だいさん‐き【第三紀】
第三紀
【英】: tertiary period
| 地質時代最新の新生代のうちの前半部であり、絶対年代では 65 百~ 2 百万年前に相当する。古い方から暁新世、始新世、漸新世(以上古第三紀)、中新世、鮮新世(以上新第三紀)に細分される。この時代に堆積{たいせき}した地層(第三紀層または第三系)はわが国だけでなく、世界的にも主要な産油・ガス層となっている。 |
第三紀
第三紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/03/14 16:12 UTC 版)
| 累代 | 代 | 紀 | 世 | 期 | 基底年代 Mya[* 3] |
|---|---|---|---|---|---|
| 顕生代 | 新生代 | 第四紀 | 完新世 | メガラヤン | 0.0042 |
| ノースグリッピアン | 0.0082 | ||||
| グリーンランディアン | 0.0117 | ||||
| 更新世 | 後期更新世 | 0.129 | |||
| チバニアン | 0.774 | ||||
| カラブリアン | 1.8 | ||||
| ジェラシアン | 2.58 | ||||
| 新第三紀 | 鮮新世 | ピアセンジアン | 3.6 | ||
| ザンクリアン | 5.333 | ||||
| 中新世 | メッシニアン | 7.246 | |||
| トートニアン | 11.63 | ||||
| サーラバリアン | 13.82 | ||||
| ランギアン | 15.97 | ||||
| バーディガリアン | 20.44 | ||||
| アキタニアン | 23.03 | ||||
| 古第三紀 | 漸新世 | チャッティアン | 27.82 | ||
| ルペリアン | 33.9 | ||||
| 始新世 | プリアボニアン | 37.8 | |||
| バートニアン | 41.2 | ||||
| ルテシアン | 47.8 | ||||
| ヤプレシアン | 56 | ||||
| 暁新世 | サネティアン | 59.2 | |||
| セランディアン | 61.6 | ||||
| ダニアン | 66 | ||||
| 中生代 | 251.902 | ||||
| 古生代 | 541 | ||||
| 原生代 | 2500 | ||||
| 太古代[* 4] | 4000 | ||||
| 冥王代 | 4600 | ||||
第三紀(だいさんき、Tertiary period)は、かつて使われた地質時代区分。三紀層とも。絶対年代は、6430万年前から180.6万年前まで[1]。現行区分では、おおむね古第三紀と新第三紀に当たる。
運用の歴史
1759年、ヴェネツィア(現在のイタリア)の地質学者ジョヴァンニ・アルドゥイノが提唱した3紀(のちに第四紀が加わって4紀)のうち1つである[2][3]。現生生物に近い[3]、または現生生物に近いが、形が少し違う生物の化石が出る時代とされた[4]。
地質学研究の初期、キリスト教的歴史観ではこれらの時代が聖書に対応するとされており、第三紀の岩石はノアの大洪水と関連していると考えられていた。
アルドゥイノの定義した「第三紀」は、第一・第二紀と違い、イタリアの海成層を標準にたてられ、そこに含まれる貝化石が研究されており[5]、実態とおおよそ一致していた。そのため、長らく白亜紀の次に来る新生代の最初の時代(紀)として、第三紀(英語: Tertiary)は採用されてきた。
ただ、第三紀は前半と後半で、生物相が大きく異なる事が19世紀から指摘され、1853年、オーストリアの古生物学者モーリッツ・へルネスが「Neogene」[6][7]、1866年、ドイツの地質学者C.F.ナウマンが「Paleogene」を提唱した[7][8]。以後、19世紀後半から20世紀前半まで、古第三紀(Paleogene)と新第三紀(Neogene)を第三紀(Tertiary)の亜紀とする分類法が使われてきた[7][9][10][11]。
