タレント政治家 タレント政治家の概要

タレント政治家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/24 09:39 UTC 版)

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国会議員などの場合には、タレント議員とも言う。

概説

タレント政治家については、明確な定義があるわけではない。

タレント業を生業としている者(芸能人)だけについてそう呼ぶ場合もあれば、単にメディアを通じて高い知名度があるという理由でタレント政治家と呼ばれる場合もある。メディアを通じて高い知名度があった場合には学者・作家・芸術家といった文化人や、スポーツ選手ジャーナリスト、特に放送局の社員であって厳密にはタレントには含まれないはずのアナウンサーや記者出身の政治家などについてもそのように表現されることもある。日本においてはテレビの普及以降高橋圭三宮田輝田英夫秦豊畑恵黒岩祐治丸川珠代杉尾秀哉などアナウンサー・ニュースキャスター出身の政治家は増えている。彼らはメディアを通じて自身の諸活動が大衆に認知されている、というよりメディア自体が職場であった者であるが、いずれもメディアにおいて仕事をしてきた結果メディアを通じて高い知名度を得ている。またメディア側の変質もあり(高橋圭三や秦豊は放送局退社後もフリーアナウンサー・司会として長くメディアにおいて活動していた人物であり、芸能人や文化人的な一面も備えた存在であった)、選挙時にはアナウンサー出身者もタレント候補として扱われるようになっていった。

個人として高い知名度を持つタレントは、選挙のための広報活動を行わなくとも有権者に認知されるため、選挙活動においては有利に働くこともある。たとえば作家・タレントとして高い知名度を持っていた青島幸男は、選挙公報作成と政見放送録画を除いて当人や秘書や支援者は一切の選挙運動を行わなかったが、それでも毎回当選していた。

政党がタレントの擁立に走る背景としては、短期間の選挙運動で大量の得票ができるタレント候補は、選挙戦術上有効であるということや、選挙演説などで党の広告塔的役割を担ってもらうことができるということなどがある。一方で政治に関する経験や知識の少ないタレントが立候補するとの批判、および政党・政治団体がタレントを立候補させることを有権者から集票するための安易な客寄せに過ぎないとの批判がしばしば行われるが、職業差別に過ぎないとの反論もある。最終的には有権者の判断次第、というのが大方の見方である。

前述のようにタレント政治家と呼ばれる政治家(あるいは候補者)には文化人アナウンサー、あるいはタレント業を職業とするものであっても政治に関し専門的に学んだ者も含まれている。

タレント政治家の中には自らをタレント政治家と扱われたり、知名度のみで当選したとされたりすることに不満を持つ場合も少なくない。そのため選挙の際にはマニフェストなど政策の具体性を強調したり、親族あるいは友人や師弟関係にある者その他の交友の深いタレント(あるいは著名人)が応援演説を申し出てきてもあえて断ったりして、自らがその他のタレント政治家とは一線を画するとする戦術を採ることも多い。

日本での歴史

作家やタレント等、他分野での高い知名度を持つ議員は帝国議会創設間もない時期からおり、小説「佳人之奇遇」で知られる東海散士1892年第2回総選挙から8回連続当選している。1908年第10回衆議院議員総選挙に、日露戦争で対露強硬論を唱え「バイカル博士」として大衆的人気を集めた東京帝国大学教授の戸水寛人が出馬、当選している。ただし、当時の帝大教授のステータスを考えれば現在の学者出身タレント議員とは同列に出来ない面もある(当時の貴族院には帝大や帝国学士院会員の任命枠があった。また戸水は法学博士であり他の学問と比較すると政治と距離が近い)。政治講談で知られる伊藤痴遊は政治活動を開始した後に講談師となったが、東京市会や第16回衆議院議員総選挙第18回衆議院議員総選挙で当選している。

1898年第5回総選挙第6回総選挙に芸術家の川上音二郎1915年第12回衆議院議員総選挙に歌人の与謝野鉄幹1928年第16回衆議院議員総選挙に作家の菊池寛らが立候補しているが、いずれも落選している。また貴族院議員の中には、画家の黒田清輝、「虎狩りの殿様」で著名となった徳川義親など、高い知名度を持ち、現在ならタレント議員と目されたような人物が幾人か存在した。前記の戸水寛人と並んで帝大七博士として有名になった小野塚喜平次も、帝国学士院枠で貴族院議員になっている。ただし徳川義親と黒田清輝は継承した爵位による就任であり、個人の声名のみで議員となったわけではない(徳川は侯爵議員なので本人の能力にかかわらず議員の地位は約束されていた。黒田は子爵議員)[1]。終戦後も貴族院では、ジャーナリストの長谷川如是閑、作家の山本有三武者小路実篤といった有名人が勅選議員に任じられている。

1946年、戦後初の衆議院議員総選挙、第22回衆議院議員総選挙大選挙区の東京1区から立候補して当選した吉本興業東京吉本)所属の演歌師・石田一松が、一般的にはタレント議員第一号と言われている[2]。ただ石田当選時には芸能人等を指して「タレント」と表現する用法はまだ存在しておらず、石田は在職中「タレント議員」と呼ばれることはなく、専ら「芸能人代議士」と形容された。この年の選挙には作家の石川達三と元横綱男女ノ川登三(立候補時は本名の坂田供次郎)が立候補しているが、いずれも落選している。男女ノ川の伝記を書いた川端要壽は、「今の選挙なら、男女ノ川や石川ほどの知名度があればまず当選していただろう。時代が悪かったともいえるし、国民が真面目だったともいえる」と書いている[3]

「タレント議員」という呼称がマスコミ等で使用されるようになった契機は、職業をまさに「タレント」と称していた藤原あきが、1962年7月の第6回参議院議員通常選挙全国区において116万票の大量得票でトップ当選した際の報道であった。政治家藤山愛一郎の親族であったとはいえ、選挙前までは全く政治活動に関わっておらず、政治的な発言も無かった藤原がそれまでに例のない大量得票をしたことは社会に大きな印象を与えた。また藤原は当選時前夫藤原義江とは既に離婚しており、「藤原あき」は芸名(通名)であった。従って参議院では当時の規則により本名の「中上川(なかみがわ)あき君」と呼ばれた。タレント候補は選挙時には芸名を使用できるが、ひとたび議員となれば参議院内では本名で活動しなければならないという規則が存在していることが広く知られるようになり、タレント議員の特徴の一つとして認識された。

こうしたことから藤原は「タレント議員のはしり」と言われるようになり、またこれ以後タレント議員というマスコミ用語が定着、現在のような意味合いで使用される表現となった。

日本国憲法下で参議院が誕生し、1980年まで参議院選挙には全国区制があったため、知名度のあるタレントが議員になりやすい傾向があり、1960年代から1970年代にかけてタレント議員が急増すると、「芸能院」と揶揄されることもあった。

1968年参議院選挙では、自民党から作家の石原慎太郎が300万票を超える大量得票でトップ当選したほか、社会党からNHK記者の上田哲、無所属で放送作家・テレビタレントの青島幸男、漫才師の横山ノックが初当選。

1971年参議院選挙でも、社会党からニュースキャスターの田英夫、女優の望月優子自民党から歌手の安西愛子、無所属で落語家の立川談志、放送作家・テレビタレントの野末陳平(繰り上げ当選)らが当選する。

1974年参議院選挙では、自民党からNHKアナウンサーの宮田輝、女優・テレビタレントの山東昭子、経済評論家の斎藤栄三郎、女優の山口淑子社会党からニュースキャスターの秦豊、無所属では漫才師のコロムビア・トップらが初当選を果たした。これらの中には、山東昭子日立グループ宮田輝トヨタグループからの全面的な支援をうけていたように、組織型選挙のいわば広告塔的な役割を果たしていたものも多い。

1977年参議院選挙でも、自民党から女優の扇千景、無所属でテレビ司会者の八代英太、元NHKアナウンサーの高橋圭三らが当選している。

1983年に参議院選挙の全国区制が廃止・比例代表制厳正拘束名簿式が導入された。この制度では個人名での投票が認められないため、タレント候補の擁立は下火となる(1989年の参院選では、スポーツ平和党から出馬したプロレスラーのアントニオ猪木が「猪木」「猪木党」という票をすべて無効票とされ最下位当選となったことがある)。

2001年から個人名でも投票できる比例代表制非拘束名簿式に改定されたため、知名度による集票力を見込んで政党がタレント候補を擁立するケースが再度注目されるようになった。

非拘束名簿式になって初めての選挙となった2001年参議院選挙では、多くの政党がタレント候補の擁立に走り、舛添要一大仁田厚(以上自民党)、田嶋陽子社民党)、大橋巨泉民主党)らが比例区で当選を果たした。 また、自由連合が政治経験が全くないタレント候補を大量に擁立したが、当選者を出すことができなかった。当選を果たした大橋・田嶋が短期間で辞職したこともあり、安易なタレント擁立に対する批判が強まった(ただし、田嶋の議員辞職は神奈川県知事選挙立候補という理由がある)。この選挙時の自由連合の代表であり、タレント擁立の当事者であった徳田虎雄は、「二世議員より苦労して一流になったタレントのほうがまし」という反論をしている(ただし、徳田が引退した際には子息の徳田毅が後継者になっている)。またスポーツ紙ではスポーツ選手を含めたタレント候補は選挙活動中の動向について、他の候補よりも記事として掲載されやすい傾向がある[4]。選手以外では1964年東京五輪で女子バレーが金メダルを獲得したときの監督である大松博文、「日本レスリングの父」八田一朗も議員経験がある。

その後も自由連合のような極端な事例こそないものの、参院選の比例区を中心としたタレントの擁立は続いた。

浮動票の多い都市部ではタレント候補に票が集まりやすいとされ、タレント政治家を輩出しやすいと言われている。特に大阪府ではお笑いタレントの当選が注目されることが多いため、「お笑い票」「お笑い百万票」が存在するとマスコミで表現、揶揄されることがある[5]。ただし2004年大阪府知事選挙では江本孟紀 [6]2019年埼玉県知事選挙では青島健太が立候補するも落選しており、必ずしも知名度だけが当選に影響を与える理由にはならないとされる。またタレント政治家は他の都市部でも輩出し他の地域では「タレント票」として注目されることもあるが、これらの票も有権者投票行動を客観的に調査したものではなく、組織票のような明確な根拠はない。

都市部の国政選挙では1983年横山ノックが全国区から大阪府選挙区に転進して当選、1986年に西川きよしが参院選で初当選し3期つとめ、参議院東京都選挙区でも1986年に小野清子、1992年に森田健作、1998年に中村敦夫、2004年に蓮舫、2007年に丸川珠代、2013年に山本太郎、2016年に朝日健太郎、2019年には塩村文夏が初当選するなど、タレント候補の当選が注目された。

地方の国政選挙でも、参議院では2010年に石井浩郎(秋田選挙区)、2016年に杉尾秀哉(長野選挙区)、2019年に芳賀道也(山形選挙区)、石垣のりこ(宮城選挙区)がそれぞれ当選したほか、同年には愛媛選挙区で元アナウンサーの永江孝子[7]とローカルタレントのらくさぶろうのタレント候補同士の一騎打ちとなったことがある(永江が当選)。また、衆議院でも、参議院議員から転身したプロレスラーの馳浩石川1区)や2012年第46回衆議院議員総選挙で五輪メダリスト初の衆議院議員となった堀井学北海道9区)などわずかながら当選例がある。なお、地方選出の国政選挙の場合は定数が1議席のみということが多く、浮動票だけでなく地元経済界や労働組合などのバックアップを受けた組織型選挙を展開することも多い。

地方選挙においてもタレント政治家が当選を果たすことも少なくない。地方のタレント政治家の例としては、


  1. ^ 子爵議員は互選であり、黒田は有力者への接待として絵画を贈っていたようである。内藤一成「貴族院」同成社、P76。
  2. ^ 矢野誠一 「タレント議員第一号・石田一松」『さらば、愛しき藝人たち』、矢野誠一、文藝春秋1985年、121-135頁。
  3. ^ 川端要壽「下足番になった横綱」P190、2003年1月1日文庫版初版、小学館文庫(初出1996年)
  4. ^ 三浦博史「ネット選挙革命」(PHP研究所)
  5. ^ 『「お笑い票」の行方は?』産経新聞の2008年1月18日ネット掲載記事
  6. ^ 『タレント票 各党「脅威」 Newsプラス 大阪のタレント票』毎日新聞2010年4月14日大阪版記事
  7. ^ 過去に愛媛1区にて衆議院議員1回当選
  8. ^ 議員について:よくある質問:参議院 参議院公式サイト
  9. ^ 現役オートレーサー梅内幹雄が船橋市議選に立候補 ニッカンスポーツ 2015年3月29日
  10. ^ “イタリア、ウクライナ、グアテマラ......お笑い芸人が政治を支配する日”. (2019年3月13日). https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/03/post-11836.php 2019年4月22日閲覧。 
  11. ^ “このハゲー!”豊田真由子、“炎上芸”上西小百合……「元議員タレント」はありかなしか週刊文春2020年4月22日


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