ユリウス暦 ユリウス暦の概要

ユリウス暦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/17 14:01 UTC 版)

暦法 今日の日付(協定世界時
グレゴリオ暦 2024年07月17日
ユリウス暦 2024年07月04日

ローマ教皇グレゴリウス13世1582年10月4日の翌日から、ユリウス暦に換えて太陽年との誤差を修正したグレゴリオ暦を制定・実施したが、今でもグレゴリオ暦を採用せずユリウス暦を使用している教会・地域が存在する。グレゴリオ暦を導入した地域では、これを新暦(ラテン語: Ornatus)と呼び、対比してユリウス暦を旧暦と呼ぶことがある。

なお、天文学などで日数計算に用いられるユリウス通日があるが、これはユリウス暦とは全く異なるものである。

概要

平均太陽年を365.25日とする太陽暦の一種であり、1年を365日とする年と4年に1回366日とする年を設けた。

      365(日)+ 1/4(日) = 365.25(日) …… 1年間の平均日数(平均年)

月は従来のローマ暦のものを基本的に踏襲し、月ごとの日数を調整して合計を平年の365日または閏年の366日とした。閏日が加えられる閏年は4年ごとに1回設けられ、ローマ暦時代の閏月と同じく2月に挿入された。

なお、ユリウス暦は「紀年法」ではなく、「暦法」である。ユリウス暦が採用されていた時代の紀年法には、45世紀頃、アレクサンドリアキリスト教徒が用いたディオクレティアヌス紀元(皇帝ディオクレティアヌスの即位(284年)を紀元とする)、それを6世紀ローマの神学者ディオニュシウス・エクシグウス525年頃の著書『復活祭の書』(復活祭暦表)でローマ建国紀元754年をイエス・キリスト生誕元年とするキリスト紀元(いわゆる西暦)がある。キリスト紀元は10世紀頃に一部の国で使われ始め、西ヨーロッパで一般化したのは15世紀以降のことであるという。ユリウス暦における置閏法の成立は、キリスト紀元の考案に先行するものであるが、閏年は偶然にも同紀元が4で割り切れる年と一致しており、グレゴリオ改暦の際にもこの法則が使われている[1]

制定の経緯については、ローマ暦#末期のローマ暦を参照のこと。

ユリウス暦の精度

ユリウス暦では、1年は365.25日 = 31 557 600 秒である。これに対して、実際の太陽年は、2015年時点で、31 556 925.168秒 = 約365.242 189 44日である。その差は、674.832 秒 = 11分14.832である。86 400 秒( = 1日)/674.832 秒 = 128.032 であるから、約128年で1日のずれが、約1280年で10日ものずれが生ずることになる。カエサルの活躍した古代においては格段に正確な暦ではあったが、このような時代的な限界もあった。ユリウス暦の制定後、約1500年が経過した1582年にグレゴリオ暦への改暦が行われたのはこのためである。

キリスト教への採用

キリスト教の多くの宗派が同暦を宗教暦として採用してからは、キリスト教の各行事を行う期日を定める基準としても使われるようになった。 ただし、イエス・キリストの処刑と復活の記事は、新約聖書において太陰太陽暦であるユダヤ暦に基づいて記述されている[注釈 2] ため、復活祭の期日は、太陽暦であるユリウス暦のみでは決定できず、季節(太陽年)と月齢(太陰月)の双方に合わせる作業が必要となった。第一次ニケーア公会議325年に、「春分日であるユリウス暦3月21日の後の最初の満月の次の日曜日」を復活の主日とするように定めた。このように規定した結果、ユリウス暦の誤差が、復活祭の期日制定に直接影響することになった。確かに4世紀にはユリウス暦3月21日頃にあったと想定される実際の天文学的な春分日は、16世紀後半になると、10日も前のユリウス暦3月11日頃に到来するようになっていた。カトリック教会はこの事態を受けて、3月21日を天文学的春分日に出来る限り近づける暦法を制定[注釈 3] して改暦することとなった。これがグレゴリオ暦である。1582年2月24日[注釈 4]、グレゴリウス13世によってグレゴリオ暦が発布され、ユリウス暦1582年10月4日木曜日の翌日を以って、グレゴリオ暦同年10月15日金曜日とし、以降グレゴリオ暦を実施することとした。しかし、改暦はローマ教皇の独断専行であってニケーア公会議の決定に反するとして、西ヨーロッパでも、プロテスタント地域を中心に、グレゴリオ暦をすぐには採用しない地域が多くあった。それでも、天文学的優秀性から、プロテスタント地域でも徐々に広まっていき、最後まで残ったイギリスが1752年に採用したことで、西ヨーロッパの全ての地域が公式にグレゴリオ暦を使用するようになった。更に正教会圏や、他の宗教の地域でもグレゴリオ暦が使われるようになっており、今でもユリウス暦を用いているのは、正教会の一部等となっている(詳しくは後述。またグレゴリオ暦の記事を参照)


注釈

  1. ^ 循環論法となってしまうため、参考として他の暦法の期日を示す。同日は中国暦初元3年11月29日、ユダヤ暦3716年4月29日である。計算はhttp://hosi.orgによる。
  2. ^ イエスの処刑は、ユダヤ教の過越しの日の前日すなわちニサン月14日(ヨハネによる福音書)または過越祭第一日目の同月15日(共観福音書)とある。
  3. ^ 改暦勅書(Inter gravissimas)6節および7節。"Quo igitur vernum aequinoctium, quod a patribus concilii Niaeni ad XII Kalendas Aprilis fuit constitutum, ad eamdem sedem restituatur..."いかにして(天文学的)春分をニケーア公会議で「固定」された3月21日に近づけるかが問題とされている。
  4. ^ 改暦勅書原文は1581年(anno Incarnationis dominicae MDLXXXI)と発布日を記す。記事で詳述するように中世以降のユリウス暦の新年は1月1日とは限らなかった。当時のローマ教皇庁自体、3月25日をユリウス暦新年とする暦法を採用していたため、2月24日は前年となる。
  5. ^ 紀元前45年から紀元前5年までは40年である。したがって、4年に1度の閏年であれば、10回の閏年を入れるべきであった。しかし、誤って閏年を3年に1度置いたので、40÷3 = 13回の閏年を入れてしまった。そのため、13 - 10 = 3回分の閏年を省けばよいことになる。
  6. ^ 「ゲルマニクス」はカリギュラの本名の最後の部分の名前であり、かつ自分の父(ゲルマニクス)の最初の部分の名前でもある。
  7. ^ ユリウス=クラウディウス朝の5人の皇帝のうち、自分の人名を月の名前に付けようとしなかったのはティベリウスだけである。
  8. ^ 詳細な証拠については、en:Julian calendarを参照
  9. ^ なお、イードゥースのほかにもノーナエという特別な名で呼ばれた日付があり、これを使っても月の日数を推定できる。
  10. ^ en:Julian calendarによれば、紀元前12年より前、祭事の日付による逆算ですでに2月の日数が28日であった証拠があるという。
  11. ^ 日本標準時(JST)では同日の午前9時
  12. ^ a b c d e この期間は「ユリウス暦とグレゴリオ暦との差は○日」と一概には言えない。例えば、ユリウス暦1700年2月19日はグレゴリオ暦では1700年3月1日だが、1700年2月19日と1700年3月1日との差は、ユリウス暦では11日だが、グレゴリオ暦では10日である。

出典

  1. ^ 改暦勅書の第9節
  2. ^ july | Search Online Etymology Dictionary”. www.etymonline.com. 2019年12月7日閲覧。
  3. ^ august | Origin and meaning of august by Online Etymology Dictionary” (英語). www.etymonline.com. 2019年12月7日閲覧。
  4. ^ John J. Bond, "Commencement of the Year", Handy-book of rules and tables for verifying dates with the Christian era, (London: 1875), 91–101.
  5. ^ Mike Spathaky Old Style and New Style Dates and the change to the Gregorian Calendar: A summary for genealogists
  6. ^ The source has Germany, whose current area during the sixteenth century was a major part of the Holy Roman Empire, a religiously divided confederation. The source is unclear as to whether all or only parts of the country made the change. In general, Roman Catholic countries made the change a few decades before Protestant countries did.
  7. ^ Sweden's conversion is complicated and took much of the first half of the 18th century. See Swedish calendar.
  8. ^ Per decree of 16 June 1575. Hermann Grotefend, "Osteranfang" (Easter beginning), Zeitrechnung de Deutschen Mittelalters und der Neuzeit (Chronology of the German Middle Ages and modern times) (1891–1898)
  9. ^ 1751 in England only lasted from 25 March to 31 December. The following dates 1 January to 24 March which would have concluded 1751 became part of 1752 when the beginning of the numbered year was changed from 25 March to 1 January.
  10. ^ "The Blackwell Dictionary of Eastern Christianity" Wiley-Blackwell; New edition (2001/12/5), p353, ISBN 9780631232032
  11. ^ a b 質問: クリスマスは12月25日?ロシアでは1月7日に祝うと聞いたのですが
  12. ^ a b Revised Julian Calendar - OrthodoxWiki






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