892年には、アメリカ心理学会が、ウィリアム・ジェームズの心理学を元にして設立される。

1880年代には、フランスのエミール・クーエが偽薬効果についての『自己暗示』を出版する[11]。1900年には、ドイツのウィーンで、神経症とヒステリーの研究を行っていたジークムント・フロイトは、人々は無意識の影響を受けて行動しているという理論を公表する。

精神分析

1885年には、ジークムント・フロイトはパリに行き、催眠によってヒステリー患者を治療しようとしていたシャルコーの下で学び、同僚と共に1893年に『ヒステリー研究』出版したが、その限界を感じ自由連想法を用い始めた[13]。1894年以降、フロイトは精神分析学の基礎となる理論を発見し、1900年には『夢判断』を出版してその初期の理論を公開し、1902年には、ウィーンの医者が群れとなって精神分析学研究のセミナーに参加し比較的短期間で世界規模となる[13]。最初の国際精神分析学会は1908年、最初の『国際精神分析学雑誌』は1909年に出版されたが、追従者のアドラーは1910年に、ユングは1913年にはフロイトの下を離れていった[13]アルフレッド・アドラーは1910年には国際精神分析学会の会長にも推薦されていたが、フロイトのリビドー(性欲)の理論を受け入れず、翌年には個人心理学会を設立した[14]。1916年までは精神分析学の研究はドイツ語圏に限られており、アメリカやイギリスに飛び火したのは、1918年以降であり、1920年には『精神分析学入門』が翻訳され読者を広く読者を得、ニューヨークの研究所は1931年に開設された[13]

娘のアンナ・フロイト自我心理学を提唱した。フロイトに師事したカール・グスタフ・ユング分析心理学を提唱、ユング心理学はユング派としてアメリカでプロセス指向心理学などを生んだ。この時代には、フロイトや現象学の影響をうけたルートヴィヒ・ビンスワンガー現存在分析ヴィクトール・フランクルによるロゴセラピーがある。対人関係療法は、新フロイト派とよばれるハリー・スタック・サリヴァンらの流れを組む。

イギリスではメラニー・クラインドナルド・ウィニコットらの対象関係論が展開し、アメリカでは対象関係論に影響をうけたオットー・カーンバーグ転移焦点化精神療法を考案した。

ハインツ・コフートは、自己愛性パーソナリティ障害の研究者として著名で、ウィーンの出身だが1964年にはアメリカ精神分析学会の会長も務めた[15]

行動主義の台頭と変容

心理学の第二世代として行動主義心理学が登場し、心理学を科学とみなすために行動を実験環境で観察し計測すると主張した[12]。1913年のジョン・B・ワトソンの「行動主義の見地から見た心理学」は、心理学の方向転換のための行動主義宣言とされている[12]。行動主義の基礎となるのは、行動を変化させる学習は、報酬と嫌悪刺激(罰)によって変化するという理論である。行動主義は、戦争をはさんだ軍事学的な統制にも用いられた。20世紀半ばには、アメリカでは精神分析と行動主義は2大勢力であった。

動物実験により1903年にはイワン・パブロフによる古典的条件づけが発表された。B.F.スキナーの表記でよく知られるバラス・スキナーは徹底的行動主義を推し進め[16]、1938年にはオペラント条件づけの研究が盛んになった。治療に関しては、1960年にハンス・アイゼンクが『行動療法と神経症』を出版する。行動主義のその行きすぎた傾向においては、心という概念なしに客観的な心理学としての観察研究ができるとした。しかし報酬と罰が人間の学習の決定的条件であるとする行動主義は様々な矛盾に陥った。

動物行動学は学習された行動ではない本能の重要性を明らかにし、条件づけの概念に疑問を呈し[12]コンラート・ローレンツは孵化したガチョウが最初に見た動物を親として学習する刷り込みや、遺伝的にプログラムされた求愛といった行動パターンを明らかにした[17]。スキナーへの反発から成る「認知の革命」は心的過程へと再び焦点を戻したが、その契機となったのはノーム・チョムスキーである[12]。オペランド条件づけでは報酬と強化による結果として人間が言語を学習すると考えたが、ノーム・チョムスキーは言語は生得的な普遍文法に沿って獲得され、遺伝的な能力で成長と共に成長することを提唱した[18]