20世紀後半に入り、1959年にソ連、1968年にイギリス、1989年にアメリカ合衆国など、主要国で「第三紀」は非公式用語となった[12]。1989年には国際地質科学連合(IUGS)が新生代をPaleogene(古第三紀)、 Neogene(新第三紀)、 Quaternary(第四紀)の3つの紀からなるものとし、Tertiary の語を正式な用語から外し、非公式用語となった[13][14]。
新生代の区分については、その後も第四紀の廃止提案や、新第三紀と第四紀の境界変更など議論が続いたが、2009年に現在の定義(2008年改定)がIUGSに批准された[15]。
2009年のIUGS勧告を受け、日本学術会議地球惑星科学委員会 IUGS 分科会、同 INQUA(国際第四紀学連合) 分科会、日本地質学会、日本第四紀学会は、第三紀を非公式用語とした[16]。しかし、日本語では「Paleogene」が「古第三紀」、「Neogene」が「新第三紀」と訳され、2009年の新定義批准後も当面のこととして「第三紀」を含む訳が踏襲されている[15]。この決定について、鈴木寿志は訳の不適切さを指摘している[17]。また、石渡明は第三紀の亜紀を前提とした名称の使用への違和感、保柳康一は論文執筆での混乱の懸念から、早期の新訳語移行の必要性を提起している[16]。
脚注
- ^ “地質時代区分・第四紀の再定義 ―人類の出現と世界的な寒冷化のはじまり(前編)―”. 地層科学研究所. 2026年2月28日閲覧。
- ^ “生命三十六億年(16) 古第三紀~ - 裏辺研究所(動植物・古生物研究所)”. www.uraken.net. 2026年3月3日閲覧。
- ^ a b “株式会社東開基礎コンサルタント | 一紀と二紀はどこへ行ったのか(1)地質年代について”. tokai-kiso.co.jp. 2026年3月3日閲覧。
- ^ だいよんき Q&A - 日本第四紀学会
- ^ やさしい地質学 - 第四紀の話(その1)
- ^ Walsh, Stephen L. (2008-07-01). “The Neogene: Origin, adoption, evolution, and controversy”. Earth-Science Reviews 89 (1): 42–72. doi:10.1016/j.earscirev.2007.12.001. ISSN 0012-8252.
- ^ a b c “古第三紀”. コトバンク. DIGITALIO. 2026年2月16日閲覧。
- ^ “Paleogene” (P1). MUZEUM PIG-PIB. Państwowy Instytut Geologiczny. 2026年2月16日閲覧。
- ^ Walsh, Stephen L. (2008-07-01). “The Neogene: Origin, adoption, evolution, and controversy”. Earth-Science Reviews 89 (1): 42–72. doi:10.1016/j.earscirev.2007.12.001. ISSN 0012-8252.
- ^ “新第三紀”. コトバンク. DIGITALIO. 2026年2月16日閲覧。
- ^ 山口寿之. “第三紀”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク所収). 2017年5月24日閲覧。
- ^ “日本地質学会 - 報告_2019.11.23「GSSPシンポジウム:国際層序の意味と意義」”. geosociety.jp. 2026年3月3日閲覧。
- ^ "第四紀"が地質年代区分から消える? 斎藤 文紀 (地質情報研究部門)
- ^ “化石のこばなし 生物の大量絶滅—P/T境界とK/Pg境界”. 第42回特別展大化石展. 大阪市立自然史博物館 (2011年). 2017年5月24日閲覧。
- ^ a b “地球史Q&A”. 日本地質学会. 2017年5月24日閲覧。
- ^ a b “日本地質学会 - 第四紀下限変更に伴う諸問題検討に関する報告”. geosociety.jp. 2026年3月14日閲覧。
- ^ 鈴木, 寿志 (2023). “日本人はいつまで「第三紀」を使うのか?”. 日本地質学会学術大会講演要旨 2023: 180. doi:10.14863/geosocabst.2023.0_180.
関連項目
外部リンク
- 仲田崇志 (2009年10月29日). “地質年代表”. きまぐれ生物学. 2011年2月15日閲覧。
第三紀
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長さ3021年だった。特に記していない場合、追補編 B等(註を参照)によっている。 ホビット庄暦についての注意: 第三紀1601年にホビット庄は設立され、この年がホビット庄紀元元年である。したがって、第三紀の年号から1600を引くことでホビット庄暦の年に変換することができる。 2年 - ミナス・ティリスで白の木が植えられ、あやめ野の戦いでオークにイシルドゥアが殺され、一つの指輪はあやめ川に失われた。 109年 - エルロンドはケレボルンとガラドリエルの娘ケレブリーアンと結婚した。 130年 - エルロンドとケレブリーアンの間にエルラダンとエルロヒアが生まれた。 241年 - エルロンドとケレブリーアンの娘アルウェン・ウンドーミエルが生まれた。 492年 - 東夷がゴンドールに侵入した。 541年 - 東夷がゴンドールに再度侵入しローメンダキル王を殺した。 550年頃 - ゴンドールのトゥランバール王はリューンの東夷を破った。ロヴァニオンの王国はゴンドールの同盟国になった。 861年 - エアレンドゥアの死の後、アルノール王国はアルセダイン、カルドラン、およびルダウアに分裂した。 933年 - ゴンドールのエアルニル1世は奇襲によりウンバールを奪取した。 936年 - エアルニル1世は海で行方不明となった。 1000年頃 - 魔法使いが中つ国に来た。 1015年 - ヒャルメンダキル1世はゴンドールの王位に就いた。 1015年 - ウンバールの黒きヌーメノール人はかれらの故地を包囲した。 1030年 - ウンバールの包囲が終了し、黒きヌーメノール人はウンバールを回復した。 1050年 - ゴンドールの王ヒャルメンダキル1世はウンバールを征服した。ホビットがエリアドールに入植した。 1149年 - ヒャルメンダキル1世が死に、アタナタールはゴンドールの王位についた。 1200年頃 - ロヴァニオンの統治者は、「ロヴァニオンの王」になった。 1248年 - ゴンドールのローメンダキル2世は決定的な打撃を東夷に与えた。ロヴァニオンとの強固な同盟を形成し、アンドゥインの東の地すべてをロヴァニオンに割譲した。 1255年 - エルダカール生まれる。 1259年頃 - カスタミア生まれる。 1300年 - ナズグールが中つ国に再び現れ、魔王が造ったアングマールの王国が初めてアルセダインの北東の境界に現れる。 1344年 - ヴィドゥマヴィの死。 1356年 - アルセダインの王アルゲレブ1世は、いまやアングマールの操るルダウアの侵略を受け、殺された。かれの息子アルヴェレグ1世が王位を継いだ。 1366年 - ヴァラカールがゴンドールの王座を継いだ。 1409年 - カルドランはアングマールの王国によって征服され、ルダウアは滅亡。風見が丘の見張り搭と防備は、焼かれ、破壊された。 1432年 - エルダカールは、かれの父ヴァラカールの後を継いでゴンドールの王となった。 1437年 - 艦船の主、簒奪者カスタミアはゴンドールの王を僭称した。オスギリアスのパランティーアは川の中に失われた。 1447年 - エルダカールはロヴァニオン軍と共にゴンドールを回復し、カスタミアを殺した。 1448年 - 簒奪者カスタミアの息子とゴンドールの艦隊の大部分は南のウンバールまで逃れる。ウンバールの海賊として知られるようになった。 1540年 - ゴンドールのアルダミア王はハラドリムに殺された。 1600年 - 二人のファロハイド(ホビットを参照)の兄弟が、バランドゥイン川に渡り、対岸に住み着き、多くのホビットが後に続いた。 1601年 - ホビット庄へのホビットの植民始まる。 1634年 - ウンバールの海賊がゴンドールを襲い、ペラルギアでミナルディル王を殺し、都市を略奪した。 1636年 - 悪疫によりゴンドールとロヴァニオンの人口が激減した。 1810年 - ゴンドールのテルメフタール王はウンバールを滅ぼし、ウンバールダキルと改名した。 1851年 - 馬車族が初めてゴンドールを攻撃した。 1856年 - 馬車族がゴンドールの東の領土を侵略した。ナルマキル2世の死。 1899年 - ゴンドールは東から馬車族を攻撃した。馬車族によって占領されていたロヴァニオンは反乱を起こし、解放された。 1936年 - オンドヘアはカリメフタールの後を継いぎゴンドールの王となった。 1944年 - 馬車族とハラドリムの侵入時の戦いで、ゴンドールのオンドヘア王は息子たちとともに殺された。 1945年 - エアルニル2世がゴンドールの王を継いだ。 1964年 - アルセダインのアラファント王の息子、アルヴェドゥイが王位にいた。 1974年 - アルセダインの王国はアングマールに征服された。 1975年 - アルヴェドゥイの死。ゴンドールはフォルンオストの合戦でアングマールを滅ぼした。 1980年 - モリアのドワーフはドゥリンの禍すなわちバルログを呼び覚ましてしまった。これに、カザド=ドゥームの王ドゥリン6世が殺された。ナズグールがモルドールに戻り、ミナス・イシルを包囲した。 1999年 - エレボールが創建された。 2050年 - ゴンドールの王朝の終わり(エレッサール王の帰還まで)。 2430年頃 - スメアゴルの誕生。 2460年 - サウロンが中つ国に戻った。南闇の森のドル・グルドゥアに拠点を確立した。 2463年 - いとこのデアゴルを殺した後、後にゴクリとして知られることになるスメアゴルが4番目の一つの指輪の所持者となる。 2501年 - エオルがエオセオドの統治者となる。 2509年 - ゴンドールの執政キリオンは軍事援助の要請をエオセオドに送った。ケレブリーアンはオークに待ち伏せられて、毒の傷を受け、これにより中つ国を去った。 2510年 - ローハンとゴンドールとの同盟が発効する。東夷はゴンドールへの大規模な侵入に着手した。バルホスはロヴァニオンを侵略して、独立しているくにとしては滅亡させた。そしてゴンドールに侵入し、カレナルゾンの大部分を征服したが、エオセオドの人々が撃退した。ゴンドールはカレナルゾンの無人の州をエオセオドの人々に与えた。 2545年 - ローハンの最初の王、青年王エオルは東夷との高地(ウオルド)の戦いで死んだ。ブレゴは第2代ローハン王としてかれの後を継いだ。 2570年 - アルドールは、わずか26歳で父ブレゴの死でローハンの3番目の王になった。 2645年 - フレアはかれの父のアルドールの死後にローハンの4番目の王になった。 2659年 - フレアヴィネ、ローハンの5番目の王即位。 2680年 - ゴールドヴィネ、ローハンの6番目の王即位。 2699年 - デオル、ローハンの7番目の王即位。 2718年 - グラム、ローハンの8番目の王即位。 2741年 - ローハンの9番目の王槌手王ヘルムが王位に就いた。第一王家の最後の王となった。 2746年 - ドル・アムロスの第15代大公アムソロスはウンバールの海賊に対するドル=エン=エアニルの防衛戦で落命した。 2758年 - 褐色人は、ウルフの下、ウンバールの海賊の助けを得てローハンに侵入した。 2758-2759年の長い冬 - 褐色人は角笛城を包囲した。 2759年 - ローハンの王、槌手王ヘルムは褐色人に殺された。かれの甥ヒルデの息子フレアラフが後を継いだ。サルマンがアイゼンガルドに住みついた。 2798年 - ヒルデの息子フレアラフ、ローハンの10番目の王は死んだ。かれの息子ブリッタ・レオファが後を継いだ。 2799年 - アザヌルビザールの戦いがモリアの東門であった。そこで、ドワーフはサウロンの手先のオーク達を破ったが、ドゥリンの禍(バルログ)とは戦うことなく撤退した。 2842年 - ブリッタ・レオファ、ローハンの11番目の王は死んだ。 かれの息子ヴァルダが後を継いだ。 2850年 - ガンダルフは、ドル・グルドゥアに入り、そこでサウロンが戻ってきたと確認した。 2851年 - ヴァルダ、ローハンの12番目の王はオークに殺され、かれの息子フォルカが後をついだ。 2864年 - フォルカ、ローハンの13番目の王は雑木山の大猪に殺される。息子のフォルクヴィネが後をついだ。 2885年 - ハロンドールが再度ウンバールの海賊の支持を受けたハラドリムに侵略される。フォルクヴィネ王の双子の息子、ファストレドとフォルクレドはポロスの渡しの戦いで、殺された。 2890年9月22日 - ビルボ・バギンズ生まれる。 2903年 - フォルクヴィネ、ローハンの14番目の王は死んで、かれの末の息子フェンゲルが後を継ぐ。 2907年 - ギルラインの誕生(後にアラソルン2世の妻となる)。 2911-2912年 - 凶年の冬。狼がホビット庄に侵入した。その後の洪水でサルバドは壊滅した。 2930年 - アラソルン2世はドゥーネダインの族長になった。 2931年 - アラソルン2世とギルラインの息子、アラゴルンの誕生。 2933年 - アラソルン2世はオークを狩っていて、殺される。 2941年7月 - ビルボ・バギンズが一つの指輪を手に入れた。白の会議はドル・グルドゥアからサウロンを追い出した。 2941年10月 - エスガロスは竜のスマウグに攻撃され、その後スマウグは弓の達人バルド(英語版)に殺された。五軍の合戦。 2951年 - 後にアラゴルンとして知られることになるエステルは成年に達し、かれの遺産について話を聞く。ウンバールの海賊は、モルドールと公然と同盟し、アル=ファラゾーンのサウロンに対する勝利の記念碑を破壊した。 2953年 - 白の会議の最後の会合。ローハンの15番目の王フェンゲルは死んだ。 息子のセンゲルはローハンに戻って、後を継いだ。 2956年 - アラゴルンが初めて灰色のガンダルフに会った。 2957-2980年 - アラゴルンは「ソロンギル」としてローハンのセンゲル王、およびゴンドールの執政エクセリオン2世の軍隊で勤務した。 2968年9月22日 - フロド・バギンズが生まれる。 2978年 - ボロミアの誕生。 2980年 - アルウェンはアラゴルンに手を与え結婚の誓約とした。フロド・バギンズはボート遊びの事故でかれの両親を失った。アラゴルンは、エクセリオン2世の任務で、南方への作戦行動を行い、ウンバールの支配者、港の大将を殺した。サムワイズ・ギャムジー生まれる。センゲルの息子セオデンはかれの父の死の後にローハンの17番目の王になった。 セオデンは第二家系の最後の王である。 2982年 - メリアドク・ブランディバック(メリー)の誕生。 2983年 - ファラミアの誕生。 2989 年 - フロド・バギンズはビルボ・バギンズの養子となる。バーリン導いるドワーフの一団がモリアへの再入植を試みた。 2990年 - ペレグリン・トゥック(ピピン)の誕生。 2991年 - エオメルの誕生。 2994年 - バーリンが殺された。モリアのドワーフの居留地は滅亡した。 2995年 - エオウィンの誕生。 3001年 - ビルボ・バギンズは111歳になって、ホビット庄を去った。 3002年 - 恐らくパール・トゥックよって押されたために、トゥック一族の女家長、119歳のラリア・クレイハンガーLalia Clayhangerは死んだ。ビルボは裂け谷に住みついた。 3009年 - アラゴルンはガンダルフの要請でゴクリを捕らえ、闇の森のスランドゥイル王の広間にかれを連れて来た。 3014年 - サルマンは、ローハンの17番目の王、セオデンを弱らせる策略を始めた。
※この「第三紀」の解説は、「アルダの年表」の解説の一部です。
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