山下徳夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 01:00 UTC 版)
脚注
関連項目
- 鳥越製粉 - 徳次郎の六男で徳夫の弟にあたる山下義治が社長・会長を歴任した。
- 玉屋 - 徳夫の長女である縫子は佐賀玉屋社長である田中丸善次郎の長男の紘一郎と結婚した。紘一郎は2006年にヤマシタの代表取締役に就任した。
- 専修大学の人物一覧
公職 | ||
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先代 下条進一郎 |
厚生大臣 第73代:1991年 - 1992年 |
次代 丹羽雄哉 |
先代 塩川正十郎 |
内閣官房長官 第51代:1989年 |
次代 森山眞弓 |
先代 玉置和郎 後藤田正晴(事務代理) |
総務庁長官 第4代:1987年 |
次代 高鳥修 |
先代 細田吉蔵 |
運輸大臣 第56代:1984年 - 1985年 |
次代 三塚博 |
議会 | ||
先代 小此木彦三郎 |
衆議院議院運営委員長 1990年 - 1991年 |
次代 森喜朗 |
先代 三ッ林弥太郎 |
衆議院運輸委員長 1986年 |
次代 鹿野道彦 |
先代 葉梨信行 |
衆議院社会労働委員長 1980年 - 1981年 |
次代 唐沢俊二郎 |
その他の役職 | ||
先代 森口忠造 |
学校法人専修大学理事長 第5代:1988年 - 2003年 |
次代 出牛正芳 |
注釈
- ^ 三光汽船は奇しくも自身の派閥のリーダーであった河本敏夫がオーナーを務めていた会社であった。
- ^ 山下は1972年の日本航空ボンベイ空港誤認着陸事故にも遭遇して負傷し、1982年の日本航空350便墜落事故でも所用で1便遅れたことで搭乗を回避している[1][2]。
出典
- ^ a b c “日航機事故から35年”. 佐賀新聞LiVE (2020年8月12日). 2021年4月19日閲覧。
- ^ 第102回国会 参議院 運輸委員会 閉会後第3号 昭和60年8月16日(PDF) - 国会会議録検索システム、2021年4月19日閲覧。
- ^ “日航広報部員の御巣鷹:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2021年4月15日閲覧。
- ^ 海部俊樹『政治とカネ 海部俊樹回顧録』(2010)p.50
- ^ 杉江弘著『JAL123墜落事件』126頁
- ^ 山下徳夫元厚相が死去 国鉄民営化に尽力 [リンク切れ]Archived 2014年1月2日, at the Wayback Machine.共同通信2014年1月2日閲覧
[前の解説]
固有名詞の分類
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