人間性の回復

第三の勢力は、人間性心理学である。1960年代には、人間性心理学が、自己実現理論を提唱したアブラハム・マズローらによって組織される。1942年に、カール・ロジャースが『カウンセリングと心理療法』を出版し、後に来談者中心療法と呼ばれ、さらに後期には人間中心アプローチと呼ばれることになる非指示的な理論を紹介した[19]。ロジャースは、集団に対応させたエンカウンターグループも開発した[19]。アメリカのビッグサーエサレン協会を中心として、ニューエイジなどもくわわり、瞑想といった技法も研究されるようになった。ゲシュタルト療法は、エサレンを中心として発達した。

1969年にはトランスパーソナル心理学会が、LSDによる神秘体験を研究していたスタニスラフ・グロフと、上記人間性心理学のアブラハム・マズローによって設立される。瞑想などの伝統技法は第3世代の認知行動療法に影響した。

行動から認知へ

1967年にナイサーが情報処理の理論を取り入れた『認知心理学』という著作を公開し新しい時代を形作っていった。観察研究ができない精神分析の無意識と、行動主義の、行動および報酬と罰にしか焦点を当てない心理学ではなく、思考などの観察可能な認知に焦点を当てた手法が登場した。

アルバート・バンデューラは1977年に『社会的学習理論』を出版し、報酬や罰による誘導がなくても、他者の観察を通して単に真似することで学習するというモデリングの理論を唱えた[20]エドワード・L・デシは、自己決定理論(英語: Self-determination theoryを提唱し、自らがそれを行いたいから行動するようになるという自律性や内発的動機の理論を提唱した。マーティン・セリグマンは当初、回避できない罰を与えられた場合の学習性無力感の研究者であったが、次第にポジティブな学習に言及することが増え、ポジティブ心理学を1990年代に提唱する。

現状

21世紀初頭において、認知的な心的過程に関心を向けた認知心理学が支配的な位置を占める[6]


  1. ^ a b How does the APA define "psychology"?”. 2015年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年7月4日閲覧。
  2. ^ a b ヒルガードの心理学第15版 2012, p. 6.
  3. ^ a b c 心理学大図鑑 2013, p. 10.
  4. ^ ケン・ウィルバー、松永太郎訳『統合心理学への道』春秋社、2004年、10-11頁。ISBN 4-393-36035-4 
  5. ^ a b c d 心理学大図鑑 2013, pp. 目次, 35, 45.
  6. ^ a b 心理学大図鑑 2013, pp. 158–159.
  7. ^ 大槻快尊・述 1912, p. 4.
  8. ^ 加藤信明「アリストテレス『魂について』」『精神医学文献事典』弘文堂、2003年、12-13頁。ISBN 978-4-335-65107-6 
  9. ^ 心理学大図鑑 2013, pp. 20–21.
  10. ^ 心理学大図鑑 2013, p. 34.
  11. ^ a b 心理学大図鑑 2013, pp. 22–23.
  12. ^ a b c d e 心理学大図鑑 2013, pp. 58–59.
  13. ^ a b c d J.A.C.ブラウン、(翻訳)宇津木保、大羽蓁『フロイドの系譜―精神分析学の発展と問題点』誠信書房、1982年、28-29、42-43、59-60、92-93頁。ISBN 441442710X  Freud and the Post-Freudians, 1961
  14. ^ 中河原通夫「アードラー『人間知』」『精神医学文献事典』弘文堂、2003年、6-7頁。ISBN 978-4-335-65107-6 
  15. ^ 水野信義「コフート『自己の分析』」『精神医学文献事典』弘文堂、2003年、185頁。ISBN 978-4-335-65107-6 
  16. ^ 心理学大図鑑 2013, p. 80.
  17. ^ 心理学大図鑑 2013, p. 77.
  18. ^ 心理学大図鑑 2013, pp. 294–296.
  19. ^ a b 浅井直樹「ロジャース『カウンセリングとサイコセラピィ』」『精神医学文献事典』弘文堂、2003年、534頁。ISBN 978-4-335-65107-6 
  20. ^ 心理学大図鑑 2013, pp. 288–289.
  21. ^ a b 久保田正春「セリエ『現代社会とストレス』」『精神医学文献事典』弘文堂、2003年、251頁。ISBN 978-4-335-65107-6 
  22. ^ 内山真「アショフほか『ヒト概日リズムの脱同調』」『精神医学文献事典』弘文堂、2003年、2-3頁。ISBN 978-4-335-65107-6 


「心理学」の続きの解説一覧




心理学と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「心理学」の関連用語

心理学のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



心理学のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの心理学 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS